第1章 恵梨香 4
水道から流れる音と食器の重なる音が空間に響き渡っている。佐伯が朝食の洗い物をしている背中を見つめながら恵梨香はコーヒーを飲んでいた。
佐伯に言われた通りの量のミルクとガムシロップを入れたコーヒーは恵梨香の舌を満足させていた。恵梨香はコーヒーの入ったカップを見つめながら小さく「おいしい」とつぶやいた。しかし少しずつしかコーヒーを飲むことができなかった。朝食を綺麗に平らげてしまった恵梨香のお腹は膨れて苦しくなってしまっていた。
キュっと蛇口をひねる音がし、同時に水道から流れる音と食器の重なる音が鳴り止んだ。タオルで自身の手を拭きながら佐伯はテーブルへ戻ってきた。
「お口に合ったようで。最初の頃より顔色が良くなってますね」
恵梨香は佐伯の言葉に少し驚いて「そ、そうですか?」と慌てた返事をした。だが言われてみれば恵梨香自身多少落ち着きを取り戻して顔が少しほころんでいるような気がした。
佐伯は席に着くと自分の前にあるコーヒーの入ったカップを手に取りゴクリと一口飲み込んだ。恵梨香はその様子をまじまじと見つめていた。
「あんまり見られていると飲みづらいですね」
佐伯が苦笑い気味で言った。恵梨香はハッとして目線を下げて「ごめんなさい」と言った。
佐伯はふふと微笑を浮かべながらカップをテーブルに置いた。
指摘されてしまった気まずさを感じた恵梨香はしばらく佐伯のことが見れなくなってしまい、そのまま静かな時間が流れていた。
この場の気まずさを感じていた恵梨香は気まずさを打開するにはどうすればいいかと考えていた。何か話しかけなきゃと思うけれども何を話せばいいのかわからず、つい黙ってしまって膝の上で手をもじもじとしていた。ふと自分は人見知りであんまりおしゃべりが得意ではなかったんだろうか、などと考えていると「コーヒーが冷めてしまいますよ」と佐伯から声をかけられた。
恵梨香は少しビクッとして「あ、はい」と慌てて答え、自分の飲みかけのコーヒーの入ったカップを手にとって一口飲み込んだ。コーヒーを飲んで一息つくと、言葉を見つけたように「佐伯さんに入れていただいたコーヒーすごくおいしいです」と伝えた。
佐伯はふふと微笑んで「それはよかったです」と言い、「実は毎日出しているんですよ、恵梨香さんの好みの味を以前に確認してその味になるように出しているんです」と続けた
「あ、そうなんですか」恵梨香は持っていたコーヒーのカップを見つめた。その様子を見ながら佐伯は「毎日同じ味のものを飲んで、記憶のどこかで知っている味だって感じてもらえたら記憶を取り戻すきっかけになるんじゃないかと思いまして」と付け足した。
それを聞いて恵梨香は嬉しさで体が高揚するのを感じていた。恵梨香は唇を少し甘噛みしてから「ありがとうございます」と小さな声で伝えた。声色が少し明るくなる。
「どういたしまして」そう言って佐伯はコーヒーを一口飲み込んだ。そして微笑を浮かべながら「でも焦らなくていいですからね、今はただそれをおいしいと感じて飲んでもらえるだけで十分ですから」と伝えた。
恵梨香はまた唇を少し甘噛みしてから「はい、ありがとうございます」と言った。
恵梨香の顔からも微笑が浮かんでいた。
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