第5話(つづき2)
午前二時。朧気ながらも、圧倒的な現実の中をさまよって僕は帰宅し、ベッドに倒れ込んだ。疲れた。めまぐるしく日常が変化して、僕の心の平穏は崩壊していた。
数年かけて築いた籠城は、瓦解した。いとも簡単に。こんなことなら、会わない方が良かったのかもしれない。会わずに、僕の中で永遠にしておいて方がよかった。
キッチンへ向かい、換気扇の下の角に縮こまって煙草に火を付ける。冷静になろうと試みる。
深呼吸をしながら肺に煙を押しやる。そして、汚い感情と一緒に吐き出す。
でも、本当はずっと前から心のどこかでそうなんじゃないかなと思っていた。とっくの昔に崩壊していること。でも気が付かないようにしていた。そうでもしないと僕は僕を保てなかった。どこにこの感情を押し込めば良いか分からなかった。
思い出は少しずつ色あせ、感情は急加速で消えていく。永遠の感情なんてない。愛も恋も、悲しみも、苦しみも、あの頃のままになんてできない。蓋をしたって、少しずつ漏れていく。それで安住していた愚か者だ。それに気が付きたくなかったし、甘えていたかった。
それに、小泉さんは確かに、僕といるときが良いと言ってくれた。しかし、それも数年前の話になっていて、もはや、僕が作り出した小泉さんに縋っていただけだという現実を思い知らされた。そんなのは当たり前だった。分かっていて、それでも、もしかしたらという可能性にかけていた。
せめてあのときに、「良かったね」と、それだけでも言えていたら―――。
いや、言おうとした。幸せになってと言われて、喜びを分かち合うふりぐらいはしようとした。
でもなんだ。「絶対生きていればいいことあるから」。???
僕が幻想を抱いて生きていたことは分かった。この考えがいかに羞恥そのもので、気持ちが悪く、醜いということは分かった。恋人がいるのもいい。敵う相手とかそういう問題ではなくて、この考えの愚かさに気が付いた時点で、どうでもよくなった。しっかりと分断できた。
しかし、「絶対に生きていればいいことがあるから」。
この言葉だけは彼女の口から聞きたくなかった。この言葉が、今とこれからの彼女の全てを分からせた。あぁ、この人はそういう大人になっていくんだと悟った。もう二度と関わることはないし、二度と関わりたくないと思った。
―――冷静に考えてみればそれだけのことだった。
人は何かのきっかけで、まるで変わってしまうことなんて、慣れていたことじゃないか。僕が散々目の当たりにしていたことが、久しぶりに起こっただけだった。
キッチンの扉を閉める。
ベッドに横たわると全身が沈んでいった。目を閉じると、永遠に暗い深淵に潜っていくような感覚にとらわれる。純粋に疲れているのだろう。そうして布団に身を預けているといつの間にか眠っていた。
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