俺と彼女の決闘!? 〜デレたい彼女のちょっとエッチな謀〜

立川マナ

第1話

「先輩もゲームするんですね」


 ちょうど、台所でジュースをコップに注いでいたときだった。春風のような、清々しい声がリビングのほうからするりと流れてきた。


 ――それだけで、ドキリとしてしまう。


 物心ついたときから野球を続け、鍛え抜かれた体は鋼の如く(と自負している)、ちょっとやそっとのデッドボールでは表情筋もたじろぐことはない。高校最後のこの夏……主将として、不屈の精神でチームをまとめ上げ、甲子園まであと一歩のところまで導いた。そんな俺も、彼女のささやかな声ひとつで子ウサギのようにぴょんと跳ねてしまう。その姿は端から見れば、さぞ滑稽だろう。


 しかし、仕方ないのだ。


 今日、ウチには親がいないのだから。親がいない家に、俺は彼女を――美濃みのかほりちゃんを招いているのだ。

 そりゃあ動揺もして、コップを持つ手もブルブル震えるというものだ。

 ああ、素振りをしたい。思いっきり素振りをして、雑念を払いたい。


「昔はよく弟と格ゲーをしていてな……最近ではさっぱりだが」


 必死に平静を装いながらそう答え、リビングに足を踏み入れると、


「私もですよ!」と俺の声に振り返り、かほりちゃんはぱあっと晴れやかな笑みを浮かべた。「よくお兄ちゃんと格ゲーしてました!」


 お兄ちゃん――その言葉にさえクラッときてしまうのだから、俺はよっぽどだ。


 美濃かほり。一つ年下で、うちの部の(俺はもう引退したが)マネージャーだ。

 入部してからというもの、その元気一杯のオーラで皆を支えてくれた。苦しい練習の中、泥にまみれ、たとえ絶望に打ちひしがれようと、彼女が目の前を明るく照らしてくれたから、俺たちは前に進めた――と俺は思っている。

 そんな彼女に、俺はいつからか信頼以上のものを抱くようになり、引退して間も無く、人生初の告白というものをした。

 大して入ったこともなかった図書室に彼女をこっそり呼び出し、心の準備に五分ほどかかって、ようやく『好きだ』と言った俺に、彼女は『はい。知ってました』とはにかむように笑って言った。

 ――バレバレだったらしい。

 まあ、そんな番狂わせがあったものの、晴れて付き合い始めて三ヶ月経つわけだが……。


「これ……私もやってましたよ、『スマッシュ武士道ズ』!」


 ローテーブルにコップを置き、ソファに座ったときだった。

 テレビ台の引き出しを物色していた彼女は、ふいに格ゲーのソフトを手に振り返った。


 長く艶やかな黒髪がふわりと揺れ、テーブルを挟んで座る俺のほうまで、その甘い香りが漂ってくるようだった。


 目鼻立ちがはっきりとして、明るく快活そうな顔立ちの彼女。こんがり焼けた肌が良く似合って、ジャージにポニーテール姿も実に様になっていた……が。髪を下ろし、真っ白なニットワンピに身を包む姿も、また――いや、非常に良い。ぐっと大人びて見えて、『元気一杯な可愛い後輩』の印象が薄らぎ、俺の理性が瞬く間にグラつく。


 いかん――。


 咄嗟に彼女から目をそらし、ぐいっとジュースを飲み干してから、


「ああ、そうか」と気を取り直して答える。「懐かしいな。美濃、強いのか?」

「なかなか強いですよ。武蔵が持ちキャラでした」

「ああ……二刀流だな。いいキャラだ」

「先輩は?」

「俺は政宗だったな」

「独眼竜ですね」


 などと……健全な会話をしながら、俺はひそかに気を鎮めていた。

 ――何を隠そう、俺は付き合ってから三ヶ月。かほりちゃんに指一本触れていない。

 決して意気地が無いわけではない。奥手でも無い。年上としての――、元高校球児としての――、彼女を大切に想うが故の――、意地と矜持なのである。


 そりゃあ、俺も球児の前に男だ。彼女と一線を越えたい気持ちは山々だし、あらぬ考えは悶々とよぎる。


 しかし……だ。

 先輩後輩として。主将とマネージャーとして。俺たちには約一年半に渡って培ってきた信頼関係というものがある。この恋人関係もその上に築かれたものであり、こうして、誰もいない俺の家にかほりちゃんが快く来てくれたのも、その信頼あってのものに違いない。そんなかほりちゃんの信頼を――純真なる心を――欲望のままに裏切るようなマネをするわけにはいかんのだ。

 そんなわけで。決して変な気は起こさぬよう精神統一を図っていると、かほりちゃんは何やらしばらく考え込んでから、


瀬尾せおセンパイ、勝負……しませんか?」

「勝負……?」

「『スマッシュ武士道ズ』で一本勝負! 負けたほうが、勝ったほうの言うことをなんでも聞く……ていうのはどうですか?」


 負けたほうが、勝ったほうの言うことを……なんでも?

 ぼわんと頭に浮かんできたのは、武士道とは程遠いなんともいかがわしい願望で。それを慌てて頭からフルスイングで振り払い、


「おお、いいぞ」と、ごまかすように平然と笑って見せる。「か……肩もみでもしてもらおうかな」

「いいですよ。センパイが勝ったら、いくらでも」


 フフッと口許をパッケージに隠すようにして笑って、


「無礼講……ですからね、センパイ」


 かほりちゃんは思わせぶりにそう言った。


   *   *   *


 かくして始まった第一回『スマッシュ武士道ズ』真剣勝負。

 ちなみに、『スマッシュ武士道ズ』とは、歴史上の名だたる剣豪同士を戦わせる格ゲーで、要は好きな剣豪を選んで、相手を斬って斬りまくってHPをゼロにしたほうの勝ちという単純明快なものである。

 かほりちゃんは宣言通り、持ちキャラの宮本武蔵を選択。それならば……と――ハンデも兼ねて――俺はあえて持ちキャラではなく、佐々木小次郎を選択した。

 『初めて、喧嘩しちゃいますね』なんて隣でコントローラーを手に悪戯っぽく言うかほりちゃんに、すでにKOされそうになりながらも、俺たちの巌流島の戦いは始まった。

 すまんな、かほりちゃん――と心の中で唱えつつ、俺は宮本武蔵に躊躇なく斬りかかる。その瞬間、


「ぁん……!」


 え……? なに、今の声?

 いやいや。気のせいだ、気のせい。


『せい! とりゃ! 食らえ!』


 俺の小次郎が掛け声を上げながら、次々と武蔵に斬撃を食らわす。すると、


「いや……あ……だめ……!」

『どうだ! とう! こうしてやる!』

「やん……そこ、グリグリしちゃ……!」

『うぉら! これで……どうだ!?』

「あぁん……そんなに激しく突かないでぇ!」


 ちょっと、待って――なに、この巌流島の戦い!?

 これ、エロゲだったっけ? と一瞬、思いかけた。

 気のせいじゃない。明らかに……武蔵のCVがおかしい! こんなんだったか? こんな可愛らしい声で喘いでたっけ? こんな……かほりちゃんそっくりの声で……?


 そんなわけが無い――と思いつつも、気づく他なかった。


 この艶かしい声は武蔵のものではない。ゲームから聞こえてくるCVなどでは無く。それをかき消す勢いで、俺の隣でたどたどしくコントローラーを操作するかほりちゃんが上げているのだ。

 いや――決して、それ自体は珍しいことではない。己のキャラがダメージを食らって、つい、声が出てしまうのは格ゲーにはよくあること。

 しかし……この声は、あまりに……。


 自然とコントローラーを握る俺の手は汗でじっとりと濡れ、ボタンを押す指の動きも鈍っていた。小次郎の刀は勢いを失くし、代わりに俺のがムクムクと奮い立たんとする。その下半身の異変に、まずい――と気を取られた、そのときだった。

 小次郎おれの攻撃の手が緩んだ隙に、武蔵が鮮やかな剣さばきで必殺技を繰り出し、


『ぐわあ……!』


 俺の小次郎が吹っ飛んだ。

 俺の負けである。

 画面にはドヤ顔で決めポーズを決める武蔵。ようやく聞こえた渋い声が『鍛錬が足りぬわ!』と唸る。

 俺は茫然として、画面を見つめていた。

 何が……起きた? 俺はいったい、何に負けたのだ?


「――良かった」


 何事もなかったかのような静寂があってから、ぽつりとかほりちゃんが呟くのが聞こえた。

 ハッとして振り返れば、


「センパイも……エッチなんですね」


 見たこともないほどにその顔を真っ赤に染めて、かほりちゃんがそう囁いた。いつもの晴れやかな笑みではなく……羞恥の滲むはにかんだ笑みを浮かべて。

 刹那、俺は悟った。

 まさか……と目を見開く。かほりちゃん――のか!?

 あの嬌声は……ワザと? 俺の集中力を乱すための策略? 俺はまんまと、かほりちゃんの罠に嵌ったということか……? それは、まさに宮本武蔵が『巌流島の決闘』にて、佐々木小次郎の平常心を乱すために故意に遅刻したという逸話の如く……!?


「約束ですよ。私の言うこと、聞いてもらいます」


 かほりちゃんは俺に体ごと向けると、ちょこんとソファの上で正座した。

 そして、俺をじっと上目遣いで見つめ、


「私を……ぎゅっとしてください!」

 

 ぎゅっとしてください……だと!?

 ピシャーッと脳天に雷でも直撃したようだった。

 それって、つまり……抱きしめてほしい――ということか? ここでかほりちゃんのその華奢な体をこの胸の中に抱け、と……そういうことか!?


 いいのか――!?


 体をもじもじとせながら、縋るように見つめてくるかほりちゃん。あまりのいじらしさに、今すぐにでもがばっと抱き締めたくなるが。

 しかし……見事にかほりちゃんの戦法に嵌った俺は平常心を失ったまま。未だに脳裏ではさっきの嬌声が響き、は既にバッターボックスに立つ気満々である。こんな状態でかほりちゃんを抱きしめたら――この三ヶ月、意地と矜持で不可侵を守り続けていたその肌に触れてしまったら――どうなるか分かったものではない。

 そのまま、弾みで一線を越えてしまうなんてことも……。


 ごくりと生唾を飲み込み、コントローラーをぐっと力強く握り締める。

 

 いや……と覚悟を新たに、俺はかほりちゃんを真っ直ぐに見つめ返した。

 抱き締めるだけだ。抱き締めたら、即リリースしてみせる。

 俺は絶対に、かほりちゃんにやましいことなどせん。

 これは戦いだ。一騎打ちだ。俺の理性と、かほりちゃんの魅力との真剣勝負。


 俺たちの決闘はまだ始まったばかりだ――。

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俺と彼女の決闘!? 〜デレたい彼女のちょっとエッチな謀〜 立川マナ @Tachikawa

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