第32話 あの日の感情
深夜の中央高速道路。
タンデムというのは、実は教習所以外では初めてだったが、改めてすごく密着すると感じる。
背中に、暖かい林田の体温を感じるし、彼女が俺の腰に回した手が暖かい。
だが、背中に当たる二つの「物」は心なしか、頼りない。これが森原だったら、もっとすごいんだろうなあ、と思い、「やっぱり一線を越えてみたかった」と、森原とホテルに行くことを想像しながら高速を飛ばしていると。
「先輩。今、すごく失礼なこと考えてたでしょう?」
ヘルメットのシールドを開けて、すごい怖い声で、林田に睨まれていた。こいつは、エスパーか。人の心を読みやがる。
「ち、違うぞ」
「はあ。言っておきますけど、胸なんて大きくても邪魔なだけなんですよ。肩は凝るし、どうせ将来、垂れてくるだろうし」
身も蓋もないことを、はっきりと言う奴だ、と俺の方が笑いそうになっていた。
そのまま、深夜のタンデム走行が続いた。さすがにクリスマスとはいえ、今日は平日の金曜日だ。
走っているのは、業務用のトラックばかり。空いていた。
あっという間に駆け抜けて、午前1時半を回った頃。
談合坂サービスエリアに俺たちは降り立つ。要は休憩だったが、ここで意外な真実が明らかにされることになるのだ。
ひとまず、彼女から先に降りてもらい、俺もバイクから降りて、ヘルメットを脱ぐ。
ここ談合坂サービスエリアは、この辺りでは一番大きなサービスエリアで、飲食店や土産物屋、自販機など何でも揃っている。
だが、さすがに平日の深夜。まばらに車が停まっているだけで、バイクは1台もなかった。逆に大型トラックの姿が多い。
ひとまず、缶コーヒーを買って、彼女に渡してから、二人で並んで喫煙所に向かった。左足を少し引きずるように歩く彼女だが、こんな状況でもタバコは吸いたいらしい。
もちろん、屋外に置かれた喫煙所にも人の姿はない。
一服をしながら、話を聞く。
「で、さっきの話だけど」
続きを促すも、彼女は、
「その前に」
遮ってから、俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「もう付き合ってるんですから、敬語は辞めましょう。それと、お互い、名前で呼んだ方がいいですね。その方がしっくりきます」
「ああ、まあいいだろう」
「じゃあ、亮太」
「いきなり呼び捨てかよ! 俺は一応、お前より4つも年上だぞ」
「えー、いいじゃん、いいじゃん。私のことは『ひなちゃん』って呼んでいいから」
「呼ぶか!」
どうもこいつ相手だと、調子が狂う。
ひとまず、先を促すことにした。
そこから先は、意外にシリアスな話になっていた。
「私が亮太と初めて会ったあの日。実は私、すごく落ち込んでて」
「そりゃ、自分のバイクがバッテリー切れで動かなきゃ、誰だってヘコむだろ?」
「そうじゃないんだ。あの日の前の日、私にとっては、父という存在がなくなった日だったんだ」
「お父さん、亡くなったのか?」
「違う。離婚したの」
そう言えば、思い出していた。こいつは、俺と初めて会った時のことを話した時、こう言っていた。
―まあ、人生色々あるんですよ。私の場合は、家庭の事情ですけどね―
と。
そこで話が繋がった。つまり、両親が離婚した翌日に、俺と出逢ったと。
言葉を失う俺に、彼女はコーヒーを一口飲んでから続けた。
「今、思うと、亮太と初めて逢ったあの日。私、めっちゃヘコんで、暗かったと思うんだ」
「まあ、地味ではあったな」
その時のことを思い出しても、普通の女子高生より、「地味で」目立たないようにも感じていた。
「私はお父さんっ子だったからね。バイクのことを教えてもらったのも父。父は、元々バイク乗りだったんだ」
なるほど。それでバイクに興味を持ったというわけか。それならせめてもう少し知識を蓄えるなり、整備を気にするなりして欲しかったが、彼女の父はその辺を教えなかっただろうか、と勘ぐった。
「でも、きちんと教わる前に、離婚して、父は家を出ちゃった」
それが彼女の答え。つまり、ほんの「触り」しか教わっていないのだろう。
「だからかなあ。父から譲ってもらったあのスクーターが、まるで父がいなくなるのを察したように、エンジンが止まったのがショックだった」
「偶然だろ?」
「まあ、そうなんだけどね」
そう言っては、紫煙を吐くひなの。
「そんな時、あなたと出逢った」
「だから、それが何だって言うんだ?」
「せっかちだね。最後まで聞いて。気分がものすごーく落ち込んで、人生に対して、もう何もやる気も出なかった私が、あなたと出逢ったことで救われたんだよ」
「救ったつもりなんてないが。せいぜいバッテリーのことくらいだろ?」
俺は素直な感想を言っただけだったが、彼女の感じた感情は違うという。
その続きを促す。
「言ったように、あの頃の私は、ひどく落ち込んでてね。父を追い出すように離婚した母が信じられなかったし、母の肩を持つ姉にも内心、不信感を持ってたの。そんな時、亮太が私を助けてくれた。世の中、こんな人もいるんだなあ、って思ったの」
「それで?」
「それまで、いい子を演じていて、母の前で反抗もしなかった私が、あの一件で吹っ切れた。だから、髪も染めてギャルっぽい格好になったんだよ」
なるほど。ひなのの言いたいことはわかった。俺と出逢ったことで、図らずも「視界が開けた」と言いたいんだろう。
「あなたは、私の救世主であり、ヒーローなんだよ」
「さすがに面と向かって言われると恥ずかしいんだが。それに俺はそんなカッコいいもんじゃねえ」
「そんなことないよ。やっぱり亮太はそのままでいいんだよ」
微笑んでくるが、こいつはこいつで、俺のことを「美化」しすぎな気がする。
思えば、俺は森原沙希を「美化」していたし、林田ひなのは俺を「美化」している。不思議な三角関係が形成されていた。
「だから、その時から、私の中で何かのスイッチが入ったんだと思う。この人に興味があるな、から好き、に気持ちが変わったんだと思う」
俺もまた、一服し、紫煙を吐いた後に、彼女に告げた。
「お前。可愛いな」
不意に出た言葉は、自然とそう思っていたから、そんな彼女の気持ちに対して言っただけで、容姿の面ではなかった。
が、
「な、かわっ。もう、いきなりそんなこと言わないで。照れるじゃん!」
照れ隠しなのか、彼女に思いっきり背中を叩かれた。
吸っていたタバコを落としそうになり、咳が出ていた。
ひなのは、相変わらずだった。
だが、ふと思うのだ。
きっと「彼女」となら、上手くやれるんじゃないか、と。
長い人生、一緒にいれば、きっと喧嘩もするだろう。だけど、きっと「この子」となら喧嘩しながらも上手くやって行ける気がする。
人とは「自分と似てる」人間を好きになる生き物だと聞いたことがある。同時に「自分と正反対」の人間も好きになる生き物だとも思うが。どっちが正しいかはわからないが、この子には、自分と同じフィーリングを感じる。恋愛は、このフィーリングが大事なのだ。
林田ひなのと、俺はきっとどこか適当な部分が似ているのだろう。
美人で、完璧主義者の癖に、理想が高く、男癖と酒癖がだらしない森原沙希とはそこが違うところだった。
ひなのは、確かにいい加減で、適当で、だらしないところがある。
だが、反面、細かいことにはこだわらない、明るくて、大らかで、真っ直ぐなところがある。
彼女と出逢って、こうして付き合うのも「運命」だったのかもしれない。
俺はその運命を受け入れることにした。
「ねえ、見て見て!」
不意に、彼女が喜色を面上に貼りつけて、頭上に向けて、楽しそうに視線を漂わせた。
見上げると、満天の星空が輝いていた。冬の澄んだ空気、しかもその日は晴れており、ここは東京とは違う田舎だ。
夜空には数えきれないくらいの星が瞬いていた。
「綺麗! 東京じゃ絶対見れない星空だよ」
「ああ」
「私、星って好きなんだ」
「そうなのか?」
「うん。ねえ、今度、一緒に星を見るツーリングをやろうよ」
「その前に足、治せよ」
「わかってるよ。でも、最悪、亮太の後ろに乗るから」
「いいから治せ」
「はーい」
なんだかんだで、彼女とは上手くやっていけそうだ。
そして、実はこの「付き合い」が始まりではなかった。
彼女は、俺にとっては、「サプライズ」とも言える、旅を用意してくれるのだった。
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