第2章 佐伯 1

携帯電話のバイブレーションが作動する。ベッドの棚の上で棚の面とこすれて鈍い音を立てて部屋に響く。

佐伯は鳴り始めてからすぐに手を伸ばし、手探りで携帯電話を探し当て、握り込むようにして掴み、サイドボタンを押してバイブレーションを止めた。バイブレーションが止まるとすぐに携帯電話を手放した。ガタンと音が響く。

携帯電話の液晶画面は6時を表示していたが、佐伯は確認することはなかった。

佐伯はバイブレーションを止めた後、すぐにベッドから体を起こした。それからため息を一つ吐いて目をこすった。目を数回こすり、そのまま目を手で覆った状態で1分間ほどじっとしていた。その間、目を強くつぶっていた。自然と覆っていた手にも力が入り、左右のこめかみを指で挟むように掴んでいた。その後こめかみから手を離して目を見開いた。そしてもう一度ため息を吐いてからベッドから降りた。床に足が着くと床はギシギシと鈍い音を立てた。

ベッドから降りると佐伯は体を屈めてベッドの下の引き出しを開け、白いシャツと黒いズボンを取り出した。特に目で確認せずに慣れた動作で動いていた。そして取り出したものを左手で雑に掴んだ。体を起こすと、きちんと畳まれてしまわれていたシャツとズボンが崩れてダランと垂れ下がった。そのままドアへ向かい、ドアを引いた。

しかしドアは開かなかった。ドアを開こうとした反動で佐伯は体を揺らす。佐伯は開き切らない目でドアノブをじっと見つめる。佐伯は大きくため息を吐きながらドアノブの下にあるレバーをひねった。ガチャと音を立ててドアの鍵が開錠されたのを耳で感じると再びドアを引いた。ドアが開くと部屋の外に出た。ドアを閉じる前にまたドアノブの下のレバーをひねった。そしてその状態のままドアを閉めた。ドアを引きドアが開かないことを確認するとドアノブから手を離した。


ドアを閉めると廊下は暗闇につつまれていた。暗闇の中を佐伯は戸惑うことなく真っ直ぐに進んでいった。佐伯が一歩踏み出す度に暗い廊下にギシギシと鈍い音が響いている。途中で佐伯の足に衣服の入ったカゴがぶつかった。佐伯は体を屈めてカゴから衣服を右手で取り出して、シャツとズボンを掴んでいる左手で脇に抱えるように持ってまた廊下を歩き始めた。

佐伯は歩きながら右手を前に突き出した。そこから数歩足を進めると手が壁にぶつかった。佐伯はそこで足を止め、壁を左右に手で触り始めた。そして手探りで壁にあるスイッチを見つけ、それを押した。天井の照明がつき、廊下を明るく照らした。急な光に佐伯は眩しそうに目を細める。だが佐伯は立ち止まることなく右手にある階段を降りてリビングに向かった。

階段を降りると壁にあるスイッチを押した。天井の照明が付き、綺麗に片付けられてるリビングが露わになった。そして各所の照明のスイッチを押しつつ進み、廊下へ出て風呂場のある部屋に入った。

佐伯は左手に掴んでいたシャツとズボンを手放した。掴んでいたシャツとズボンはさらに崩れて床に落ちた。落ちたシャツとズボンには目もくれず、洗濯機の前に行くと左手の脇で抱えていた衣服を洗濯機に入れた。そして足元にあるカゴを拾い上げ、ひっくり返して中に入っていた衣服やタオルを洗濯機に落とし入れた。カゴを置くと佐伯は着ていたパジャマと下着を脱いで洗濯機に投げ入れた。

そして佐伯は裸のまま洗濯機の電源を入れた。表示されたメニューを見ずに洗濯機に洗剤と柔軟剤を入れて洗濯の開始ボタンを押した。洗濯機の中に水が流れ込み、ジャーと音が鳴り始めた。佐伯は振り返って浴室の中に入った。

中に入り、給湯器の電源を入れると電子音と共に42度の表示が出た。シャワーを手にとって排水溝へ向けてからレバーをひねる。まだお湯が供給されず冷たい水がシャワーから勢いよく飛び出していく。跳ね返る水や広がってくる水が足に当たり、佐伯は体をビクっとさせた。少し時間が立ち、手でシャワーから流れ出る水を触れてお湯が出てくることを確認するとシャワーを掛け直した。佐伯は勢いよく流れ出るシャワーを頭から受け、全身が包まれた。しばらくの間目をつむり体をダランと俯かせて、ただシャワーを受けていた。体が温まってくると手で顔をこすり、頭をガシガシとかいた。そして体をひねったり伸ばしたりして全身に血が巡り体が起きてきたのを感じるとシャワーを止めて給湯器の電源を切った。体から滴る水を手で払ってある程度弾くと浴室の外に出た。

タオルを棚から手に取り顔に当てる。少し毛の縮こまったタオルから柔軟剤の香りがする。佐伯はタオルに顔をうずくめながらため息を吐いた。吐息で口に当てていた部分のタオルが少し温かく感じる。その後全身を拭き体を乾かすと洗面器の横にタオルを置いた。そして洗面器の下の引出しから下着を取り出すとそれを履いた。そこから体を屈ませ、床に落ちているズボンを拾い上げて履いた。

ズボンを履いて体を起こすと洗面器の鏡をジッと見て佐伯は自分の顔を見つめた。そして右手で頰をなぞり、洗面器の下の下着が入っていたのとは別の引出しから電動髭剃りを取り出した。電源を入れると電動髭剃りはガーと音を立てて振動を始め、佐伯の頰に当たるとチリチリと鳴らしながら細かい髭を切り取った。佐伯は頰と口周りを電動髭剃りで何周かさせて左手で頰をなぞり確認すると電動髭剃りの電源を切った。そして電動髭剃りを引き出しにしまい、洗面器で顔を洗った。勢い良く顔に当てた水は水滴となって周りに飛び散った。顔を洗い終えると横に置いてあるタオルを使って顔を拭いた。洗面器の周りに飛び散った水をそのタオルで拭き取ると洗濯機の前にあるカゴへ投げ入れた。そして髭剃りの隣にあるドライヤーを取り出し、コードをコンセントに挿して電源を入れた。1番高い出力にされたドライヤーはゴーと轟音を立てて髪をすぐに乾かした。髪を軽く触り、乾いていることを確認すると電源を切りコンセントを抜き、ドライヤーを引き出しにしまった。

その後佐伯は床に落ちているシャツを拾い上げて着始めた。ボタンを留めている間に壁に掛けられている時計を鏡越しに見ると6時半を指しているのが見えた。第2ボタンまで留め、手首のボタンを閉じると顔を手で覆い目を閉じてため息を吐いた。また顔に温かさを感じる。

そして小さく「よし」と呟いて部屋を出た。


部屋を出ると佐伯は玄関へと向かっていった。玄関には縛られたゴミ袋、段ボールや発泡スチロールが積まれて置かれていた。佐伯は玄関の下駄箱の上に置かれた戸棚からキーケースを取り出した。玄関に一束だけ置かれた靴をかかとを潰して履くと、キーケースから鍵を取り出して玄関のドアの内鍵を開けた。そして鍵をキーケースにしまい自分のポケットに入れた。その後玄関の鍵を回しドアを開けた。

ドアを開けると外から涼しい風が玄関に入り込んできた。佐伯は外に出るとしゃがんでドアのストッパーをかけ、ドアを開いた状態にした。

そして体を起こすと空を見上げた。雲が少なく青空が広がっていた。佐伯はその晴れ空を眩しそうに目を細めて見つめていた。家は森に囲まれており、近くの木々から小鳥のさえずりが聞こえてくる。爽やかな朝に包まれながら佐伯は青空に向かってため息を吐いた。

少しの間空を見つめた後、佐伯は玄関へ戻り、積まれて置かれていた段ボールや発泡スチロールの箱を玄関の前へ全て運び出した。全ての箱を運び終えた頃、遠くからエンジン音が聞こえてきた。佐伯はそれに気を留めることなく玄関に置かれていたゴミ袋を外に積まれた箱の隣に運び出した。運び終えるとしばらく家の周りに生えて伸び切っている雑草をボーッと見て立ち尽くしていた。すると段々と先程から聞こえていた音が近づいていた。そして音の発信源だった軽トラックが家の前に停まった。

軽トラックのエンジン音が止まると運転席から中年の男が降りてきて、佐伯に向かって「おはようございまーす」と元気よく大きな声で挨拶をした。佐伯は軽く会釈をして「おはようございます」と小さな声で挨拶を返した。

中年の男は軽トラックの積荷のカバーを剥がし、手際よく積まれていた段ボールや発砲スチロールの箱を手際よく次々に降ろしていく。佐伯は軽トラックから降ろされた箱を玄関の中に運び入れていった。中年の男は積荷から全ての箱を降ろし終えると玄関の前に積まれていた箱、ゴミ袋を軽トラックへ積んでいった。

全て積み終えると中年の男は軽トラックの助手席から紙が挟まれたボードを取り出して玄関の前に立った。佐伯は玄関に箱を全て運び入れ、家の外に出ると中年の男が待っていましたと言わんばかりに「チェックお願いしまーす」と大きな声でボードとボールペンを佐伯に差し出した。

佐伯は紙に書かれていた内容をロクに確認せずにサッとサインを書き込んでボードを中年の男に返した。

「ありがとうございまーす」と控えの用紙を佐伯に渡し、「またお願いしまーす」と大きな声と共に頭を軽く下げた。佐伯も軽く会釈をして「お願いします」と小さく返した。中年の男は颯爽と軽トラックの運転席に戻り、エンジン音を立てて走り去っていった。

軽トラックが家の前から離れていくと、佐伯は目をつぶりながら首や肩を回し、ため息を吐いた。

「よし」

佐伯は小さく呟いてからストッパーを外し、玄関へ戻り、ドアを閉め、鍵をかけた。

そしてポケットからキーケースを取り出して中の鍵を使って玄関に内鍵をかけた。

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