第9話

 葬式の日が来た。

喪主はもちろん江白なのだが、全てを取り仕切ってくれていたのは隣人だった。

江白は新しく仕立てた黒いスーツを身につけて、ぼんやりとしていた。


 参列者はそう多くない。

身内を亡くした人ばかりで、そこら中で葬式が行われていた。

合同で葬式を上げた人たちも少なくない。

切羽詰まった状況だが、江白はただ、二人のことだけを考えたくて、それは選ばなかった。


 小さな棺がふたつ並ぶ。

その中を江白は見ることが出来なくて、どうにもならず、椅子に座っていた。

泣き声がちらほら聞こえる。

江白はどうして涙が出ないのか、少しだけ考えたが、思考もうっすらぼやけていく。


 棺を運び出す時が来た。

これから火葬に移るらしい。

なんで、と、江白は思ったが、ここからは葬儀社任せだ。

霊堂への安置までも数日かかると聞いた。

それほどまでに火葬場が混んでいるらしい。


 参列者が帰って行く中、江白はまだぼーっとして、同じ椅子に座り続けていた。

隣人がその腕を引き、彼を立たせた。



「帰るよ」



 式場では次の葬式がもう始まってしまう。

職員たちが片付けと搬送を同時に行っていた。

理解がどうしても追いつかず、江白は頭を抱えた。

目を閉じることさえできない。

汗が額を伝って、床に点々と落ちた。



「ちょ、ちょっと!ジャンボ!」



 背の高い体がゆっくり揺れて、まるでお芝居の中みたいに、膝が力を失ってガクリと折れる。

視線が宙を漂う。呼吸は定かでない。

床を間近で見たのを最後に、ジャンボの意識は途切れた。


 次に気がついた時には四合院の中にいた。

全部夢だったのだと、江白は思った。

だって、チョコとバニラの机はいつも通り散らかってて、何度言っても怠けて脱ぎっぱなしのズボンが床に落ちている。

カバンは引きずった跡があり、多少それに怒ったことも思い出す。


 江白はチョコとバニラを探して立ち上がった。

外に出ると、陽気が眩しくて、めまいを誘った。



「ジャンボ!」



 江白は声の方向へ顔を向けた。

そこに立っていたのは隣人だけだった。



「良かった……目が覚めて……」

「チョコとバニラを見ませんでした?」



 隣人はゾッとしたように顔を青ざめさせて、少しだけ言葉に迷って、江白に答える。



「ここ数日、熱でずっとアンタは倒れてたんだよ。その間に霊堂から連絡があった。やっと、二人を納骨棚に入れてやれるってさ」



 真っ向からの言葉に、江白はまた、目が回るのを感じた。

意味がわからない、そう声は思考を刈り取って、現実を酷く拒む。

そんな彼の腕を隣人は掴んだ。



「ちゃんと弔ってやるのが、アンタの最後の仕事だよ」



 江白は瞳をふるわせて、言葉にならない声を出し、ゆっくり頷いた。

どうして涙が流れないのだろう。

そんな疑問を再び抱きながら。

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