第9話

「命を狙われた?」

 アデラはそういって、普段はほとんど動かさない表情を、軽く歪めてみせた。

「ボクが特別って、命を狙われるほどなんですか?」

 アデラはほぼ全裸――。ほぼ……というのは口の辺りにマスクのようなものをつけ、顔の下半分を隠す点だけが、彼女の身に着ける唯一のもので、服どころか下着さえつけていない。

 この部屋は壁と言い、天井、床と言い、すべてが微振動しており、彼女は宙に浮かんで、その振動による衝撃を回避している。

「隠し事をしていても、仕方ないかもしれません。お話しておきましょう。これは私たちや、あなたたちの成り立ちに関わる話でもあります」

 アデラはそういうと、話が長くなることを覚悟するように、一度大きく息を吐きだして、呼吸を整えてから語りだした。

「古い昔、突然に全知全能の女性が地球上に現れました。彼女はすべての物事を見通し、真理を理解し、自分がこの世で唯一無二ということを知っていました。でも、それは絶望でしかなかった。なぜなら、自分が得た叡智も、すべて自分の寿命が尽きてしまえば終わりだということも悟ったからです。

 しかも、どうすればいいか? それは分かっていても、彼女には忌避する気持ちが強かった。なぜならそれは、遺伝的には適合する野性のサルと、まぐわう必要があったからです」

 それが人なら、サルとしか交合できない、となったら絶望するだろう。しかも性欲を満たすためではなく、自分の子孫をのこす、目的を果たすためにはどうしても必要というのだから、尚更だった。


「私たちは、彼女をα-イブと呼びます。α-イブはサルとまぐわい、二人の息子と一人の娘をもうけました。そして、彼女は息子たちとまぐわい、一気に人口を増やしていったのです。

 そして増えた人類は、宇宙船を開発。宇宙へと飛び立ちました」

「……え? 人類がすべて宇宙へと飛びたった?」

「ちがいます。娘は置いてきぼりでした。そして、娘にはサルたちとまぐわうことを要求した。私たちは地球にのこされたその娘を、β-イブと呼びます。β-イブが、地球にいる人類の祖となりました」

「α-イブが絶望したように、β-イブもそうだったのでしょう?」

「どうしてα-イブが、自らの汚点でもあるそれをβ-イブに求めたのかは分かりません。でも、β-イブは十二人の子を生し、その子が地球上にひろがり、人類は繁栄したのです」

 十二人……。まるで、イスラエルの十二氏族のようだ。むしろ、その伝承が何らかの形で伝わったか? 少なくとも、アダムとイブからアブラハムとサラへとつながる系譜は数世代を経ており、α-イブの娘であるβ-イブが十二人の子を生す、という話と同列で扱うことは難しい。

「でも、その話を伝えている……ということは、α-イブとその子孫たちは、観察していた?」

「その通りです。β-イブは、α-イブよりその万能の叡智という点では劣っていた。そして、サルとしかまぐわうことができなかったため、その子孫はさらに全知、万能の力を失わせていった。

 十二氏族の中でのみ、婚姻関係をつくったわけではなく、それからもサルとまぐわいつづけたからでもあります。そうして地球人は形成されていった。我々はずっと、それを見守っていた。あるときは地上に降り、あるときは助言を与えながら、見守りつづけたのです」


 恐らく、サルと呼んでいるけれど、それは猿人、もしくは旧人といった類の人類だったはずだ。

 でも、アデラをみれば分かる。無毛で無垢、その姿をした者からみれば、全身を毛で覆われた種は、やはりサルとしか思えなかった。突然、誕生したというα-イブは完璧で、完全さを求めた。色素が抜けた、アルビノだったのかもしれない。地上にいれば紫外線、という毒でやられるほどの脆弱さ。

 全知全能でも、体の弱さだけは如何ともしがたく、その害を逃れるため、地上を脱出するしかなかった……。

 しかし、地上により順応した旧人たちとまぐわい、子孫をつくったβ-イブは、幸せだったのだろうか? 誰にも分からない。ただ、十二人の子を生したのは、単に自分を虐げ、置いて行った母への恨み……というばかりではないだろう。

「もしかして、人類を滅ぼそうともした?」

「そういう歴史も刻まれています。全知全能だったα-イブに、半分はサルの血が混じった息子から生まれた子供たちでは、やはり不完全な部分があったからです。そして人類を滅ぼしてしまおう、との誤った選択をしたこともありました。そのたび、揺り戻しのように人類をただ見守ろう、という動きが起きてきた」

「じゃあ、何でボクのようなヒューメイリアンをうみだし、ふたたび人類と関わろうとするの?」

「我々にも限界がみえてきたためです。遺伝子の多様性を生む……といっても、α-イブと、二人の息子という元初の遺伝子をずっと引き継ぐしかなかった。それでは世代を経ると、弊害がみえてしまったのです」

「それは、全知全能であるα-イブなら分かっていたことでは?」

「その通りです。むしろ、限界がくる前に何とかしようと、β-イブの子孫とのつながりをもち始めたのです」

 α-イブは、そうまでして自らがサルと呼ぶ種との交わりを、恥じていたのかもしれない。

「じゃあ、ボクが特別というのは……?」

「β-イブの子孫でありながら、我々と近い遺伝的形質をもっているのです」


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