第1話 埋葬

 彼女は亡骸を埋めていた。真冬の深夜、市民公園の遊歩道から少し入った森の中である。さすがにこの時間になるとジョギングする人の姿も消え、木々の間から、か細い鳥の声が聞こえるだけだ。あたりは『しんしん』が降り積もる冷たい暗闇に包まれていた。


 道具は何も持って来なかった。だから穴は手で掘るしかない。手はすぐに土まみれになった。冷たい土は硬く、爪が剥がれそうに痛い。


 小一時間後、ようやく小さな穴が完成した。遊歩道の街灯に僅かに照らされた穴は、ただ黒々としているだけで、厳かさの欠片もない。彼女は唯一の荷物である普段使いのリュックからオルゴールを取り出した。幼い頃から身近だった品。一晩中涙に暮れた末に家を飛び出した彼女が、ひつぎ代わりになるかもと、咄嗟にリュックに放り込んだものだ。しかし彼女は哀し気に首を振る。幾ら小さな小鳥の亡骸とは言え、オルゴールには全く入らなかった。


『こんなことなら連れて来ればよかった…』


 彼女は机の上に残してきたセキセイインコのぬいぐるみを思い出した。彼女が中学生のころ手作りし、こっそり名前までつけて、ずっと大切にして来たものだ。この小鳥にも同じ名前を付けた。分身のように扱ってきたのだ。だから一緒なら、そそっかしかったこの子もほっとしただろうに。


 ため息が白く拡がる。仕方ない、そんな機転は利かなかった。これが今出来る限界だ。ごめんね、独りちながら、タオルハンカチに包んだ亡骸をそのまま穴の底に横たえる。彼女はふと、オルゴールの中に写真が入っていることを思い出した。あれをここに遺影として…、いや、ゴミになるだけだ。彼女はまた小さく首を振って穴に土をかけ始める。小さな穴だ。埋め戻しはすぐに終わった。墓標は立てない。誰かが好奇心で掘り返すのを防ぐためだ。


『生まれ変わって、いつか私のところに戻って来てね、ナナ』


 涙も凍りそうな森の中で、彼女は念じ、小鳥の墓に手を合わせた。


 立ち上がると、寒さで身震いがする。これからどうしよう。一日かけて、ひたすら歩いて辿り着いたこの森が一体どの辺りなのか、彼女は解っていない。この子をあんな目に遭わすような親の元には、意地でも帰りたくない。しかし行く当てもない。住宅地ではこんな夜中には店だって開いていないだろう。でも、差し当たって身体を温めないと凍えてしまう。


 市民公園を出た彼女の目に一台のワンボックスカーが目に入った。照明が焚かれ、何かの夜間作業のようだ。工事の人って意外と親切かも…。


 フラフラと車に近づく彼女を、冬の月が静かに、そして冷ややかに見下ろしていた。


 今から二十年も前のことである。

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