第5話 本当の私


 私はとうとう自分と向き合わなくてはいけなくなった。


 自信を失い逃げ続けてきたあの日から私は私を失った。その本来の私がどう思っているのか胸に手を当て考えてみた。本当の私がどうしたいのか、それを知りたかった。


 私は本当は何をしたいの? 心に問いかけた。



―――


 心の中で私が一人姿を現した。


 笑ってない虚ろな目で私を見ている。私は問う。一体私は何がしたい、と。しかし、もう一人の私はそれに応えない。ただじっとこちらを見つめているだけだ。


 私はその時分かった。私だ。いま私の目の前にいるのは今の私なのだ。父に何を言われても無言でただ黙り込んでいる情けない私なのだと。そして私はそんな情けない私を倒さないといけないと思ったのだ。


 私は奴の胸ぐらをつかんだ。「どうしてなにもいわないのだ!」そう怒鳴りつけた。それから一発ぶん殴る。


 「私の夢は」そう聞くと奴は「公務員」とかすかに返事をした。「違う!」私はもう一度ぶん殴った。


 こいつなのだ。私は『普通』を求めて私とは違う人格を作ったに違いない。その忌まわしい人格こそがこいつだ。他人の表情を見て返事を変え、都合が悪くなると黙り込む。ましてや自分の好きに蓋をしている。


 私は覚悟を決めた。今日、こいつを殺す。私は私の愚かな性格を殺すのだ。そして私は本来の自信満々な私を取り戻すのだ。そう腹をくくる。


 私は力いっぱいに殴った。私自身を。何度も何度も。


 何度も。



―――――


 「除籍になった」


 父にいうのは勇気が足りなく、まず母にそれを伝えた。母はすごい驚いたがまず話を聞いてくれた。


 私はそれに至るまですごい緊張と不安を抱えていた。いつ話を切り出せるかと粘りに粘って三日、四日過ぎたあたりで本題に入った。だから話を聞いてくれるだけでとてもありがたかった。


 「父には言わない方がいい」母はそういった。確かに父にいえば今までの比にならないくらい怒るだろう。だが、私は嘘をつくのがもう嫌だった。そう母にいうと私に任せるとそういった。


 それから私は悩みに悩んだ。


 復学という制度がある。それを使えば留年したといって何とか誤魔化せる可能性があったからだ。私はこの期に及んで自分を隠そうとしている。そんな自分で本当にいいのか。はっきり除籍になったと伝えるべきではないか。


 また何日か過ぎた。でも誰かひとりにでも伝えた以上は長くは隠すことは出来なかった。


 「話がある」


 まるで心臓が掴まれたような恐怖を抱えながら私は父にそういった。




―――――


 「死ねよ」私は私にそういった。


 何度自分を拒絶したか分からない。だがとうとうもう一人の私にひびが入った。そしてよろめき、もう一人の私は倒れ込んだ。


 止めを刺す。そう考えた。だから私は倒れる私に近づいた。


 こいつさえいなければ、臆病な私さえいなければ。こんなはずじゃなかったのに。覚悟を、今日から私は生まれ変わるのだと。


 その時だった。倒れる私を庇うようにもう一人影が出てきた。


 その影は幼き頃の私だった。無邪気でただ何も知らずに公園で遊んでいる、馬鹿をしている自分だった。本当の私だ。


 幼き自分は手を広げ倒れ込んでいるもう一人の私を庇った。


 わけがわからなかった。だが、今こうして私は本来の私に出会えたのだ。それがあまりに嬉しかった。手を伸ばせば本当の自分になれる。そう思った。


 「来るな!」


 幼き自分がそう叫ぶ。どうして。どうしてなんだ。君は愚かな私に蓋をして閉じ込められていたんだ。やっと本当の自分になれるんだ。


 なぜ嫌がる。訳がわからない。


 私が戸惑っていると、倒れている奴が起き上がった。そしてその背中に幼き私を隠した。お互いにお互いを庇っている、そんな風に見えた。


 私は…殺さなくてはならない。自分の好きなものを偽る愚かな私を。今ここで。


 私は強く拳を握った。



―――――


 「留年になった」


 私の口からそう出ていた。トラウマというのはやはりそう簡単には拭えないもので、おのずと逃げ道を探している。それでも自らの口から何か言うことは私にとっては大きな勇気が必要だった。それこそ死ぬ気ぐらいに。


 留年。それを聞いて私はなんて反応をするか恐ろしかった。ただ泣かないように目に力を入れなんとか体制を崩さないようにそこに座っていた。


 怒る。だろうな。休学したいといったときでさえまともに話せなかった。私の落ち度を問われ怒られた。確かあれは誕生日の時で、私が死ぬことが出来る最後のチャンスだった。


 だから、私は身構えていた。


 だけど予想は違った。顔は真剣で、でも怒鳴ることは無かった。


 そうかと。一言。それから留年してもいい、と認めてくれたのだ。


 衝撃が走った。てっきり殺されるものかと。でもそうではなかった。前を向くことが出来ない私が大きく闇を膨らましているだけに過ぎなかったのか。それとも父が丸くなったのか。それはわからない。


 どうして。どうしてそんな言葉をもっと早く言ってくれなかったのか。


 違う!


 どうして、私はもっと早く相談できなかったのか。


 ………その日の夜。私は確かに泣いていた。止まらなかった。留年じゃない。除籍なんだ。今更そんなこと言えるはずもない。


 私は愚かだった。身をもってそれを知った。自分で何とかしようと抱えたそれがいつの間にか溢れただけに過ぎない。どれほど無駄な時間を私は過ごしただろうか。何よりどれだけ一人で死にたいと思っていたのだろうか。


 別の意味で死にたくなっていた。愚かな私をこの場から消し去りたかった。



――――


 「……。」


 私はもう一人の私を見た。


 「……。」


 「……。」


 そして、私はあることに気づいた。


 「ぼろぼろじゃないか」


 もう一人の私は全身傷だらけで見ているのが辛かった。私が殴ったからじゃない。それ以前に大きな傷が彼にはあった。


 私はその傷の理由を知っていた。それでいて知らぬふりをしていた。毎日その傷が増えていくのを見て見ぬふりをしていた。


 幼き私が前に出た。もう一人の私はそれを止めようとしたが、大丈夫だと幼き私は頷いた。


 その時、私の胸は突如痛くなった。これまでにないほどずっと。


 「死にたいよ!」


 幼き自分はそう叫んだ。


 そうだ。死にたい気持ちがなくなったつもりでいた。でもそんなのは間違いだ。ただそれから逃げるように目をそむき続けてきただけに過ぎない。そしてその苦しみを一心に受け続けてきたのは他の誰でもない、もうひとりの私だったのだ。


 ぼろぼろの私をみる。それは偽りの私。でもそれでいて、私が傷つくのを守ってくれていた。それもずっと。ずっと。


 君が私を守ってくれてたのだろう。死なないように言い訳して、ごまかし続けてきたのも実は君なんだろう。


 「大丈夫」その言葉を受けたのも君。言ってくれたのも君。


 私は愚かだった。いつだって人生を彼に任せてきた。臆病な私に。そして私は考えることもせず彼の意見にすがった。


 彼もまた本当の私自身だったのだ。


 幼き自分と臆病な自分。それを目にし選択する自分。


 本当か嘘か。そしていつだってそれを決めるのは私だったはずだ。逃げ出すのはいつだって私だったはずだ。


 本当の自分とは何か。自分のやりたい事だけを行動する人のことか。それを今一度考えさせられる。


 だから私は幼き私に聞いてみるのだ。


 「私はどうすればいい。一体私が今目標に掲げていることは何なんだ」


 知りたかった。私は常にその答えを求め続けられてきた。将来は何をするのと何回も聞かれ、何も考えていないというとやはりまた答えを迫られるのだ。それはそうだ、何も考えもせず行動もせず、大人はそのままでは生きていけない。人は働かなければ生きていけない。


 だから、私は本当の自分が何をしたいか知りたかった。その答えを探し続けた。


 小説家になりたい。それも一つの答えに違いない。でもそれだけじゃダメなんだ。なりたい気持ちだけで将来は生きていけない。何より時間がない。私はかつての子供なのだから。すぐにでも大人にならなければいけない。


 そしてとうとう幼き私は答えた。


 「わかんないよ!」


 悲痛な叫びで私にそういった。


 わかんないとはなんだ。わかんないとは。私はもう一度聞き返した。だがやはり幼き私はわかんないと叫んだ。


 つまりはそういうことだった。


 「大学辞めてどうするの?」

 「わからない」


 「働くの?」

 「わからない」


 それが実のところ答えだったのだ。私はそれではいけないとその選択肢を省いていたのだ。だが簡単だ。


 私は初めから分からないと、どうすればいいのかと相談すべきだったのだ。


 あっけない。私が思っていた欲しい答えなんてそこにはなかった。


 ただそこにいたのはただ泣きわめくだけのガキ。それこそ臆病な私よりも弱い存在だったのだ。だから蓋をした。傷つかないように誰の目にも触れないように。


 「小説家にはなりたい?」


 私は確かめるように聞いてみた。


 「うん! なりたいよ」


 幼き私はそう答えた。


 そうなのだ。なりたくないわけではないのだ。ただその答えに私はほっとしていた。




―――――


 幾度となく昔の夢を見る。たぶん高校の頃の夢。


 私は学校の中庭に居て、上を見上げると自分のクラスが見えた。そこにはきっと皆がいて授業を受けている。

 

 誰かが私を教室に戻ろうと誘った。


 だが私はそれを断った。


 昔に戻りたいからそんな夢を見たのだろう。だから私は早く教室に向かうべきなのだ。でも私が言った言葉は間反対だった。


 「もうそこには私の居場所はないよ」


 夢の中の私はもう前を向いて歩いていた。過去には戻れないと知ってそのクラスメイトを追いやった。


 「……。」


 そんな夢を思い出す。実のところ私自身心に強いものをきっと持っている。だが歩かないだけ。進みだせばきっと誰にも止められない。


 一歩を踏み出せないのは勇気がないから。人の目を気にしてそのきっかけを潰しているから。


 私は涙が止まるのを待った。


 今頃みんなは何をしているのだろうか。きっと夢に近づいているに違いない。こんなにも惨めな私とは比にならないだろう。


 いつの間にか私は眠っていた。


 涙をふき取ることも忘れて。


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