第31話 亜澄の推測

 恵子が元気になったらナナに会わせたい。亜澄が希望したそんな機会は、残念ながら訪れなかった。夜中に容体が急変した恵子は朝を迎えられなかったのだ。独り暮らしで家族がいない恵子のことは、それ以上知ることが出来なかった。恵子はあくまでも亡くなった患者の一人として扱われ、担当外の医師である亜澄に出来ることは何もなかった。


+++


 事が一段落したある日、ナナの様子を見ると言う名目で、亜澄は朱里とともに毬を訪ねた。自分の中のモヤモヤを少しでも晴らしたいと思ったのだ。母娘は彩の写真に手を合わせたあと、亜澄が切り出した。


「毬ちゃん、変なこと聞くけど、ナナって『ヤブ』って言うのよね」


 毬は焦った。朱里のお母さんに対して、とても失礼な言葉なのだ。


「すみません! そういう意味じゃないと思うんです。ナナも反射的に出ちゃったって言うか、何も判んなくて言っちゃったっていうか…」


 亜澄は微笑んで遮った。


「いいのよ。私は何とも思ってないから大丈夫。だって確かにナナにすれば、私、ヤブ医者だもん。でもそうじゃなくて、ナナのことを知りたいの」

「え、ナナですか。あれ以来『ヤブ』は言いませんけど…」


 朱里も母の言いたいことが判らず、ポカンと見上げている。


「『ヤブ』なんて言葉を喋る小鳥って、そうそういないと思うんだ」

「まあ、確かにそうかもです」

「他に1羽、いるのよ。いたって言うのが正確だけど」

「へ?」


「あのね、先日、私の病院で亡くなったお婆さんがいたの。その人、小鳥を飼ってたんだけど、逃げちゃったんだって。お婆さんだったから届けたり探したりはされなかったみたい。その子がね、『ヤブ』って喋ったって」


 毬は唖然とした。逃げた小鳥が『ヤブ』って喋ってた。それってもしかして…。


「もう一つあるの。ナナ、ウチに連れて来てくれた時に『ナンデヤネン』って言ったよね」

「は、はい。しょっちゅう言ってます」

「そのお婆さんね、関西のかただったのよ。普段は上品な標準語なんだけど、時々お茶目に関西弁が出るの。私もその方がテレビに向かって『なんでやねん』ってツッコんでいるのを聞いたのよ」


「小鳥もそれを聞いて覚えるかも…とか」

「そう。私もそう思ったの。多分お家の中なら、ひょこっと関西弁が出てもおかしくないよね。それを聞いて、小鳥が覚えたのかなって」


 確かに有り得る。だってウチじゃ誰も『なんでやねん』を関西イントネーションで喋れない。


「あの、その小鳥ってセキセイインコなんですか?」


 亜澄は首を傾げた。


「そこなのよ。はっきり判らない。実は私、そのお婆さんにナナが『ナンデヤネン』って喋ったことを話したのよ。その時お婆さんは『それはどんな小鳥?』って聞いたの。だから白と青のセキセイインコですよって言ったの」

「で、なんて?」

「それには答えずに泣かれてね。そのまま苦しくなってそれきり」


 マジ? 毬はショックを受けた。その毬の顔を見て亜澄は慌てて付け加えた。


「あ、でもね、お婆さん、悲しいだけじゃないって。無事で生きていてくれて嬉しいって」


 微妙だった。仮にナナがその人のペットだったとしても、もう返しようがない。無事に元気で育てることがそのお婆さんにとっても一番の供養になるかも知れない。そのお婆さん、あ? 毬は思い出した。


「あの。そのお婆さんって『あや』って名前ですか?」

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