第31話 駆け抜ける思い
(面倒くせえ)
内心では、そう思いつつも、俺を突き動かしていたのは、心の中で大きくなった、林田の存在だった。
俺は一旦、帰宅して着替えてから、バイク用の分厚いウェアを着て、水を数杯飲む。
少しだが、森原との食事で飲酒している。
というか、これで警察に捕まったら、飲酒運転の危険性がある。飲酒量としてはそれほど飲んではいないから、意識はもちろんはっきりしていたが、マズい状況だ。少しでも水で薄めたかった。
その後、急いで外に出る。
(寒い!)
その日は、寒波が襲い来る予報で、関東周辺はどこも寒かった。
こんなクソ寒い中で、バイクに乗るのは過酷だ。
しかも俺の新型カタナには、グリップヒーターはついていないし、ウィンドスクリーンも取り付けていない。かろうじて元々ある小さなスクリーンはあるが、あまり風防の役には立たない。
そのまま、コンテナへ向かい、カタナを引っ張り出して、またがり、ヘルメットをかぶる。吐く息が白くなるほどの凍えた夜。
だが、なんだかんだ言っても、俺は林田のことが心配だった。付き合いが浅いとはいえ、一応は元・同じ会社の同僚だし。
いや、そうじゃない。俺は、確実に彼女に惹かれていたのだろう。
急いで発進し、まずは調布インターチェンジを目指す。
そこからは一気に中央道を駆け抜ける。
携帯のナビは、すでに目的地の、山梨県の「
その妙な名前が気になって、少しネットで検索したら、「縁結び」の神社ということで有名だとわかった。
「夫婦」と書いてあるから、それは想像できたが。「夫婦」を古い言葉で「めおと」と呼ぶから、そこから派生したものだろうと推測する。「めおとぎ」神社とも言うらしい。
ともかく、急いで向かった。すでに午後9時を回っていた。さすがに空いている。
だが、中央道は、その性質上、山を越えて走る。
次第に吐く息で、シールドが曇って見えなくなるくらいに、寒気が襲ってきた。外気温は山梨県に入る頃には、わずかに1度。まさに「凍える」ような、今にも雪が降りそうな天候。
トラクションコントロールは、カタナには3段階あるが、一番干渉する、つまり「冬の路面」に適した3に設定してある。
途中、どこにも寄らずに真っ直ぐに向かった。ガソリンタンクが小さいカタナのことを案じて、常に満タンにしてあったのが幸いした。
これだと無給油で、一気に神社まで行ける。
中央道の双葉スマートインターチェンジを降りた頃には、すでに時刻は午後11時近くになっていた。
そこからはひたすら山道を20分ほど走る。というよりも「上がって」行く。夜遅い時間だし、暗くて心細い上に、クソ寒い。
グローブの手がかじかんできたのを感じる。だんだん感覚がなくなってくる。
午後11時。
ようやく、その神社にたどり着いた。
神社自体は、石段の上にあるようだったが、参拝者用の駐車場は、下にあり、地面が砂利だった。しかも、ところどころ路上に氷が張っていた。
そこで、彼女の姿を見つけた。
予想通りというか、転倒していた。恐らく砂利か氷に足を取られたんだろう。
だが、幸いなことに、バイク自体は自力で起こせたようで、林田は自らのバイク、スカイウェイブ250に背中を預け、もたれかかるようにして、座っていた。
「せ、先輩!」
カタナを降りて、向かうと、薄っすら目に涙を浮かべた彼女が、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「何、やってんだ、お前は?」
違う。第一声はそんなことを言いたいわけじゃない。と、心の中では思いつつも、口を突いて出てきたのは、いつもの憎まれ口だった。
どうも、林田相手だと、「遠慮」という感情が発生しない。
とりあえず近づいて、しゃがみ込む。さすがに暗くて見えないから、携帯のライトを照らす。
どうやら、転倒した際に、足をくじいたらしいことはわかった。
「路面凍結してて、転倒して……」
「わかった。とにかく足を見せろ」
大事にはなっていないか、一応、確認しなければ。
恐る恐る左足を出して、くるぶしからズボンを上げて見せる彼女。白い肌が浮かび上がる。思いのほか、細くて綺麗な足だった。
それがやはり一部分、くるぶし付近が腫れている。
念の為に触ってみるが、
「痛い! 痛いですって!」
「ごめん」
さすがに彼女に怒られた。
だが、見た感じ、骨までは行っていないと思われた。
俺自身が、昔、足を骨折したことがあるから、その辺はある程度予想はつく。もっとも素人目だから、骨にヒビが入っていたとしてもわからない。
ひとまず、落ち着いたが、彼女には、山ほど言いたいことがあった。
「ったく心配かけさせやがって。何が『命の危険』だよ。ただの転倒じゃねえか」
呆れて嘆息する俺に対し、しかし彼女は、安心したように、しかしながら弱々しい笑顔を見せた。
「でも、先輩は来てくれました」
ヤバい。その笑顔が反則的に可愛らしかった。
本来、俺の好みではないはずの、彼女が異様に可愛らしく見える。
その照れ隠しに、俺は彼女のバイクを見る。
暗いため、よくわからなかったが、どうもなかなか派手に転んだようで、左側のシフトレバーが根元から折れており、ステップも思いきり曲がっていた。メーターにも傷がついている。
「これは、レッカーが必要だな」
「ええっ。自力で帰れないんですか?」
「アホか、お前は。そもそもこんな状態で乗れるか。俺が乗っけてやる。ひとまず、レッカーを呼んで、さっさと東京に戻るぞ」
そう告げると、しかし彼女は伏し目がちに、遠慮しながら呟いた。
「でも……。先輩は、森原先輩と付き合ってるから」
ああ。なるほど。そこに遠慮しているのか。彼女らしい。
「大丈夫だ。別れたから」
「はあ? 別れた? 一体、何考えてるんですか!」
何故か思いっきり怒られていた。
「何でお前が怒るんだよ?」
「怒りますよ、そりゃ。先輩みたいな、冴えないリーマンにはもったいないくらいの素敵な彼女でしょ。もう一生あんな女性には会えませんよ」
「誰が冴えないリーマンだ、こら」
と思わず拳を振り上げる素振りだけを見せたが、俺は嘆息して彼女の横に座り、口を開いた。
「まあ、色々あったんだよ。彼女と俺は『合わなかった』んだな」
ところが、彼女はさらに不機嫌になっていた。
「で、フラれたから、私のところに来た、と。全く現金ですね、先輩は」
「違うわ! フラれたというか、フッたというか、お互いの合意の上で別れたんだ」
慌てて告げると、彼女は少しだけ相好を崩して、微笑んだ。
「ふーん。まあ、いいです。先輩はそういう人ですからね。きっと、森原先輩と付き合っていても、私を助けてくれたでしょう?」
「ああ、まあな」
なんだか心を見透かされているようで、納得がいかない。
だが、ここに来る途中で、すでに俺は自分の心に気づいてしまっていたのだ。不器用で、お調子者で、意地っ張りで、適当な性格だが、それでも一途に自分を慕ってくれる。
そんな彼女が、とても可愛らしいと思えてしまうほどに。
「なあ」
「はい?」
「一度しか言わないぞ。俺はやっぱりお前のことが好きだ」
その瞬間、瞬間湯沸かし器のように、真っ赤になった林田ひなの。
だが、次の瞬間、隣に座る俺に近づいて、そのまま抱き着いてきた。しかも、そのまま俺は首に彼女の手が回されたまま、彼女に唇を奪われていた。
長くも短い沈黙の時間が流れる。この縁結びの神様がいる神社の駐車場で、人気がまったくない真っ暗な深夜に、男女が抱き合っているという、奇妙な形になっていた。
キスが終わった後、彼女は俺の瞳を真っ直ぐに見つめて、宣言するように言い出した。
「やっと言ってくれましたね。もう遅いですよ、先輩。縁結びのお願い、する前に叶っちゃいました」
その笑顔が、眩しいくらいに可愛らしく見える。理由は定かではないが、彼女は人気がない夜に、この縁結びの神様がいる神社に参拝に来たらしい。
「なあ」
「はい?」
「何でお前は、冴えないリーマンの俺のことを好きになったんだ?」
「そこ、引っ張りますねえ」
不服そうに顔を顰めてから、林田ひなのはくすくすと笑い出した。
「だって、気になるだろ? たったあれだけのことで、普通は人を好きにならない」
俺が言う「たったあれだけのこと」とはもちろん、大学時代に、林田のバイクのバッテリー切れを救ったことだ。
「たったあれだけ、じゃないからですよ」
「どういうことだ?」
彼女の意図するところがまるでわからないし、記憶にもない。
すると、彼女はわずかに微笑み、
「続きは、帰り道で話します。後ろ、乗っけてってくれるんですよね?」
「ああ」
一応、気休め程度だろうが、湿布は持ってきていた。それを彼女の左足に貼ってやる。
結局、彼女が入っているロードサービスが24時間対応だった為、レッカーを呼ぶことになったが、深夜な上に、ここは山の上だ。
到着まで1時間以上かかることになった。
その間、色々なことを話した。
何故、ここまで来たかについて。
もちろん、林田は俺との「縁結び」を祈願する為に、わざわざここまで来たらしい。
では何故、わざわざ夜に来たのか。
こういうところに来るのが初めてだったから、何だか恥ずかしかった為、人目を避ける為、だという。
そういうことをするから、夜に路面が凍結して転倒するのだ、と思うのだが。そもそもこんな時期に夜、山を走るべきではない。
日付が変わった深夜0時30分過ぎ。ようやくレッカーが到着。彼女のスカイウェイブ250を運んで行った。
レッカーの運転手が、「乗って行きますか?」と尋ねてきたが、林田は否定し、俺の後ろに乗ることを選んだ。
レッカーに乗せられるスカイウェイブを見送った後。
そのまま俺はカタナにまたがり、彼女を後ろに乗せる。
「痛いか?」
「少し。でも、大丈夫です。先輩が言うように、骨までは行ってない気がします」
「油断は禁物だ。帰ったら、救急病院とまでは行かなくても、ちゃんと明日、外科に行け」
「わかってますって」
お互いにヘルメットをかぶって、出発することになる。
すでに時刻は午前0時30分を回り、クリスマスになっていた。
恋人たちを祝福する聖夜は、意外な方向に進んで行くのだった。
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