第7話

 大破したトロリーバスは大きな炎を広げ、黒煙で空を覆った。

近くの建物はとんでもない速度でえぐられて、火の手にも蝕まれている。

のちに、こんな大事故は初めてだと市長は語った。

犠牲者に哀悼の意を表します、なんて、簡単に言ったものだ。

どうしてそんな言葉を早々に言えるんだと思いながら、くだらないとささやく自分の声も聞く。


 暴走する車体に轢かれたり、爆発に巻き込まれて吹き飛ばされたりした人々は、原型を残さない人も多かった。

学校の近くだったこともあって、多くの学生が命を失った。


 その瞬間、ジャンボはいつもの通り、撮影所で仕事をしていた。



「ちょっとラジオ!大変ですよ!ラジオ聞いて!」



 そんな焦った声とともに、撮影スタッフの一人がカメラをさえぎって、ラジオを抱えて現れた。

監督はかなり怒ったが、すぐに事態の重大さに気がつく。

ノイズ混じりのラジオの声は、トロリーバスの事故を断片的に伝えていた。


 その場にいたほぼ全員が、家族の安否を思い、しんと黙り込む。

凍りついた空気の中、ジャンボが震えた声で言った。



「帰ります」



 たったの一言で、撮影所の面々は呼吸を取り戻す。

仕事と家族を天秤にかけ、どうしたものかと、全員がまだ考えあぐねていた。

ジャンボ以外は。



「江白さん!まだちょっと待ってくれませんか!様子をみてから」



 背中を追う声にジャンボは一切答えないまま、撮影所を後にした。

無視したわけではない。

本当に何も聞こえていなかった。


 ラジオが示した場所は、チョコとバニラが通うすぐ側の通りだ。

ちょうど下校時刻にも重なるくらいの頃に、まるで狙ったのかのように大事故が起きた。

そのせいで撮影所付近のバスさえも運行をやめていた。

三輪タクシーはどれもこれも、すでに人が乗っている。

向かおうとしてるのはみな、同じ方向だった。


 ジャンボは迷わず撮影所近くにある自転車屋に駆け込んだ。

しかし、店は閉店間際で、いつもならズラっと並んだ自転車が、忽然と姿を消していた。



「アンタと同じような客が殺到して、もうウチの在庫はないよ。悪いな」



 ジャンボは引き下がらず店主に言う。



「店長さんの自転車を売ってくれませんか」

「それは勘弁してくれ……どこにも行けなくなっちまう」

「十倍出します。どうですか」



 努めて冷静に振る舞う声と、合わない視線と、おかしな文節を感じて、店主は単純に恐怖を感じた。



「いや、そんな、法外な額が欲しいとかそんなんじゃ」

「二十倍出します。どうか」



 何を言っても通じる目には見えず、顔は生白く青ざめて、生気の消えた声を前に、店主はこれ以上のやりとりを諦めた。



「売るよ。だから、変な額はやめてくれ。中古価格以上は受け取れない」



 ジャンボはさっさと金を払って、お礼の言葉もそこそこに去っていく。

自転車屋の店主はさっきより急いで店仕舞いに戻った。

あんな客が来ても、もう売るものなどない。

酷く冷たい姿を思い返して、店主はゾッとしながらシャッターの奥に消えた。


 ジャンボは三輪タクシーの列の隙間をぬけて、自転車を漕ぎ続けた。

プロが乗っていた自転車だけあって、かなり無茶な漕ぎ方をしても、安定したまま走り続ける。

それでもたまに、タイヤの軋む音がした。

休憩もせずどこまでも続く渋滞の波をかき分けて、ジャンボは真っ直ぐ前だけを見ていた。


 まばたきが、ほとんど消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る