バレンタイン(夜光虫シリーズ)
レント
第1話
またバオズやがおかしなことになっている。
去年のハロウィンを知っている常連たちは、もはや驚きもせず、その飾り付けを見て笑った。
店に入って第一声、ピンクや赤色の飾りを見て客たちは口を揃えて言った。
「なんかいかがわしい店にくら替えしたんですか?」
「この街ごと焼き払ってやろうかな」
バニラやチョコと連れ立って来たジャンボだけは、異様な飾り付けを少し警戒した。
ピンク色のふわふわした羽のような飾りや、赤色のハートや、なんだかロマンチックな恋人のイラストが店前を覆う。
ヤバいのでは?と一瞬思ったが、チョコとバニラが「なんだこれ」と面白そうに笑ってるので、その姿に背中を押されて入ってしまった。
もしバオズやが消えて変な店が入っていたとしても、子連れなら追い返されるだろう。
なんて、最悪な考えはさすがに黙っていた。
それともうひとつ、バオズや店主がやべぇ格好で出てきたらどうしようとも思ったが……一生黙ってようと飲み込んだ。
店内までやけにキラキラした飾り付けになっているのに、そこに現れた店主はいつも通りの姿だった。
「これはね、いかがわしさじゃなくて可愛さ!!」
「いやぁ……ちょっと理解しかねます」
ジャンボはつい笑った。チョコとバニラはよく分からないままに楽しそうに飾り付けを見ている。
「今度はなんのお祭りやんの?」
「お、さすがチョコ。よく分かってる」
店主は「特別メニューだよ」と言って、これまた上品だか可愛さだかいかがわしさだか分からないデザインのメニュー表を取り出した。
「チョコまみれじゃん!」
「そうそう。チョコレートケーキにホットチョコレートに、チョコソースがけのチョコミルクに、チョコをかけたバナナのソテーに、アイスにチョコレートかけたやつに」
「俺じゃん!」
「よくぞお気づきで。バニラアイスにチョコソースかけたやつ」
「ジャンボが作ってくれたやつだ!」
「なんだって!?」
店主は本気で驚いてジャンボの顔を見た。
照れてつい視線をそらしながら、ジャンボは言い訳のように言う。
「いやー、まー、その。俺ができる範囲でですよ……先月の末あたりに、二人の誕生日だったんで。それに合わせて……」
「あぁ、まぁ、それは聞いてたけどさ。だから
「できる範囲で!ですから。バオズやさんに教えてもらったレシピも助かりましたよ。ホットケーキも作れました」
「とんでもねぇお父さんだ。もし役者を辞めることになったらウチに来なよ」
「縁起でもないこと言わないで下さい」
ジャンボは溜息をついたが、チョコとバニラはなんだか誇らしいのと照れくさいのとで、話題を逸らすようにメニュー表を二人でのぞきこんだ。
「めちゃくちゃメニューあるじゃん。でもなんで全部チョコレート使ってんの?」
「俺のお祭り?」
「そうっちゃそう」
「テキトーだなぁ」
「説明がなかなか難しいんだって。
でも、またバオズやが変なことやってるってなったら、アンタらは食いつくだろ?」
「うん」
「素直でよろしい」
店主は説明のために一呼吸おいて、聞かれたらどの部分を話そうかと頭を悩ませていた記憶を辿る。
「まず、このお祭りの名前はバレンタイン。大抵は女性から男性へだけど、好きな人にチョコレートをプレゼントして告白するっていう祭りなんだよ」
「俺がプレゼントされる……」
「チョコはちょっと黙ってなね。このバレンタインの起源はともかく、もう「好きなやつにはこれを機に告白してしまえ!」っていう、背中を押すお祭りだと思えばいいよ」
「やっぱりいかがわしい店になったんですか?」
「ジャンボも黙ってろよ」
菓子業界の策略だとか、セント・バレンタインだとか、そういうのは一切濁して、お祭りの部分だけ切り取り店主は笑う。
「チョコとバニラも、好きな子がいるなら、これを機にどう?」
「えぇ!?だって女性から男性って言ったじゃん」
「そんなんどっちでもいいんだよ。お祭りだから」
「テキトーだなぁ」
「祭りなんてどこもそんなもんだよ。ハロウィンもそうだっただろ?」
「そうだっただろ、って。バオズやさんしかそんなのやってなかったですよ」
「いいからいいから。ジャンボくんも、意中の人がいるならね。買っていくといいよ。贈答用のも何種類か用意してるから」
「いらないです」
「いやー、くそ真面目」
なんて会話をしてるんだと、ジャンボは額に手を当てて、肩を落とす。
しかし、チョコとバニラはなんとなくソワソワしていた。
「好きな子にプレゼントか〜……」
「誰かいんのかよ」
「お前こそ」
「い、いねぇし!バニラこそ」
「いねぇよ!なんだよ、そんなの!」
店主はにこやかに二人を見ていた。
ジャンボは半分は驚きつつも、半分はやはりにこやかに二人を見つめる。
「バオズやさんに感謝しないとですね」
「おお、いくらでも。上から下まで買ってってくれても」
「じゃあそれでお願いします」
「……親バカもいい加減にしなね?」
なんやかんや、目当てのいつもの
「持ち帰りはあんまり推奨してない……」なんて弱気な声に笑って、ジャンボはチョコとバニラの方を振り返る。
二人は頷いて嬉しそうにテーブル席に勝手に腰かけた。
ジャンボも遅れて彼らを追って席に着く。
「本当に変な店だよなぁ」
「楽しいからいいんじゃね」
「俺のお祭りだし」
「確かに。俺も頑張ったけど、本職には負けるよ」
「そういうこという。美味しかったよ、ケーキ」
「ホットチョコも」
「レシピをここで教えて貰ったんだけどな」
「いいじゃん。嬉しかったから」
バニラはそっぽを向きながら、ぶっきらぼうに言う。
チョコもすぐに頷いた。
ジャンボは照れながらも「ありがとう」なんて言って、なんとなく、普段は話題にもあがらない恋バナみたいなのに流れていった。
「お前らさ、好きな子とかいるのか?」
「な、なんだよ!いねぇよ!」
「なに笑ってんだよ」
「普段、こういう話しないから。お前らも恋とかしててくれたらいいなぁって」
「ジャンボに言われたくねぇ〜」
「ジャンボは、だ、誰かいないのかよ」
「俺?」
ふと、過去の記憶がよぎる。
恋のことなんかで思い出すのはもっぱら隣人の娘さんとの会話だった。
もう彼女も人妻だ。ちょくちょく旦那さんも含めて謎の食事会を庭で続けているが、二人共幸せそうで、それにほっとする自分のことを思い出していた。
たぶん、未練が少しもなくて、その事に多少の罪悪感を覚えるくらいに、自分の恋愛観は錆び付いている。
「好きな人ねぇ……いたら楽しいんだろうな」
「あの人は?ジャンボの顔に化粧塗ってた人」
「言い方な。あの人は強くて良い人だよ。たぶん、俺なんか眼中にないよ」
「……ジャンボをとらないで、って言ったこと。まだ、そのせいで、悩んだたりする?」
「いや?」
ジャンボは笑った。
「言ったろ。俺じゃ無理ってだけの話なんだ。
だから、もしお前らが好きな子とか出来て、俺の分まで幸せになってくれたら、嬉しいなって思ったんだ」
なにか言い返そうとした二人の言葉に割り込むように、店主が包子とデザートをもってテーブル席へ現れた。
「はいはい。ジャンボくんはね、いい加減子供を身代わりにしないで、世間とちゃんと関わろうね」
ドキリとしてジャンボは言葉を失った。
テーブルに並べられたのは、いつもの包子や豆乳と、キラキラとしたデザートばかりだ。
店主は余計な気を回し、チョコとバニラに小さな箱を手渡した。
綺麗な包み紙の中身はきっとチョコレートだろう。
「サービスしてやるよ。好きなやつにあげてもいいし、自分で食べてもいいからね」
とは言いいつつ、ジャンボには手渡さなかった。
彼は彼で、なにかと決着をつける必要があるのだろう。
ジャンボが初めて店に現れた日、愛だの恋だの、そんな話題を振れるような客には到底見えなかった。
酷くやつれて、見た目もボロボロで、その一切を気にすることもなく、メニュー表が読めないから適当に包んでくれと、彼はなんの感情もなく言った。
その日からずいぶん時が流れた。
こうして生きているだけでも、ジャンボにとってはとんでもない進歩なのだと思う。
チョコとバニラは綺麗で小さな箱を見てギャーギャー騒いでいたが、店主は知らんぷりして厨房へ戻っていった。
「こんなのいらねぇもん!」
「サービスなんだから貰っとけよ。自分で食べてもいいって言ってただろ?」
「なんだよその顔!ジャンボのくせに!」
「俺はお前らと違って大人だから」
「嘘つけ!バカジャンボ!」
賑やかな店内に、また常連が現れる。
テーブル席の家族を見ても、常連はからかうように店主に言った。
「いかがわしいサービス始めたの?」
「おお、その口二度ときけないようにしてやろうか」
ジャンボは溜息をつき、チョコとバニラはそんなやり取りも聞こえず、二人で喧嘩が始まりそうな勢いで騒いでいた。
でも、ジャンボが包子を食べ始めると、渋々と言った感じで、二人も食事を始める。
いつも通りうまい飯と、食べたこともない甘く美味しいデザートに丸め込まれ、なんだかんだ帰る時には二人とも渡されたチョコの箱を持っていた。
ジャンボは少しだけ、チョコの様子を気遣ったが、それもいらない心配のようだ。
彼らはたぶん、誰かに渡すことをとっくに心の中で決めているのだろう。
その頭を撫でた。
「お前らも大きくなったよ」
「なんだよ突然」
「ジャンボの背、越えてやるからな」
「そうしたら俺はジャンボじゃなくなっちゃうな」
「それか全員ジャンボ?」
「可能性はあるな」
それでもまだ、なんとなく幼い彼らと家路につく。
本当に自分の背を越えてくれるかもしれない。
感慨深さにジーンとして、ジャンボは勝手にその日を思い描いた。
「バカジャンボ」とチョコとバニラが口々に言う。
いつまでも、彼らも子供ではない。
そう分かっているけれど、どうしても幼く見えてしまうのはエゴだろうか。
「2月14日だってさ。バレンタイン」
「知らねー」
「関係ないし」
なんて言いつつ、机の引き出しにチョコレートをしまい込む二人の姿を見てジャンボはつい笑う。
笑顔がバレてしまった。決闘が始まった。
受けて立ってやるとジャンボもチョコとバニラも庭に出る。
いつかこれも負ける日が来るのだろうか。
そう笑いつつ、片手で攻撃をふせぐジャンボに、チョコとバニラは悔しそうにジタバタした。
隣人も微笑ましくそんな三人を見つめていた。
変なバオズやについ行ってしまって、よく分からない説明を受けたことも思い出しながら。
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