第25話 紹介者

 朱里の母・亜澄が勤める病院は地域医療の中核病院である。従って近くの病院や診療所から紹介状を持った患者や、緊急の患者が送られてくることは間々あった。


 古河 恵子(ふるかわ けいこ)はそんな一人だった。掛かりつけの医院から『ウチでは手が打てない』と送られてきた。しかしこの病院の担当医も半ば諦めている。年齢を考えると積極治療が却って寿命を縮ませかねない。投薬で延命してゆき、最期は苦しみや痛みの緩和ケアを中心にと考えているようだった。


 そんな患者・恵子の病室巡回が亜澄に回って来た。担当医が緊急手術でその代理だった。大まかなデータに目を通した亜澄は、看護師に聞いた。


「この開業医ってマジでこの名前?」


 看護師もくすっと笑って返す。


「なんですよ。ちょっと遠いのでウチでお受けするのは初めてみたいですね。苗字をそのまんま付けなくても良さげですけどね」

「そうよねぇ。地名とか明るい言葉とかで付ければいいのにね。藪クリニックって、冗談かと思ったよ」

「でも古河さんが仰るには評判のいいドクターみたいですよ」

「ふうん。じゃあ、その辺からお話をしてみようか」


 亜澄は巡回に出た。恵子は73歳。上品な顔立ちで、物腰は柔らかいが、ちょっと天然なご婦人だ。


「古河さん、初めまして。今日は根本先生の代理で来ましたよ。神戸と申します」

「あらあら女性のお医者さま。頑張ってらっしゃるのねえ」

「いえ。でも男性に話しにくい時は、私をお呼び下さいね。根本先生とは同じチームなので情報は共有していますから」

「有難うね。みんな優しいのね。あなた、神戸先生、ちょうど私の娘くらいのお歳だから話しやすいわ」

「娘さんがいらっしゃるんですか?」


 恵子はリモコンでベッドを起こし亜澄と向かい合った。


「『いた』って言うのが正確ね。ずっと前に家を飛び出しちゃってね、警察にもお願いして探してもらったんだけど結局判らずじまい。どこかで幸せに暮らしてくれてたらいいんだけれど」

「それはお辛いですね」

「本当に、一日たりとも後悔しなかった日は無いわよ。私が悪いんだけど、私も意地張っちゃってね。でも娘にとっては絶対許せなかった。あの日素直に謝って同じ向きで不幸に向かいあっていたらって、今でもずっと思ってるのよ。後悔先に立たずって本当よね」


「あの、何があったんですか? 聞かせて頂ける範囲で結構なので」


「本当は他人様にベラベラ喋るようなことじゃないんだけどね。もし私が死んだ後に娘が見つかったら、神戸先生、私の気持ちを娘に伝えて下さるかしら」


「そうならないようにするのが私の仕事ですけど、一応伺っておきます」

「良かったわ。あのね、娘が大切にしていた小鳥を私が殺したの」

「殺した?」

「殺意があったわけじゃないのよ。チョコをあげちゃったの。娘がいない間に」

「ああ…」


 亜澄は思い出した。小鳥や犬にとってチョコレートは中毒を起こす危険な食べ物だ。今でこそ周知の事実だが、ずっと前はそうでもなかったのかも知れない。


「娘からチョコはあげないって聞いたことはあったんだけど、単にダイエットとかの話と思ってたのよ。それにその小鳥も私がチョコをつまんでいるのを見て、ずっと前から欲しがってたのよね。だから娘のボディーガードをやってくれるならあげるよって言ってね」


「ボディガード? ですか?」


「と言っても娘に男の子が近づいたら騒ぐくらいしか出来ないけどね、カゴの中の鳥なんだから。でもそんなおまじないみたいなのを言ってね、こっそり食べさせてあげたの。念願叶って嬉しそうだったわよ。口の周りにチョコつけちゃってね、私の肩や手にピョンピョン乗ってくれた。でも小鳥は娘の部屋にいたから、そのあと具合が悪くなったことに、私、全然気づかなくて、娘が帰って来た時にはもう手遅れだった。カゴの床に横たわっていたの」


 恵子は天井を見上げた。


「チョコは駄目って言ったでしょ!って娘は切れたんだけど、私も逆切れしちゃってね。危ないとか聞いてないって。そんなだったらちゃんと言ってもらわないと判らないって。小鳥のことより意地の張り合いになって…。次の日の朝、もう娘はいなかったの。カゴの中の小鳥もいなくなっていたから、どこかに埋葬に行ったのかな。お腹すいたら帰って来るだろうってしばらく放っておいたのも甘かった。警察も事件じゃなさそうだから、後は本人次第だって。本当に最低の親だった」


 ずっと後悔を繰り返して日々を重ねて来たのだろう。全てを自分で背負いこんで生きて来られた。かける言葉がない…。亜澄も唇を噛んだ。


「でもね。淋しいばっかりじゃこっちが駄目になっちゃうでしょ。娘がひょこっと帰って来た時に、笑顔で迎えて抱き締めてあげないと駄目だから、あの子とそっくりの代わりの小鳥を飼ったのよ」

「代わりの小鳥…ですか」

「そう。娘の代わりって言った方がいいかしらね。ペットショップで小鳥の飼い方を聞いたら、老人一人でも何とかなるって。お散歩要らないし、ウンチの処理とかも簡単だし。それにその子、面白いのよ。ブリーダーさんからたくさん仕入れたら1羽多かったんだって。それも色違い。だからバーゲンにしてくれたのよ」

「へぇー、バーゲンですか」

「バーゲンっていい響きよねぇ」


 恵子はにっこりと笑った。病気と心の両方の痛みを抱えながらこんなに柔和な表情でいられるって、強い人だ。


「娘の代わりでもあるし、カゴも娘の部屋に置いてね。賢い小鳥だったけど、ちょっと前にその子まで家出しちゃったのよ。ほら、鳥って飛ぶじゃない、当たり前だけど。だからもう私らじゃ探せないのよ」

「逃げたってことですか?」

「そうなの。どうやって、どこから出て行ったのかさっぱり判らない。流石にこんなこと警察に頼めないでしょ」


 そう言って恵子は窓越しに空を眺めた。


「でもねえ、今思えばだけど、私が入院するって解ったのかしらね。だって独り暮らしの老人が入院しちゃったら、もう小鳥はどうしようもないものね。やっぱり賢い子だったなあって、ここに来てから思ったの」


 出来ることは殆どないって根本先生は言ってたけど、もしやこうやって娘さんの代わりにお話を聞いてあげることが延命に繋がるかも知れない。この人には長生きして欲しいな。亜澄は願った。

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