第3話 私の追憶


 高校の頃の私はいたって単純だった。


 変わりたい。ただそれだけだった。


 誰かの背中についていくだけのひ弱な自分を変えたかった。言葉通り私は人がいるところを歩くとき友達を盾にして歩いていた。また帰り道、同級生が前を歩いていたら遠回りして帰るほど人が苦手だった。


 そんな自分を克服したい。私は入学初日から周りの人に声をかけまくった。だがそれでもすでにグループを形成しているところにしゃべりに行く勇気はなかった。


 とにかく喋る。これが目標。


 部活にも入ることにした。というより、入れと父に言われたのだ。バスケ、やはりその部活に入れたがっていたが私はとりあえず部活を探した。


 いや、私は小説家になりたかった。だから入る部活は文芸と決めていたのだ。と、まずその部活へ赴いた。が、そこは女子しかいなかったのだ。私は中学の間女子はおろか人ともまともに会話をしてこなかったのだから、いきなり女子だけの部活に入るなんてことが出来るはずもなかった。


 とりあえず夢のために入部届は出した。それから逃げるように他の部活を探した。あみだくじで決めた。そして出来れば迷惑をかけない個人技のものを。そこで選ばれたのはボクシングだった。結局、夢に掲げ入った文芸部は入部届を出した初日と退部届を出した日の2回だけだった。


 小説は一人でかけるから。そう自分に言い聞かせた。


 ボクシングはやることは簡単だ。自分の努力、それのみが反映される。好きなものをやっている人はそれなりに努力をするのだろう。だが弱い自分を変えるためだとか、まるでダイエットのための一種のような私が真剣そのものに練習することはあまりなかった。


 というより殴る行為に罪悪感を感じていた。なぜ入ったと思われたが、その癖は後に治ったのでそれはよかったように思う。だが、結局部活は大した成績を残すことなく、実質1回戦負けのくそ雑魚のままであった。


 高校三年間。私は変われただろうか。それはきっと明確に言ってしまえば変われたに違いない。なにもない、よりははるかに多くを手にしたに違いなかった。


 ある日彼女を作りたいと奮闘した時期もあった。だがそれは単純に彼女が欲しいとは違い、周りの人が恋愛経験をしたことある人が多く、自分もそうでなければ友達は作れないのではないかと焦ったからである。


 その考えはおかしい。それに気づいたころには、友達をたくさん作ろうなどとは考えることは無くなった。自分が呼ばれなかったクラス会も原因の一つかは分かりたくもない。だが、友達は指の数より少なくてもいい。友達と言える人がいるだけでいいとそう思ったのだ。


 ああ、死にたいと思うことはその時は少なかったに違いない。


 学校に行くのはだるかったが、中学校のようにずる休みをすることは無くなった。それは今思えば楽しかったからに違いない。


 実際、今でもこの時を風景を夢に見る。楽しかったその日を。でもそれこそが今にとっては呪いなのだ。今と過去を比較させ後悔させる枷となる。


 いつだって死にたいと思うのは、考える間もなく忙しい日々が続くときだった。


 中学校の時は受験だった。そのころ1歳にも満たない妹がいて、だが保育園にも通えず、家族は仕事で私が面倒を見る。赤ん坊というのは世話をしなくては目を離すのが難しい生き物で、私がそのころ受験勉強をするのは夜の9時以降だった。


8人家族だった。つまるところ家事も多くやらされる。受験が近くなるとさすがに押し付けられることは無かったがそれでも大変だった。


 私は言った。落ちたらどうしよう。不安に駆られそう相談した。だがしかし、高校受験なんて一番簡単な試験だから大丈夫なのだと軽く言われてしまった。


 私は死ぬ気でやっていた。だからきっと死にたくなったに違いない。


 それは高校でも同じだった。


 大学のセンター試験だか、筆記だか分からないがあの頃とは比にもならないような難しさだった。とりわけ塾に入ることしなかったし、一年の頃から真面目に受験に向けるような意識も持っていることは無かったのでそうとう焦った。


 特に英語に関しては苦手分野過ぎた。どんなに勉強しても点は上がらず、なによりセンター試験より模試の方が高い事件が起きた。


 言いたくはないが、英語のマークは40点台だった。これのいかにいかれているかは受けた人こそが分かるだろうが、、そのテストが200点満点ということを言えば少なからず分かるだろう。


 模試の方が高かった。そのショックは大きかった。


 そんな結果になるほど悲惨だった。死ぬ気で受験勉強をする私に親は「大丈夫」と励ました。


 「落ちるかもしれない」


 私は必死だった。だからきっと死にたかった。苦しいこの時間から解放されたかったに違いない。


 「大丈夫」


 その言葉は私は大嫌いだ。


 その誰を助ける訳でもなく、ただ自分でどうにかしろといいたげな適当な言葉がトラウマだった。なにが大丈夫なのだと、私は怒った。


 知っている人は知っていると思う。勉強中に邪魔が入ると集中できないということを。だが私はその邪魔という邪魔を幾度となくされていた。


 私の名前を呼ぶ。来なければ怒鳴る。


 「カーテン閉めて」

 「蚊取り線香付けて」

 「テーブル寄せて」

 「布団しいて」

 「こいつら(小さい子供)みてて」


 など。五分経てば呼ばれるそれに私は集中できるはずもない。ある日母がそれを父に伝えてくれなければ勉強はずっと出来なかっただろう。


 自分でそういえばいいだろう?


 そう思う。でもだ。私は今でも父の目の前に立つと言葉が出ないのだ。小さい頃からの恐怖が私の喉を絞めるようで、かすんだ声とひねり出した「うん」しかでない。


 結局私は変えられなかったのだ。


 一番変えたかった自分の弱さを変えることは出来なかったのだ。


 それでも私は大学に受かってしまった。しまっただ。特に私は嬉しくはなかった。全くと言えば語弊があるが、努力が報われた分は喜ぶ。だがどうしても行きたい大学だったかというとそれは違うものだった。


 どこに行きたかったの。わからない。


 ただ国立が安いのだからそこにしなさいと。私は言われるがままにそこを目指したに過ぎなかった。死ぬ気で。


 それが私のきっと最後の輝きである。


 私の知る友達はもちろん違う道をたどる。それから先同じところにいる事はない。一人だった。


 私は誉めて欲しかったのだろうか。誰かに自慢したかったのだろうか。誰かが作ったレールの上で必死にそれを目指して頑張っている。それは誰の人生?


 ここからどう進めばいいの? それは誰も教えてくれはしなかった。


 だって大人だろう。自分で決めなきゃ。


 かつての私と同じ失敗を私はしたのだ。好きでもなかった部活に入り、それが長続きしないのと同じように、やりたい事ではない大学に入り、それが長続きしないのは誰の目から見ても明らかだった。


 「……。」


 小説家になりたかった。そういえば、趣味で続けられるように安定した仕事を探しなさいと親は言った。私はそうではない気持ちを押さえつけ、口には出さなかった。


 幼いころから親は私にとっての絶対なのだ。きっと口に出したそれを否定されることは私自身を否定されることと同じなのだ。そう直感で分かっていた。


 私はだから臆病なままなのだ。自分の好きなもののひとつ正直に話せないのだ。


 「将来の夢は?」中学校からそういう質問があった。


 「公務員」私は親がその仕事がいいと言ったからそういった。


 「公務員のなんの職業?」だからその問いに答えられなかった。


 公務員には色んな職業があることさえ言われる前まで分からなかった。調べようとする気さえなかった。だから高校でも大学でも私は「公務員になる」などと言っていたのだ。そのたびに公務員の何かを聞かれてもだんまりするしかなかった。


 そこでどうして小説家になるとはっきりいえないのか。


 私は私ではない。普通に憧れて誰かの真似をする。誰かのいいなりになる。私は私でない人生を歩んでいた。


 あなたの夢は何ですか。それはいまだに輝いていますか。


 私は未来に手紙を書いた。一年後の私へ。そんな手紙を中学と高校。三年の初めに綴ったのだ。その手紙は希望で溢れている。ようにみえる。ただ未来に対してそれが自分でない自分であると信じて、ただ今の状況を丸投げしたに過ぎない。


 笑っていますか。


 手紙にはそう書かれている。


 夢がくすんだ今でもその手紙は捨てられなかった。人が苦手な私の思い出の代物はあまりいいものは残っていない。それどころか後悔するたねしかない。どうして私はそれを捨てられないのだろうか。


 小説家になりたい。そう思ったのはいつだっただろうか。空に輝く太陽のように眩しく見えたその夢は、今は月よりも輝かない。自分の夢を偽るにつれて私は本当に私の夢が何なのか分からなくなっていった。


 「……。」


 私は、アルバムを閉じた。忌まわしいと思いつつも捨てるとなれば気に悩むそれを、私は再びタンスの奥底へと戻した。


 とるのはめんどくさい。次にそれを見るのは半年か、それとも一年か。


 また今日が終わろうとしている。


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