0.0.別れ


 一つ、美しい日本刀が光を反射している。

 それは鍔も柄も外されており、まだ水が刃を伝っていた。

 とても長いどうらん刃の波紋が美しく浮き出ており、刀身彫刻が鍔元から切っ先に至るまで彫られているものだ。

 精巧すぎる技の結晶が成した一つの美術品である。


 一人の男の手によって磨かれた刃は不穏な気配を完全に消し飛ばし、これこそが己の本来の姿であると誇示しているようだ。

 長く伸びている刀身の刃渡りは四尺ほどだろうか。

 とてつもなく長い日本刀だ。


 これを本当に扱っていた人物がいたというのだから面白い。

 実際に戦っている姿も見たし、様々な物を一太刀の下で切り伏せるところも見てしまった。

 凶悪すぎる切れ味を有した日本刀はまさに最強の武器である。


 研ぎ終えた日本刀を切っ先から見ていき、最後になかごが目に映る。

 手で握っているところではあるのだが、そこに名が刻まれていた。

 少し手をずらし、その名前を今一度この眼に納める。


流々慟哭りゅうりゅうどうこく無切金重むきりかねしげ


 面白い名を刻まれた日本刀だ。

 その本来の意味を男は知らなかったが、この日本刀を振るった男はこの名の意味を完全に無視していた。

 それがこの日本刀の願いであり、本当の意味であったからだ。


 彼らには性格があり、使われ方があり、願いがある。

 人の生死を分け隔てる存在ではあれど、自由に切り捨てる権限はない。

 ではどういう意味で打たれた日本刀なのか、どういう扱い方をしてやらなければならないのか。

 それを決めるのは使い手だ。

 その使い手の人生が、先ほどこの日本刀を研いだ男の中に流れ込んできた。

 だからこそ、研げたのだ。


『小僧』


 酷く低い、しゃがれた声が聞こえた。

 だがこれは自分にしか聞こえていない声だ。

 今手に持っている日本刀を今一度しっかりと目に焼き付け、コクリと頷く。


『いや、呪イ研ぎノ研ぎ師ヨ。感謝すル』


 その言葉を最後に、手に持たれていた日本刀は次第に消えていく。

 手に持っている感覚がなくなった。

 何度か握り直してみるが、拳の間にあった空気が逃げていくだけで既に何もない。


 これで良かったのだろうか。

 そう思っていたが、最後に感謝されたことでこれが正しい行いだったと証明してくれた。

 気遣いができる日本刀というのは、彼が初めてかもしれない。


 小さな粒子が完全に消え失せるのを最後まで見届けた後、男は膝をついたまま後ろを振り返る。

 そこには一人の老人と、白髪の女性と、小さな子供が立っていた。

 彼らも、あの日本刀を見届けたようだ。


「……テール」


 老人が腰の日本刀を鞘ごと抜いた。

 片手で持ち、勢いよくバッと男に手渡す。


「頼む」

「……はい!」


 老人が手渡してきた日本刀を、両手で丁寧に受け取ったあと、テールは静かにその日本刀を抜いたのだった。

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