第一章:旅のはじまり
1.魔幻灯のファルケン-1
『辺境』とは、恐れられる場所だった。
『辺境』が人に恐れられるのは、『辺境』が精霊のはぐくんだ土地だからだ。
ここでいう『辺境』とは国境周辺の場所のことを言うわけではなく、特殊な用語である。
ただ、実際そこいらが人が住む境目となるため、そう疲れわれていた。
彼らのいう『辺境』とは、この大陸の北方に広がる密林地域、または砂漠地域のことだった。森や砂漠に覆われ、けして人の立ち入れない場所のことで、そのように名前を付けて区別されていた。
辺境の多くは森であるとされている。中には海に面したところ、湖がぽっかりと口を開けているところなどがあるらしいが、それは伝承だった。とにかく、ヒトにとってその場所は未踏の場所だった。
なぜなら、それらの森や砂漠は生態系が明らかに狂っており、ほかの場所とは違う特殊な生き物が存在する為、人間が気軽に入るには危険な場所でありすぎたのだった。
そうして奇妙な動植物に守られた辺境には、全ての自然を創造した大精霊が、住んでいるのだと、辺境周辺の住人達は言う。
さらに、辺境には不思議なものがすんでいる。
辺境には、精霊を守る人間の形に似て非なるものが存在していて、精霊を守っていたのだ。その存在は確認され、人々に目撃されていた。
それらは、大精霊の子供達だった。
女ならば美しい羽根をもつ妖精の姿になり、精霊の世話をするという。
その女たちのことを『辺境の妖精』と特に呼ぶ。
男ならば、屈強な体とずば抜けた力をもち、辺境を荒らすものを退治するという。
その男達のことを、『辺境の
森の奥にしか現れないという妖精はめったと姿をみせず、ヒトが姿を見ることが多いのは、もっぱら活動的な狼人のほうだった。
彼らをなぜ狼と呼ぶのかはわからない。ただ、常に集団で行動するので、そうした姿が見かけた人間の目からは狼の群に見えたらしい等とは言われている。
ともあれ、強靭な体を持つ狼人を、人間たちは特に恐れていた。
そんな風にして守られた、聖なる、しかし恐ろしい、未知の場所が『辺境』と呼ばれるところだった。人を寄せ付けないが、人が生活するうえで嫌でも目に入る巨大な禁忌の区域。
そんな足を踏み入れてはいけない場所を、物欲しげに覗くように、草原の裏街道は辺境の森沿いにあった。
*
「いてっ!」
道から森側に飛ばされて、青年は草の上にしりもちをついた。
「てて……乱暴だなぁ。旦那方……」
青年は軽口を叩いたが、内心これはまずいことになったと冷や冷やしていた。
男達は全員屈強な感じで、いかにもまともでない外見の連中だった。人を見た目で判断するなというが、時に見た目そのままの人間もいることを彼はよく知っている。
借金取りにロクな人間がいないことは、彼はよく知っていた。
「レックハルドってのはてめえだな? 借金踏み倒して逃げるなんざ、なかなかいい度胸してるよなぁ」
「へ、へへへ。ま、そんなたいそうなことじゃないんで」
愛想笑いを浮かべてみるが、そんなものがきく連中ではないということはわかっている。そうやって時間稼ぎをしながら、なにかこの場を切り抜けるうまい手がないかどうか、周りをうかがっていた。
「お前の担保は、お前自身だったよな……」
「ははは。異国の市場に並ばせて競りにかけるのはのは勘弁してくれよ。あと、三日、いや一日待ってくれれば……」
「この前そう言って逃げただろう!!」
「そ、そういうこともありましたっけねぇ」
レックハルドは、すっとぼけた。そして、ふと、道を通りかかる通行人の姿が目に入った。辺境に近いこの道を歩くものは少ないので、彼がこの瞬間通行人を見かけたのは、非常に幸運なことであった。
おまけに通行人は、かなりがっしりした体格の男で腰に剣まで吊している。いよいよもって、幸運だ。助けを求めても、非力な人間なら逃げてしまうかも知れないが、武芸に心得のある人間なら、きっと見捨てたりはしないだろう。義侠心にあふれていれば。
多分。
「助けてくれーーーっ!」
レックハルドは大声で助けを呼んだ。
「追い剥ぎに襲われているんだ!!」
とんでもない嘘をとっさについたものである。男達は、いっせいに剣を抜いてレックハルドに突きつけた。
「てめえ!! この期に及んでいけしゃあしゃあと!!」
「う、うるさい! お前らなんざ、追い剥ぎと大差ないだろうが!!」
通りすがりのその旅人は、声を聞きつけて慌ててこちらに走ってきた。
近寄ってくるとかなり男が大きいことがわかった。
男は、レックハルドの身長をゆうにこえて、おそらくここにいる男達の誰もより背が高く、確実に大男といってよい。
少し緑がかった金髪を肩より下まで伸ばしていて、顎にだけはやしてあるヒゲも同じ色をしていた。目は大きくてきらきらしていたが、少し目つき自体は鋭い感じもする。顔は整っていてりりしいが、両頬に紅い顔料で不思議な模様が描かれているのが特徴的だった。
「えっと?」
と、大男は割とのんきに尋ねた。
年齢は、二十から三十の間に見えるが、それにしては、なんとなく表情があどけない感じがする。
「追い剥ぎって……? あんたたちか?」
小首をかしげての、なんとなく緊張感のない問いに、男達は振り向いた。
「うるさい! 怪我したくなかったらすっこんでろ!」
乱暴な物言いに、大男はむっとした。
「やっぱり、悪い奴らなんだな。お前達。追い剥ぎは悪いことなんだぞ!」
「追い剥ぎじゃない! 借金の取り立てだ!」
「悪徳高利貸しの手先が何を言ってるんだ?」
調子に乗って、レックハルドがはやした。
「そうか! やっぱり悪いヤツなんだ! その人から、離れないとオレが『正義の鉄拳』をくらわしてやるぞ!」
旅人は、納得したようにうなずいて男達に言ったが、どうも子供が正義の味方ごっこをやっているような言い回しに近くて、助けを求めた本人のレックハルドは、不安になる。
(まさか、見かけ倒しではあるまいな……)
「正義の鉄拳~~~? はぁ?」
あまりにもたどたどしい旅人の言い方に、男達はふきだしはじめた。
「お前正気か?」
「うん。もちろんだ。だって、悪いヤツは退治しなきゃいけないって、えっと、……どこかの村の長老がいってたもんなっ!」
自信満々にいう旅人の言葉は、どれもが妙に滑稽だった。レックハルドは、人選を間違えたかとおもってはみたが、あの状況ではどうしようもなかったんだと自分をなぐさめた。
いやでも、コイツがもめている間に、自分だけは逃げられるかもしれないし。
男達はますますげらげらと笑い転げた。
「何で笑ってんだ? オレ、おもしろい事いった?」
「おお、おもしろかったとも」
「じゃ、悪いことをやめて帰ってくれよ。それだったら、オレも鉄拳をふるわなくてすむし!」
旅人は、子供のように純粋な満面の笑みを浮かべた。
「だが、帰らないぜ」
「えー、それじゃ仕方ないな。実力行使するけど、悪く思わないでくれよ」
残念そうな顔をして、旅人は背負っていた荷物をおろした。長旅をしてきたのだろうか、薄汚れたマントがはらりと翻る。
「相手してやれ」
「おお」
借金取りの頭目らしいのが、下っ端にひょいと顎をしゃくって命令した。もちろん、彼らは遊び半分である。まさか、この目の前のにこにこ笑っている男に自分たちをやっつけられるような力があるとは思えない。確かに体は大きいが、なんとなく動きが鈍そうな感じもするのだった。
一人の男が、旅人に向かっていった。手には武器も何も持っていない。完全に油断しているのだった。
突然、ふっと旅人の姿が男の視界から消えた。慌てて探そうとしたときに、男はそのまま後ろに吹っ飛んだ。地面にたたきつけられて、そのまま男は気絶してしまう。
「や、野郎!!」
さすがにこの様子をみて頭目の表情から笑みが消えた。一方、レックハルドの方は、一縷の望みを得てほっと胸をなで下ろす。
「やってくれるじゃねえか!!」
「だから、悪く思わないでっていったじゃないか。ちゃんと話きいてないのかい?」
旅人は、子供っぽい仕草で首を傾げた。
「やかましい! やっちまえ!!」
その場の男達が全員、剣を抜いて旅人に突っかかった。
旅人は、仕方ないなあ、といいたげな少し面倒そうな顔をしたが、飛びかかってくる男達を順序よく倒していった。大男の旅人は結局剣を抜かず、素手のままだったが、対する男達は数分もしないうちに、叩きのめされる。
「くそっ! アイツ、強いぞ!」
「覚えていろ! また来る!」
男たちは不利と見たのか、そのまま、散っていく。
「覚えてろっていわれてもー……」
とのんびりつぶやきつつ、彼は男たちを見送った。とりあえず、誰も抵抗するものがいなくなったのを確認し、ぱんぱんと服を払ってから、旅人は先程助けを呼んだ青年の方に顔を向けた。
「あれ?」
しかし、青年の姿は忽然と消えていた。
「逃げちゃったかな……」
「こっちこっち」
うしろから肩を叩かれ、旅人は振り返る。と、そこに呆れ顔の青年が立っていた。
「あんなところで大人しく待ってたら危ないもんな。ちょっと避難してたんだ」
「へぇ、じゃ、無事だったんだな」
よかった、と旅人が笑う。妙に屈託ない笑みを浮かべる男だ。
「当たり前だ。助けてくれてありがとよ。オレはレックハルドっていうんだ。他の連中はレックって呼んでる。そう呼んでも良いぜ」
「えーと、オレはファルケンっていうんだ。この辺をずーっと旅をしてるんだ」
ファルケンと名乗った大柄の旅人は、えへへとやはり子供のような純粋な笑みを浮かべている。変わった男だ。
「ふーん、オレは見ての通りの行商人だ」
といって、レックハルドは背中に背負った布を指し示した。
「ここから辺境の森を越えてった所にある、ベレスっていう街で売りさばくつもりだったんだ」
「ベレス?」
きょとんとファルケンは首をかしげる。
「ああ、あの街なら、ここをまーっすぐ通り抜けたら近いぞ。どうして、こんな遠回りしているんだ?」
不意にとんでもないことをファルケンは口にする。ギョッとしてレックハルドは、彼の顔を見た。
「へ、辺境を抜けろなんてそんな無茶な……。迷ったりしたらあぶねえじゃないか」
「あ、そうか。ちょっと危ないかな?」
そう思いなおして、慌てて彼はうなずく。
「ごめんな。オレ、常識知らずっていわれるんだ。よく」
(そうだろうな)
素直に謝るファルケンにレックハルドは、心の中でそう思う。
(でも……)
ちらりとレックハルドは、ファルケンを見た。
格好も変わっているだけでなく、性格も妙な男だが。
先程助けてくれたところをみると到底悪い人間には思えない。
自分の嘘を全面的に信用しているところから見ても、単純で、しかも相当なお人好し。だが、強い。体も大きいし、押しも効きそう。
(こいつ、使える!)
レックはルドは、内心にやりとした。
借金取りに追われる身としては、用心棒が一人ぐらい欲しいところだ。力もあるみたいだし、荷物持ちとしてもつかえるかもしれない。
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