徒花

 失恋をした次の朝も、僕は太陽を見つめていた。

 むしろ矮小な僕が近づくことを許さない高貴があり、より一層笑顔が瞬いていた。

 その日輪に網膜が焼け付く痛みを感じて、零した嬉し涙が机に丸く照っている。

  向日葵が頭を擡げた

 背に刺さる視線が不快な温度を持っている。

 向日葵は太陽によく似ていた。

 恣意的に切り揃えた髪と執拗に模倣した振る舞いがそうさせるのだ。

 私は紛い物に価値を見出すことなど出来なかった。


 放課後、太陽は部活に勤しんでいる。

 その躍動が、溌剌が、凡庸な影法師を作り出し、囲まれていた。

 少し離れ隙間を縫うように這わせた視線に貴女は気付いたようだった。

 ふいとそっぽを向く。

 その瞬間の歪んだ表情は僕だけの物だ。

  向日葵が頭を擡げた

 影たちに紛れるようにして彼女は佇んでいた。

 太陽の有様を徹底的に吸収する心算らしい。

 向日葵の真似事は蜂に擬態する花虻の様に卑劣だった。

 そして本質は托卵のように陽光を浴びて生長を行った。

 夕暮れを太陽は狭いコンクリートの街道を急ぎ足に渡っていく。

 僕はその十歩後ろで貴女の軌跡が描く残像に陶然としている。

 神様の視界が二人だけを映すこの瞬間が僕には何より大切だった。

 太陽はすぐに家へと沈んでしまう。

 最近は朝までずっとカーテンを閉め切っているのが心配だった。

  向日葵が頭を擡げた

 沈みかける夕陽が化物を地上に長く描いた。

 向日葵はあろうことかその手に小説を持っていた。

 顔を紅潮させながら意味ありげな、僕にとって意味のない視線を送って来る。

 挙句彼女ははにかみを堪えながら差し出した。

 太陽との馴れ初めが泥に塗れた手で乱暴に覆われた。


 夕暮れの冬、自らの生の真空に窒息していたあの冬。

 息を殺して逃げ惑い、同様にがらんとした教室に飛び込んだ。

 落ちる太陽、規則正しく整列した椅子たちに一人座る貴女は小説を差し出した。

 希臘の神話を縒り集めた一冊だった。

 憐憫などではない、欠片の譲意もない。

 僕は飽和した。

 満ちた溶液は突沸現象を起こし、貴女が輝き出した。

 その日初めて僕は太陽を視認した。

 何時かの明くる日、僕は太陽をずっと待っていた。

 今日も彼女を不在にしたまま空虚な一日が始まろうとしている。

 教壇の上に乗った先生が、黒板に太陽が軌道を外れてしまった旨を書いた。

 僕は太陽に近づきすぎたのだと思って既に手遅れだった。

 僕は再び宇宙に放り出された。

 それは身動ぎ一つ取れない漆の暗黒の中だった。

 満ちた心は氷結し、膨張によって破損した。

 僕は逃げ惑う、駆け出して、トイレの中へ飛び込んだ。

 そのままあらゆるを嘔吐する。

 悲壮も沈痛も怒気も錯綜も心臓も比べ物にならない数の貴女への言葉その全てを。

  向日葵が頭を擡げた

 ドアを半分ほど開いてこちらを不安そうに見つめている。

 今や向日葵は太陽に酷似していた、それでも霄壤に違いなかった。

 しかし悲劇ながら、丁度僕は伽藍洞だった。

 未だ見たことのない姿ならば、太陽も向日葵も本当だろうと結論づけた。

 僕は到頭あの忌々しい花弁を毟り取ることに成功した。

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高校時代の短編集 洞田 獺 @UrotaUso09

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