【KAC20221】どっちも好きとか有りなのか

いとうみこと

根もない嘘から芽が生える

 居酒屋『一期一会』


 商店街の中の、すれ違うと肩が触れ合うほどの脇道の先にあって、テーブル席が二つとカウンターだけの居酒屋と言うより小料理屋といった風情の店だ。落ち着いた年代の男性客が多く、馬鹿騒ぎするような客がいないので居心地がいい。更に料理は絶品だし、酒は全国の地酒の中から店主が惚れ込んだものだけを厳選して置いてあるしで文句のつけようがない。


 初めてここを訪れたのは自分の二十歳の誕生日だった。兼ねてから二十歳になったら居酒屋デビューをしたいと計画していたのだが、生憎誰とも予定が合わず、それでも諦めきれずに近所で探してたまたま見つけたのがここだった。それこそ初めてのことで引き戸を開けるのも勇気がいったが、その時の俺を今は全力で褒めてやりたいと思う。


 オーナーシェフ、居酒屋の店主にこの呼び方をするのはどうかと思うが彼にはこれが似合う、の藤木さんは三十代後半くらいで絵に描いたようなイケメンだ。きっちりと撫で付けてひとつに結んだワンレンの長髪がこれほど似合う男性を、俺はメンズノンノ以外で見たことがない。ミケランジェロのダビデ像から抜け出してきたような日本人離れした顔つきで、特に深い二重の切れ長の目がゾクゾクするほど美しい。


 こんなイケメンがいたらさぞかし女性陣が殺到しそうなものなのに、ここにはほぼ女性客のグループは来ない。それは入り口の貼り紙に秘密がある。俺も最初に見たときは意味がわからなかったが、藤木さんを見て納得した。


『会話はdBでお願いします。ご協力いただけない場合は退店をお願いすることもあります』


 因みに、六十dBは一般的な会話の大きさ程度だから無茶は言っていない。要は騒がしい奴の入店は断るということだ。


 そんなこんなでここは俺のいちばんのお気に入りとなったわけだが、俺は大衆居酒屋も大好きで、自由になる金の殆どを居酒屋巡りに使っている。とはいえ、あまりイケるクチではないので、専らつまみを楽しむのが目的だ。


 そんなある日、いつものように新しい居酒屋を探してふらついていたとき、隣町の駅前で先月まではなかった店を見つけた。多分うどん屋か何かがあった場所なのだが、不思議なもので消えた店は殆ど思い出すことができない。何はともあれ覗いてみることにした。


 さほど広くない店内は、オープン間もないせいか殆どのテーブル席が埋まっていた。俺はカウンターに案内され、ふたり連れの女性客の隣に座った。


 突き出しのわかめのぬたは冷え過ぎでアウト。ジョッキのビールはまあ普通。焼き鳥は多分冷凍品だし、今日のオススメというアサリの酒蒸しは塩っぱ過ぎた。オープン特価全品三割引きだから許せるが二度と来たいとは思えない。こういう店に来ると藤木さんの凄さを改めて痛感する。


 そろそろ帰ろうかと思ったとき、ふと隣の会話が耳に入って来た。そうでなくても俺の隣の中年に差し掛かったおばさんは声がでかい。藤木さんの店なら要退店だ。そのおばさんが隣町のイケメンの居酒屋がどうのこうのという話をし始めたのだ。俺は一度握った伝票を再び置いた。


「あたしはさ、地声がこんなじゃない? だから行くの諦めたんだけど、妹がこないだダンナと行ってみたんだって。そしたらさ、噂通りギリシャ彫刻みたいに綺麗な男だったって。こんな人ホントにいるんだねえって電話口で感心してたわよ」


 その女性はガハハと大声で笑った。


「料理も絶品だったみたいだけど、お通夜みたいに静かで早々に退散したって言ってたわ。あれは客を選ぶねえって」


 確かに彼女の言う通りだ。料理はそのうち星が貰えるレベルで酒も美味いが、客によっては居心地が悪いだろう。


 その女性はジョッキに残ったビールを豪快に煽ると、それまでと打って変わって小声になった。


「でね、噂だと、そこの店主あっちの方が二刀流らしいのよ。あんなに綺麗だったらそれもありだわねえって妹が」


 再び大声でガハハと笑ってから「ちょっとトイレ」と言うと、女性はふくよかな体を揺らして席を立った。俺はそれ以上そこにいる理由がなくなって店を出た。微かな酔いはすっかり醒めてしまっていた。


 二刀流……


 俺はかぶりを振って繰り返し流れるこの言葉を振り払った。しかし数分後にはまたしてもその言葉で占められてしまう。そしてその度に、藤木さんの切れ長の目が浮かんだ。


 あの目で見つめられたら俺だって……


「うおーっ!」


 俺は走り出し、がむしゃらに走り続け、気づけば自宅に着いていた。そして今更ながらに気分が悪くなり、早々に寝る羽目になった。


 そんなことがあって暫く『一期一会』から足が遠のいたが、どうしても藤木さんの筑前煮が食べたくなって店に行くことにした。引き戸の前で深呼吸をして店に入ると常連の客でほぼ満席だったが、幸いカウンターのいつもの場所が空いていた。


新太あらた君、久しぶりだね。今夜は何にする?」


 藤木さんの静かだけどよく通る声が心地良い。やっぱり俺はここが好きだと再認識しつつ筑前煮を頼む。お通しの五目煮豆が美味すぎて、できれば丼で出して欲しいと思う。


 間もなく好物の筑前煮が出された。あっという間に飲み込んでしまわないようにひと口毎に箸を置き、お薦めの冷酒で唇を濡らしつつ藤木さんの仕事ぶりを眺める。俺の至福の時間だ。


 それにしても本当になんて綺麗な顔なんだろう。睫毛は俺の倍は長いだろうな。瞳の色が黒より茶色に近いのは身内に外国人でもいるんだろうか。


「……良かったら付き合ってくれないか?」


 え?


 ふと我にかえると、目の前に藤木さんの顔があった。


「えーっ!」


 ガタンと椅子を鳴らして立ち上がった俺に、店中の視線が一斉に注がれた。まずい、今のは八十dBはあった!


「す、すみません」


 俺はペコペコと頭を下げて椅子に座り直した。藤木さんが困った顔をしている。その顔もまた魅力的だ。


「僕の顔見てたから話を聞いてくれてると思ってたけど違ったんだね。驚かせてごめん」


 俺は首を左右に振りながら、自分が耳まで赤くなっているのを感じていた。


 改めて聞いてみると、実は藤木さんは和風スイーツにも興味があって、自分の店でも出してみたいのだと言う。俺が以前、母親の実家が和菓子屋兼甘味処だと言ったのを覚えていて、店を訪ねてみたいという話をしていたらしい。全く覚えてないけど。


「僕、日本酒も好きだけど、和菓子にも目がないんだよねえ」


 そっちも二刀流か……って、あっちは未確認情報だよっ!


「わかりました。じいちゃんに予定を聞いてみます。田舎ですから遠いですけどいいですか?」


「もちろん! 僕がお弁当作るよ。楽しみだなあ」


 笑うと童顔になる藤木さんの顔を見ながら、俺はまだ決まってもいないその日がとても楽しみになった。藤木さんのお弁当……


「俺も楽しみです!」

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