資料② 年表 2030年~2045年


2030年


九月 神奈川、山口に敵機襲来、空自がぎりぎりのところで迎撃、被害は出なかった

   ものの、本格的に改憲、軍事行動をしやすくしなくてはならない状態となった

   (山口空襲未遂)(神奈川空襲未遂)

十月 小坂総理が病死、自民党の大阪雀が、女性初の総理大臣となる

十一月 空がロシア軍に入る、空が三歳

十二月 国際会議で、米を始めとした各国が、同盟や連合を組み、新たな国名で軍事   

    侵攻を開始することを発表。

    国名を変えたのは、国の歴史に傷をつけたくなかったからを大義名分とし、

    戦後の問題を無視するため

    (戦後はその国を破棄し、戦中に起こったことは、崩壊した国の責任だから

     関係ない、と言い張るため)

    (WHS協定条約、締結)


2031年


一月 日本もそれに賛同し、一時的に日本ではなく、桜日帝国とすることで憲法を無

   視し、戦闘を行える状態とした、無論野党が黙ってはいなかったが、国民投票

   で、賛成意見が七割を占めたため実施

三月 WHS結成、本格的な攻撃作戦を各国が開始した

三月 日本桜日軍を用意、自衛隊と共同で訓練を開始し、実戦に備えた 

   (一期生訓練開始)


2033年


九月 『F3支援戦闘機心神』が配備開始、戦後初の、日本国産ジェット戦闘機が誕生した第五世代と言われるが、性能的には第六世代と同等かそれ以上とされる


2035年


六月 米露英中での共同大規模作戦を開始

   世界中が、これで戦いは終わると確信した (ホープ作戦)開始

十二月 米露が多くの兵器と人員を失い大打撃を受ける (ホープ作戦)失敗


2036年


一月 露が単独で北極奪還作戦を開始 (ピィエルン作戦)

三月 ロシアが甚大な被害を受ける (モスクワ大空襲)

五月 米が、再びオーストラリア攻略を始めるも敗北、主力の空母と駆逐艦を多数失

   い軍事力は一気に低下 (第二次アセアニア攻防戦)大敗北

九月 米英は、参戦せずに後方支援を行ってきた独と日に

   WS(ウェポンスピリッツ)の話を持ち掛け、共同で研究を開始

十一月 大阪総理辞任、自民党の大杉明太郎が就任


2037年


十月 空、日本に亡命 (千歳空港事件)

   ロシアがWHSの作戦から全面的に脱退し、独自に戦争を進め始める

十一月 世界中の国が、WSの研究をひそかに開始


2038年


四月 世界で初めてのWS、『零戦』のキューブが完成し、機体の生産が始まる

四月 『大和』のキューブが完成し、異常質力を感知、人格が存在していることを

   確認、psの開発が始まる。

八月 米露の軍事力が復活、再び作戦開始 (第二次ホープ作戦)開始

十二月 今度は米露英中すべてが大打撃を受け敗退、史上最悪の作戦と言われる

   (第二次ホープ作戦)失敗


2039年


四月 国際会議で独日にも参戦を要求、英米の首相が土下座して頼み込んだのが話題となる、独は参戦を決意、日は、ひとまず準備だけはすると約束した

六月 WS、イージス戦艦、新たな空母の作成を決定、立憲民主党は、今回ばかりは

   しょうがないとしてそれを認める。

   緑の党は断固反対、だが強行採決で決定、この段階ではまだ戦争に参戦するか

   どうかは悩んでいた

八月 急速な軍拡によって、一時期税金が12%、公共福祉の減額、など、経済が厳

   しい状態が、暫く続く (軍拡ショック)

十月 psが完成し、初めてwsとの会話に成功


2040年


八月 大杉総理の「戦争の準備を」と言う発言が大炎上し、反戦主義たちに

   暗殺される (八・二事件)

八月 自民党から大澄誠也が就任

九月 各学校や会社で空襲の避難訓練が開始


2044年


三月 訓練兵十一期生の最終遠征訓練開始 

九月 長野県の山奥に位置するレジャー施設、及びその一帯の山をWASが占領

   その後、とある部隊のおかげでWASを排除、人質を無傷で全員解放

   (長野占領事件)


2045年


三月 インドとの共同演習から帰投していた『こんごう』を旗艦とした艦隊が

   南シナ海で、機雷をばらまくWAS軍と接敵し交戦。

   だが数で勝っていたWASに押し切られ『こんごう』撃沈

   『みょうこう』大破、その後、雷撃処分

三月 『こんごう』の敵討ちに、姉妹艦である『きりしま』『ちょうかい』が

   掃海艇を連れて南シナ海に出撃、だがすでに機雷は撒き終わっており

   南シナ海は機雷地獄と化していた

四月 機雷の除去を進めていた艦隊が、マニラで補給を受けている最中、敵航空機の

   攻撃を受け『きりしま』と掃海艇数隻撃沈

   その後『ちょうかい』は、掃海艇を連れて日本に緊急帰投、だが帰投中に

   敵艦体と接敵、反撃が可能な『ちょうかい』が囮となって、掃海艇たちを逃が

   すも、四隻の護衛艦に勝てるはずなく撃沈、生存者は十名に満たなかった

五月 南シナ海事件を受けて大澄総理と防衛大臣の小堀さんは戦争を決意。

   それを発表すると反戦主義のデモが拡大するも、約200機の爆撃機が和歌山

   に殺到、関西の空自と護衛艦が対応したが全機は防げず、二機の投弾を許して

   しまう。

   死傷者は出なかったが、国民に恐怖心を植えつけ、デモは縮小化していった

   (以上の流れを 南シナ海事件)


八月 桜日帝国、『大和』就役、ハワイに向けて出港。

 

 ———ウェポンスピリッツは未来に継げる!第一章 我が名は大和に続く。

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