第2話

 それから一週間くらいが過ぎた。

ジャンボはバオズやの飾り付けにもすっかり慣れてしまって、今日がバレンタインの当日だということを忘れてしまっていた。

遅くも早くもなく、撮影所から引き上げてきた彼は、四合院の門を開けた瞬間に少しだけ不安を感じる。


 家の明かりがついていない。まだそこまで遅い時間でもないのに。

過保護だ、と自分の中の自分が言った。

だからなんだと言い返して、少し慌てながら扉の鍵を開ける。



「チョコ……バニラ……?」



 暗闇の中にジャンボは問いかけた。

すると、少しだけ闇が動いた。

なんだなんだとジャンボは明かりをつける。

すると、目を泣き腫らして寝台にうずくまった二人がいた。



「ど、どうしたんだ!?」



 今度こそ本格的に慌てて、ジャンボは二人に駆け寄った。

しかし、二人とも同時に布団を被って、無言のまま丸まってしまう。

何ひとつ分からないまま、ジャンボは二人の横へ腰掛けた。



「なにがあった」



 真剣な声は、余計に二人を傷つけた。

けれど、ジャンボには分かるはずもなく、チョコとバニラも、これ以外の方法はなかった。

なにも話したくない、そっとしておいて欲しい。

けれど、こもれる自分の部屋があるような時代でもなかった。



「なぁ……話せないことなのか?」



 ジャンボは困惑しきりで二人の様子を見守っていた。

なんとなく手も触れられなくて、呆然と寝台の端に座っていた。

そんな中、外から玄関の扉を叩く音が聞こえる。


 立ち上がったジャンボの気配を感じて、二人はばっと布団を避けた。



「行かないで」



 真剣な目は泣き疲れて赤くなっている。

ジャンボは首を横に振った。

彼らは必死に止めようとしたが、追いかけることは出来なかった。



「はい……」



 玄関を開けると、一人の女性が扉の先に立っていた。

誰だろうかと少し考えていたが、彼女の方から先に声がかかる。



「すみません、何度か伺ってたんですがお留守だったみたいで。こんなことで俳優さんのお宅を訪ねるのもどうかなとは思ったんですが……」



 ジャンボはなにかを感じ取り、後ろ手で玄関の扉を閉めた。



「門の外で話しましょう」

「え、まぁ、はい……」



 不思議そうな顔をする女性をとにかく四合院から離したくて、二人で入口の門をくぐった。



「人目につくようなところでいいんですか?」

「それより、ご用件は」



 ジャンボの冷たい声に少し後ろめたさを取り戻したのか、女性は視線を揺らして、やっと頭を下げた。



「その……私、朱克ヂュークーくん達の同級生の母なんですが……」

「うちの子がなにかご迷惑を?」

「いえ、その……逆です」



 目の前の若い父親に、半分丸め込むような声で彼女は言う。



「うちの娘のことを、朱克ヂュークーくんと子蘭ズーランくんが好きになってくれたみたいでしてね」

「はぁ」

「その……お菓子を娘が断ってしまったみたいなんです」



 ジャンボはまだ、冷たい目をしていた。



「それだけなら、謝りに来るようなことではありませんよ。子供同士の話ですから」

「いえ、それが……」



 誤魔化すように母親は笑う。

その笑顔に一切応えず、ジャンボは続きを無言で待った。



「娘が、俳優さんの息子さんだってこと知らなくて」

「俺の立場がなにか?」

「いや……」



 母親は追求の声に半分諦めたように、半分はウンザリしたように答える。



「お子さん、お二人とも孤児だったでしょう?だから、優しくするように私は娘によく言ってたんですよ。

そうしたらその優しさを好意だと息子さんたちが勘違いしたらしくて。

呼び出されてお菓子を渡されそうになったと」

「それのなにが問題あるんですか」

「なにが入ってるか分からないと、娘が嫌がったんですよ。そうしたら、お子さんたちがそこから一言も喋らなくなったって……だから、私もよく言い聞かせたんです。

あの子たちのお父さんは、この間あんたが見た映画の俳優さんなんだよって。

そうしたら、娘もやっと納得したみたいで」

「待って下さい」



 一見、謝罪のように見せかけた言葉は全て、針を浴びせて相手を黙らせるような言葉の連続だった。



「うちの息子たちが孤児だったから。だから、お菓子に何が入ってるか分からないと、そう娘さんが言ったということですか?」

「まぁ……そうですね」



 ジャンボは無言になり、ただ冷たい目で目の前の母親を見ていた。

やっと、母親はどこか不服そうだが、ちゃんと謝った。



「娘が失礼なことを言ってすみませんでした」

「……ちょっと、ここで待っていてくれますか」



 答えも待たずにジャンボは門を開けて、四合院の中に駆け込んだ。

チョコとバニラが止める間もなく、彼らのカバンを開けて、開封されてない綺麗な箱を二つ、勝手に取り出した。

やめろよ!なんて怒鳴り声が追いつかないほど、素早くジャンボは門の外に戻った。

その気迫に押されて、母親はつい、菓子の箱を受け取ろうと手を伸ばす。



「ちゃ、ちゃんと中身を見せます、娘に」

「その必要はありません」



 目の前で綺麗な包装紙をビリビリと破った。

リボンや包装紙の欠片が地面に落ちていく。

母親は驚き固まって、その姿から目を離せず怯えた。


 ジャンボは箱を傾けて、中身を全部自分の口の中へ流し込むように、ザラザラと落とした。

もう一つの箱も同じように、綺麗な包み紙を躊躇なく破って、バリバリ噛み砕く。


 理解が置いつかず、何も言えない母親に、ジャンボは静かに言った。



「俺は、あの子たちと出会った時、ただの工場のライン工でした。

あの子たちを養うために、より給料のいいスタントマンに応募して、たまたま俳優になっただけです。

待遇が工場の方が良くなったら、俺はいつだってライン工に戻ります」



 間髪入れずに、なにも受け付けずに、ジャンボは続けた。



「それか「俳優の江白ジアンバイ」なら分かりやすいなら、それでもいい。

娘さんに、目の前で「俳優の江白」が、中身の分からない菓子を全て食べたとお伝えください。

一応お話しますが、この菓子はちゃんとした店屋で贈答用のを貰ったものです。

彼らは中身に触れてすらいない。それだけです」



 母親はやっと理解して、なにか小声で言い訳しながらも、何度か頭を下げて、逃げるようにいなくなった。

ジャンボは空の箱を二つ手に持ったまま、背後の門を開けた。

すると、チョコとバニラが門の前に、二人で俯いて立っていた。



「……お前たちはなにも悪くない」

「知ってる」



 二人はなにも話さず俯くばかりだ。

声をかけようとしたジャンボをさえぎった。



「ジャンボだって悪くない」



 自分に言い聞かせるような声で二人は言う。

そしてやっと、彼らは泣き出した。



「……お前ら、だいぶ良い奴だよ」

「だって、ちゃんと、本気で好きだったから」



 悔しそうに泣きじゃくりながら、背中を押されて二人は家の中に戻った。

ジャンボが手にした空の箱があまりにもやるせない。



「フラれたら「あのブス」とか言うやつばっかだけど、俺、そんなの嫌だから」

「……凄いよ。大人だってなかなかできない人が多いんだ」

「優しくしたの勘違いしたって言われた。でも、違くて。ちゃんと好きで」

「分かってる。俺だって分かるよ。ちゃんと分かってるから」



 二人はずっと泣いていたが、一度も相手を罵倒するようなことは言わなかった。

それをジャンボは「凄い」と、本心から伝え続けた。

遠い昔、京劇の学校に「捨てられた」と言われ続けた自分にも、彼らのような葛藤は覚えがあった。

それでも「悔しいな」と言うと、二人とも首を横に振った。


 お前らならきっといつか幸せになれるよ、と、泣き疲れて眠りそうになっている二人に、そっと声をかける。

布団の上から軽く叩いて、落ち着かせるように一緒に横になる。


 もしかしたら二人とも今まで何も言わなかっただけで、何度もこんな目にあってきたのかもしれない。

気がつくのがあまりにも遅かった。けれど今だからこそ出来ることもある。

「俳優の江白」が、彼らの評価を覆せるなら、いくらでもなんでもやってやろう。


 そう心に決めて、収まらない怒りをなんとか封じ込めた。

きっといつか、変わる日が来る。きっと。

彼らの寝息をようやく聞きながら、ジャンボもまどろみに落ちてゆく。


 俺は親だ。親として彼らを守ってみせる。

当たり前の決意だと他人は言うだろうか。

それでも、ジャンボは胸の内で何度も繰り返した。

今までの分も全部俺が飲み込んでやる、と。

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