第30話 聖なる夜を左右する運命
12月24日。クリスマスイブ。
その日がやって来た。
なんだかんだ言っても、まだ森原との曖昧な関係は続いており、俺たちは未だに付き合っていた。
というより、「彼女」が別れたがらなかった。それはそれで、俺にはイマイチ彼女の考えが読めなかったのだが。
そして、俺たちはクリスマスイブのその日、デートをしていた。
場所は、彼女が望んだとおり、お台場にある、夜景が見える、高層ビルの上階にあるオシャレな高級レストラン。
はっきり言って、「庶民」の俺には、荷が重いくらいに豪勢で、当然、料金も高く、安月給の身には通帳の残りの数字が気になるくらいには負担になった。
どうも、彼女はこういうところにこだわりがある。
だが、それなりにデートは順調に進んでいたし、彼女は彼女で喜んでいたのだ。これはついに、一線を越える時が来たか。
つまり、本当の男女の仲になる、そのラインを越えるか。
今日の森原は、彩のある薄紫色のワンピースドレスを着ていた。さすがにオシャレをしてきていたから、いつも以上に、眩く見えた。
と思っていた矢先。
それは起こったのだ。
携帯からLINE通知が来た。
それは、ちょうど二人でワイングラスを飲み始め、豪華な食事に手をつけ始めた午後7時を回った頃だった。
思わず携帯の画面を眺めると。
そのLINEには、驚くべき文字が躍っていた。
―助けて、先輩―
たったそれだけの通知で、相手が誰だかわかった。林田だ。
偶然、下北沢で会った時のことを思い出す。
別れ際に彼女は、俺に、
―もしも、ですよ。もしも、私の身に命の危険が迫るようなことが起こったら、その時は、先輩に連絡してもいいですか?―
そう言ったし、俺は何の疑いも持たずに了承した。
それを思い出して眺めていると、不意に森原が立ち上がって、俺のところに来た。そして、横からまるでひったくるように、俺の携帯を眺めてきた。
途端に顔を顰めていた。
「何、これ? ひなのちゃんじゃない? やっぱりまだ未練があるのね」
「な、違う」
「君。私の飲み友達のことをどうこう言う資格ないわね」
俺の言い訳も聞かず、一方的に彼女は呆れたように、続けた。
だが、その間も、俺は密かに、だが確かに「気になってはいた」。林田は、明るくてよく冗談を言う奴だが、こういう時に、多分冗談は言わない。
というより、そのLINEの文章が、いつもと感じが違った。
どちらかというと、絵文字やらスタンプを多用する彼女にしては、珍しいほどにシンプルだった。
それは恐らく、本当に「困って」いる状態なのかもしれない。
そんなことを漠然と考えていると、目の前の彼女の口から驚くべき一言が発せられるのだった。
「ダメね」
「何が?」
「やっぱり君とは付き合えない」
驚いた。
自分からは決して「別れない」と言っていたはずの彼女の方から、あっさりと「別れ」を示してきた。
女というのは、男には時折、何を考えているかわからないことがある。森原にしてもそうで、彼女は大学時代から散々俺を「振り回して」きた気すらしてきていた。
だが、内心では彼女の願望と、俺の願望は重なりつつあったのも事実。
「じゃあ、やっぱり別れるか?」
「そうね」
クリスマスイブという、恋人たちの夜に、まさかのシリアスな「別れ話」となっていた。
だが、そんな俺たちの「短い」恋人期間は、険悪なムードでは終わらなかった。
「ねえ。私と付き合って、君は後悔してる?」
彼女は俺を試すようにそう言った。
完全に「後悔してない」と言えば、それは嘘になる。
だが、俺にとって、森原沙希は長い間、ずっと「憧れて」いた女性だ。たとえ一時とはいえ、付き合えたのは「幸せ」だったし、彼女の「本性」、というか「本来の姿」を見られたのは貴重でもあった。
逆に言うと、もし「付き合わなかった」ら、彼女のことを誤解し、いや美化したままで終わっただろう。
良くも悪くも、彼女はこういう性格で、俺とは平行線をたどったのだ。
「いや、そんなことはない」
「じゃあ、どうして……」
気持ちが森原から離れた、いや林田に向いたのか。恐らく彼女が聞きたいことはそれだが、彼女自身が後を続けなかった。
お互いの間に、どこか気まずい空気感が漂うが、最後に彼女は動いた。
俺の前で、自ら右手を差し出した。
「最後に、握手しましょう」
「ああ」
俺も右手を差し出した。
その細くて、小さな手は、ほのかに暖かったが、かすかに震えているようにも思えた。
彼女の本心はわからない。人は、他人の心の奥底まで覗き込むことは出来ないからだ。
「ありがとう。付き合ってくれて」
「どういたしまして」
俺が礼を告げ、彼女が答える。
それが、俺たち2人の、短い恋の終わりを告げる、最後の言葉になった。
8月15日の森原の誕生日から、付き合い始めたが、8月いっぱいは、俺は北海道にいたから、正確には9月から付き合い始め、4か月。森原沙希との短い恋人期間はこうして終わりを迎える。
「ヤベエ! 時間食った!」
なんだかんだで、森原と話してたら、遅くなっており、すでに時刻は8時近い。
俺は、高層ビルのエレベーターから、慌てて「彼女」に返信を送った。
―どうした? 一体、何があった? どこにいる?―
既読も返信もなかった。
だが、こうしてはいられない。急ぎ、電車に乗り、ひとまず自宅に戻ることにした。
それでもお台場から自宅まで電車で1時間近くかかるし、当然、今日は酒を飲むことがわかっていたから、バイクに乗ってきていない。
電車に乗って、帰る途中、ようやく林田から返信が来た。
―
―大丈夫か? ヤバいなら、さっさと救急車呼べ―
本当に、命の危機になるくらいヤバい状況なら、俺みたいな素人より、プロの医者に診てもらった方が当然いいに決まってる。
―大丈夫ですよ。ただ、ちょっと助けがいるというか。とにかく、来てくれませんか?―
―ああ。わかった。バイクを飛ばして行く―
どうやら命に別状はない様子で、そこは安心できた。
だが、それでも俺は林田のことが心配でたまらなくなっていた。
そう。いつの間にか、俺の心の中で林田の存在が大きくなり、あっという間に森原を追い抜いていた。
不器用で、お調子者で、適当な性格だが、一途に自分を慕ってくれる。そんな女性に心を動かされても不思議ではなかった。
電車の中で、携帯の地図アプリから「夫婦木神社」を調べた。
(山梨県じゃねえか!)
正直、聞いたこともない神社だったから不安だったから、嫌な予感が的中していた。場所は山梨県の奥にある、観光名所、昇仙峡の近く。
思いっきり山だ。
(そもそも、なんでこのクソ寒いのに、わざわざ山梨県まで行ってるんだ、あいつは。しかももう夜じゃねえか)
電車の車窓からは、今にも雪が降り出しそうなくらい、凍えるような空気感をまとった鈍色の空が広がっていた。
その時の東京の気温は、プラス5度。凍えるような、寒い夜だった。
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