第29話 病室のテレビ

 恵子の容態は一進一退だった。一日中薬で眠ることもあったし、調子がいいと起き上がってテレビを観ている。もはやターミナルケアと言っても良かった。その後も亜澄はそんな恵子の病室を時折訪れた。医師として出来ることはないが、家出した娘さんの代わりくらいはできる。混濁して間違われてもいいや。とは思うものの、テレビを観ている恵子の頭は明晰だった。


 病室に入るとテレビの音が聞こえて来る。大勢の笑い声。一緒に恵子も笑っている。いいことだ、笑いは病魔を追い払ってくれる。亜澄はベッドにそっと近寄って、一所懸命テレビを観ている恵子の後姿を眺めた。こんな穏やかな時間がなるべく長く続きますように。そう願わざるを得ない。


 番組はお笑いだ。亜澄も聞き入りながら眺める。すると声を出して笑った恵子が、続けて言った。


「なんでやねん」


 あれ? 思わず声を出した亜澄に気づき、恵子が振り返る。


「あら、先生。いらしてたんですか」

「あ、すみません。あんまり楽しそうに見てらっしゃるから声をかけそびれて」

「そんなの、用がある時は遠慮しないで声かけて下さいよ。どうせ年寄りの暇つぶしなんだから」


 恵子は笑ってテレビのボリュームを下げ、亜澄はベッドの傍らに近寄った。


「あの、今気づいたんですけど、古河さんって関西の方なんですか」


 恵子はお笑いのリアクションを真似たのか、両方の掌を開いて見せた。


「あら、ばれちゃった? ほんまはそうやねん。もう長い事帰ってへんけどな。医者の目ぇは誤魔化されへんなぁ」


 亜澄も笑う。こう言うウィットが関西のご婦人らしい。


「たまに出る関西弁って和みますよねえ」

「そーお?」

「ええ。ちょっと前のことなんですけどね」


 亜澄は思い起こして話し始めた。


「私の娘の仲の良いお友達が、家で小鳥を飼っていて、その子がカラスと闘ったそうなんです」

「ヘーぇ、カラスと」

「ええ。元々ベランダに落ちて来たツバメの子を狙ってたみたいなんですけど、その娘の友だちがツバメの子を助けようとして、いろいろしているうちに、隙を突かれてカラスが飛んで来たら、その小鳥が飛んで行ってカラスにぶつかって喧嘩になったって」

「あらー、偉い子ねぇ」


 恵子は感心しきりである。


「それでカラスと一緒にどこかへ行ってしまったのが、夜になって帰って来て、そうしたらボロボロだったって、娘のところに連絡が来ましてね。そのお友達は私が医者だって知っているので、小鳥を診て欲しいって、夜、連れて来たんですよ」

「神戸先生、小鳥も診るのね」

「いえ、勿論専門外だから判らないんですけど、そういう話だと断れなくて、仕方なく聴診器だけ当てたんです」

「ふうん」


「でもやっぱり医者って恐いんでしょうねえ、最初は大人しかったんですけど、急に騒ぎ出して、それでそのお友達に叱られてシュンってなった隙に診たんです」

「あーら。さぞ怖かったんだろうねえ」


 亜澄は頷いて続けた。


「で、終わってそのお友達の手の中にすっぽり入ってから一言だけ言ったんです。『ナンデヤネン』って」


 恵子はポカンとして呟いた。


「なんでやねん…」


「もう可笑しくって可笑しくって、私も娘もめっちゃ和みました。可愛いですよ、小鳥の『ナンデヤネン』」


 しかし亜澄の予想とは違って恵子は笑わなかった。


「神戸先生。その小鳥ってどんな小鳥でしたの?」

「えーっと、セキセイインコでしたね。白と青の」


 恵子は窓からじっと外を見つめた。

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