第0章 幼少期

0.1.テール・テコルテッド


 霞のかかった山が見え、大きな木々が森を形成し、鮮やかな鳥や水を飲みに来る鹿などが日常的に見ることができる自然豊かな恵まれた土地に、小さな村が点在していた。

 この辺りでは霞のかかった山があるなど普通の事なのだが、開拓が行われている国や街では建物群が邪魔してこういった様子を見ることはできないだろう。


 近くには川もある。

 水を求めて動物もやってくれば、危険な魔物も現れたりするが、それが村を支える貴重な資源になっているという事は間違いない。

 村人たちは森の恵みに感謝し、食事をする時は必ず手を合わせてから食べるように、子供の頃から教えられている。


 それは最近この村に生を受けた子供も同じで、本当に小さい頃から手を合わせてから食事を取るように躾けられるのだ。

 ここ、イタール村に数ヵ月前に産まれた赤子、テール・テコルテッドは、両親以外の村人たちからも可愛がられ、助け合いながらその成長を見守られていた。


 そんなテールはすくすくと育ち、四歳になった。

 その辺りから、父親の日課である素振りに参加し初め、ことあるごとに同じ事を言うのだ。


「僕もお父さんみたいな冒険者になる!」


 それを聞いて父親は苦笑いを浮かべるものの、「そうかそうか」と言っていつも頭を撫でてくれていた。


 この時のテールは分からなかったが、父親としては危ない世界に足を踏み入れて欲しくはなかったのだ。

 それでも毎日剣を息子に教えるのは、何かあっても大丈夫なように、自分を守れるだけの力だけは身につけて欲しかったからである。


 父親であるリバス・テコルテッドは昔、名の知れた冒険者であった。

 名の知れた、とはいうが活動していた冒険者ギルドで少し目立っていたというだけだ。

 だが男というのは見栄を張りたい生きもの。

 その時の事をテールに話すと凄い勢いで食らいつき、うんざりするくらいしつこく冒険譚を聞かせてくれとせがまれたものだ

 今になってそれは失敗だったなと思いつつも、やはり父親の背中を追いかけようとしてくる息子の姿は微笑ましく、ついつい冒険譚を話し、憧れを肥大化させてしまうのだった。


 しかし、母親であるレアリー・テコルテッドはそのことに関して怒りを露わにしていた。

 レアリーも自分が産んだ息子を危険な場所に行かせるなどさせたくないことだったからだ。


 だがレアリーが何度テールに注意しても、テールは剣を手放さなかったし、リバスの後ろを離れることもなかった。

 何故そこまで拘っていたのかは自分でもよく分かってはいなかった様ではあるが、幼いながらにも何か考えがあったのかも知れない。

 最終的にはレアリーが根負けするといった形に落ち着き、自分を守れるだけの剣術は覚えさせてもよし、ということになった。


 だがそれでも冒険者になる事だけは許さなかったようで、冒険者を諦めないのであれば、剣を握ることすら許さないと言われてしまった。

 非常に不服ではあったが、テールは渋々それに承諾した。

 家の近くにある木の根で膝を抱え、少しばかり落ち込んでいるテールに対して、リバスはできるだけ明るめの声で話しかけてくれた。


「ま、そもそも神託を授からなければどのみち冒険者にはなれないだろうけどな」

「……? しんたくってなに?」

「十二歳の誕生日に教会に行くと、神様がスキルを授けてくださるんだよ。その貰ったスキルの中から好きな職業に就くというのが、この世の習わしなんだ」

「?」


 四歳のテールにとってはあまりよく分からない内容であった。

 だがそんなテールでも、十二歳の誕生日に何か特別な物が貰えるということだけは理解することができた。


「じゃあ、お父さんはどんなスキルをもっているの?」

「俺か? 俺は農民、剣士、鍛冶師だな。昔は剣士のスキルを活かして色んな土地に赴いて人々を助けたもんだ!」

「すごーい! 僕も、僕もお父さんみたいなスキルもらえるかな!?」

「親のスキルを子供は継ぐと言われている。良い子にしてれば欲しいスキルが手に入るさ」

「うん!」


 あと八年。

 子供にとってはとてつもなく長い時間ではあるが、その間にできることは沢山ある。


 欲しいスキルがある者は、十二歳になる前に様々な修行をするらしい。

 剣士であれば剣を振り、農民であれば畑を耕し、商人であれば勉強をする。

 勿論その努力が報われない可能性も大いにあるが、それでも努力すれば報われると考えられているため、皆がそれぞれに修行をするのだ。

 テールもその一人であり、リバスの話を聞いてからはより一層剣を振るようになった。


 そんな時である。

 いつもなら修行を見てくれるはずのリバスが見当たらなかったのだ。

 どこに居るのだろうと家中を探し回った結果、リバスは家の裏で自分の剣に石をあてていた。


「お父さん、何してるの?」

「ん? ああテールか。まあ見てみればわかるよ」


 リバスにそう言われ、テールはとてとてと近づいて隣に座る。

 彼は片膝を地面に着けた状態で足に剣を置いていた。

 剣先は地面に付いているが、そこには薪を置いているので切っ先は地面に触れていない。

 手には拳大の石が握られており、水が滴っていた。

 その石を、自分の持っている剣に当ててスライドさせている。


 シャーッ、シャーッという音を鳴らす度に、剣が少し白くなった。

 くすんでいた鉄が輝きを取り戻しているのだ。


「なにこれ?」

「これはな、研ぐ、という作業だ。剣は使えば刃こぼれして切れ味が落ちる。それを今直してる最中なんだ」

「へー……」

「……冒険者には必要な知識だぞ?」

「! 僕もやる!」

「よっしゃ、自分の剣持って来い。あ、いや……それだとお母さんに怒られるから、お母さんの使ってる包丁を持ってきなさい」

「わかった!」


 言われた通りにレアリーが毎日使っている包丁を持ちだしてリバスの隣に座る。

 リバスが新しい石を取り出し、それを水の入った桶の中に沈めた。


「これはな、砥ぎ石っていうんだ。砥ぎ石に水を飲ませてから研がないと、刃物が火傷しちゃうからな」

「石がお水を飲むの!?」

「驚いたか? 俺はこの二つの砥ぎ石だけしか持ってないからこれだけで研ぐんだが、職人はもっと色んな砥ぎ石を持ってるらしいぞ」

「へー! それ全部お水飲むの?」

「らしい。水を飲ませずに研ぐ場合もあるらしいけど、俺はその辺はよく知らん。なんせ、研ぎなんてやってもらわなくても自分でできるからな!」


 そのまましばらく砥ぎ石を水に浸け、充分に水を含ませてから手に持った。

 まずはリバスがお手本を見せるようにして、包丁に砥ぎ石を当てて研ぐ。

 剣の様に長くはないので、柄をしっかりと持って石を刃に当てるだけ。


「大体こんな感じだ。ほい、怪我するなよ」

「はーい!」


 今度はテールが包丁を握り、砥ぎ石に当てて研いでみる。

 先ほど見た動きを真似して、ジャッジャッと研いだ。

 その小さな手に、その包丁は些か大きすぎる様でなかなか様にはならなかったが、それでもリバスは注意する事もなく懸命に包丁を研いでいるテールを見守っていた。


 一方テールは、いつ止めればいいのか、どれくらいやればいいのか分からず、ただただ研ぎ石を動かしてリバスが何か言うまで研ぎ続けた。


「ねーあなたー? 包丁知らないかしらー?」

「!!? やっべ! テール! 包丁貸せ! バレたらまた怒鳴られる!」


 テールもレアリーが怒ったときの怖さは知っているので、すぐにリバスに従って包丁を手渡した。

 リバスは包丁を持って家の中に入り、包丁を探しているレアリーの所まで歩いていく。

 本当はテールが研いでいたけど、自分が暇だったから研いでおいたという言い訳をして、その場を何とか誤魔化すと、すぐに家から出てきてまた自分の剣を研ぎ始めた。


「……テールに研ぎを教えるのは至難の業かもしれん」

「しなん?」

「ビックリするくらい難しいって事」

「……うん」


 まだ幼いテールではあったが、母親であるレアリーの目を盗んで時間の掛かる研ぎを教わるのは、確かに難しいと感じていた。

 なので、取り敢えず今はリバスが剣を研いでいるところをしっかりと観察することにした。

 見ているだけだと簡単そうに見えるので、これなら普通に真似をする事ができそうだと考えながら、リバスが剣を研いでいるところをじーっと見ているのであった。


 じっと見られているためかその速度はゆっくりでとても丁寧に感じられたが、テールとしてはこの方がじっくりと観察することができたので満足していた。


 時々たわいもない話をしながらではあったが、リバスが手を止める事は決してなかった。

 しばらくして夕食の時間になり、二人は一緒に道具を片付けてから、家の中に入っていったのだった。

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