ぬいぐるみの傷あと
どこの国の習慣なのか、両親は産まれたての私に、同じ大きさのテディベアを与えた。
それは、ずっと……今でも私のそばにいて、時々胸を絞めつける。
心臓の弱い私は、幼い頃に手術をしたので、胸に傷が残っている。けれど、それに悩むのは、もっと後のことで、小さな私は、ただその痕を指でなぞっては、お母さんに訊ねるだけ。
「ねぇ、わたしのこれ、なに?」
すると、お母さんは私のことを優しく抱いて、「それはね、ミユが病気を治して元気でいられるように、がんばった印だよ」と、言っていた。
「ミユ、がんばったの?」
「そう、がんばったの」
何も知らなかった私は、「がんばった!がんばった!」と言って、はしゃぐだけ。そうすると、お母さんもニコッと笑いながら、『うん、うん』と頷いてくれるので、それに喜んでいただけのこと。
ある日、私はテディベアの胸にハサミを入れた。
「ミユ、何しているの!」
お母さんは驚いたのか、大きな声を出していたけれど、私は悪い事をしているつもりもなく、「くまさんも、げんきにしてあげるの!」と、言っていただけ。
それを聞いたお母さんは、物凄く悲しそうな顔を見せながら、「あとは、お母さんが元気にしてあげるからね」と、言っていた。
次の日、そのテディベアの胸には、裁縫上手のお母さんが、綺麗に縫った跡があり、それを見て私はまた、「くまさんも、がんばった!がんばった!」と、はしゃいでいた。
その後は、傷痕に嫌な思いをするだけの毎日で、小学生の時は、みんなが縄跳びや、鬼ごっこをしているのを、ただ見ているだけ。
中学生になっても、憧れの陸上部には入れずに、高校生の今、そんな自分への苛立ちは、限界に達していた。
海は好き。けれど、友達から誘われても、一緒に水着を着ることもできない。
山は好き。けれど、この身体では、山頂まで登ることはできない。
恋をしたい。けれど、好きな人に、この傷を見せなければいけない日がくるのが、怖い。
そんなことを考えている時、私と同じように胸を縫われた、テディベアの傷を見ると、誰のせいにもすることができない腹立たしさを、心の無いものに当てていた。
『こんな傷、こんな傷……』
そう言いながら、私は母が直してくれたテディベアの縫い目を、ハサミで切った。
意味なんてなかった。ただ八つ当たりの相手がいなかっただけなのに、糸をほどいてみると、テディベアの中には、多分、私の健康を祈ったお守りだろう。それと一緒に、四つ折りにされた小さな紙が入っている。開いてみると、これを書いたのはお母さんだと、その字を見てすぐにわかった。
『美優がいつまでも、元気でいられますように』
私は、涙の止まらない目を、傷ついたテディベアに押し当てて、何度も、何度も、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、謝った。
それは、ぬいぐるみにだけではない。あの時、このテディベアを縫ってくれたお母さんの気持ちを考えると、辛いのは自分だけではないことに気がついた。
私は泣き顔を誤魔化しながら、傷ついたテディベアと一緒に、お母さんのいるリビングへ向かう。
「ごめん、お母さん……またやっちゃった。この子、元気にしてくれない」
きっと、また、お母さんに悲しい思いをさせているだろう。だから、傷を縫ってもらった後には、今の気持ちを伝えよう。
『元気にしてくれて、ありがとう』と。
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