第27話 真実の姿

 その相手と会ったのは、本当に偶然だった。


 彼女である森原との距離感に疑問符を抱いていた、秋。


 たまたま休日に一人で近所の喫茶店に行ったのだ。理由はタバコが吸いたいというだけだった。


 森原とは同棲してはいないが、会ってもタバコを吸うことが出来ないから、ある意味での「ストレス発散」だったし、最近はデートもあまりしなくなっていた。


 そこの喫茶店に、ある男女のカップルがいた。もっとも自宅の近所の喫茶店だから、彼らに会うのも不思議ではないのだが。


「お、山谷じゃん。久しぶりー」

 と、窓際の席で俺の姿を見つけた男が手を上げて、微笑んだ。


 同い年で同じ大学出身の澤辺駿という男だ。今は確か就職して、アパレル関係の仕事をしているはずだが、肩までかかるほどの長髪で、どこかホストを思わせるような「軽い」格好だった。


 そして、その真向いにいたのが、彼女。

「澤辺。と、里田さとだか?」


 一瞬でわかってしまった。


 彼女は昔と全然変わっていなかったからだ。

 里田なぎさ。俺とは同じ中学出身で、同い年。高校は別々だったが、大学は同じだった。


 大学3年の頃、俺が里田を澤辺に紹介したのだが。

 もっとも、俺は森原とは別の意味で、彼女が「苦手」だった。


 何しろ、中学時代から、「柄が悪い」。育ちが良くないのか、口は悪いし、中学時代はそれこそ「荒れて」いた。

 髪は当時から茶髪で、癖っ毛のロングだったが、今はセミロングくらいになってはいたが、やはり茶色に染めていた。

 おまけに、中学時代から吸っていたタバコをいまだに吸っている。


 どこの昭和のヤンキーだ、と思われるくらい、現代的ではない彼女は、物事に対して、常に「忖度」をしない。はっきりと物を言い、嫌な物は嫌だと言い切る、「歯に衣着せぬ」性格だった。容姿はそんなに悪くないものの、目つきが悪いし、その性格のキツさから、彼氏なんて出来ないと思っていた。


「おう、山谷じゃねーか。ちーっす」

 相変わらず、昭和か、田舎のヤンキーみたいな挨拶をしてくるこの女が、まさか、鍵を握ることになろうとは思わなかった。


「で、何で二人で一緒にいるんだ?」

 荷物を置いていた席を開けてもらい、注文してきたコーヒーを片手に座る。


「ああ、付き合ってるんだよ、あたしら」

「えっ。マジで!」

 今のが一番驚いた。


 澤辺は昔から軽い性格の奴だが、女を見る目はあったし、一方の里田は、軟弱な男は嫌いなタイプだから、言っちゃなんだが、気が強いわけでも、喧嘩にも強いわけでもない澤辺と付き合うなどとは、想像も出来なかった。


「ああ」

「いつから?」


「大学4年くらいからかな」

「長えな」


「そういうお前は、最近、森原と付き合い始めたんだってな」

 コーヒーカップを片手に、タバコを吸い始める里田が、意外なことを聞いてきた。


「何で知ってる?」

「ああ、だってあたしら、高校同じだし。この前、森原からLINE来たから聞いてみた」

 思い出した。


「マジか」

 女同士のネットワークは恐ろしい。そして、こいつが、実は高校時代は森原と同じ高校だったと思いだした。里田は東京出身だが、親の転勤で、高校時代だけ仙台で過ごしている。


「で、どうよ?」

「お前、昔から森原のこと狙ってたもんな。夢が叶ってよかったじゃねえか」

 里田と澤辺。両方に森原との関係をしつこく聞かれていた。


 仕方がないから、俺は語り始める。

 だが、その内容とは、ほとんどが彼女への「愚痴」になっていた。


 潔癖症、八方美人。さすがに「一線を越えない」ことは伏せたが。


 しかも黙って聞いていた、里田は、俺が話し終えると、軽く肩をすくめた。そして、俺の目を見て、はっきりと口にした。


「やっぱりな」

「やっぱり?」


「お前は昔から女を見る目がねえんだよ」

「余計なお世話だ」


 里田は、軽く溜め息を突き、再びタバコに火をつけ、紫煙を吐いた後に、おもむろに語り出した。


「お前。あいつの高校時代のあだ名、知ってるか?」

「知らん」


「爆弾魔だ」

「はあ? 爆弾魔? どんだけ物騒なあだ名だよ」

 驚きを通り越して、笑えてきた。


 里田はその理由をゆっくりと説明してくれた。


「あいつはな。確かに容姿はいい。女のあたしから見ても可愛いくらいだ。だがな、自分がモテるとわかってるからか、男にだらしねえんだ」

 それは付き合ってみて、大体わかった。その先を促すと、


「要は、男なら誰にでもいい顔をして、よく思われたい、って気持ちが強い。いや、強すぎる。だからなんだろうな。あいつに思わせぶりな態度を取られて、フラれた男子が大勢いてな。ウチの高校じゃ、『森原被害者の会』なんてのも非公認であった。爆弾をばら撒くように、男を翻弄するから、爆弾魔。あたしに言わせると、『魔性の女』だな」

「マジでか?」


「ああ。大マジな話さ」

「ありえねえ」

 とは口で発しながらも、俺は思い当たる節があった。最初から森原は、振った相手の俺にもいい顔をしていたし、思わせぶりな態度を取っていた。

 本心がわからないことも多かった。


 ただ、わざわざ北海道までついて来たし、全く俺に対して、恋愛感情がないとは思えなかった。


「そのくせ、潔癖症だろ? ったく、メンドくせえ女だぜ。ま、お前みてえなテキトーな奴には似合わねえな」

「それこそ余計なお世話だ」

 反射的に、俺はそう返していたが、かと言って、この後、どうやって森原との距離を縮めて、付き合っていくかがわからなくなっていたのも事実だった。


 そんな時。

 里田は、俺の心を見透かすかのように、意外な一言を吐いたのだ。

「お前みてえな、テキトー野郎には、林田ひなのくらいがちょうどいい」


「は? 何でお前が林田のこと知ってんだ?」

 2人に接点はなかったはずだ、と思っていたら、


「ああ。あいつは半年前までウチの店でバイトしてたんだよ」

 あっけらかんと返してきた。


「お前のバイト先って?」

「ファミレス」


「澤辺も知ってたのか?」

「ああ。ひなのちゃんだろ。可愛い子だから、知ってた」


「てめえ。自分の彼女の前で、別の女を可愛いとか喧嘩売ってんのか。殺すぞ」

 すぐ隣にいる里田が、物凄い目つきで、ドスの利いた声を発していた。というか、こいつはマジで怒らせると怖い。


「まあまあ」

 何とかなだめながら、詳しく聞いてみると、林田ひなのが、里田渚が働くファミレスで働き始めたのは、彼女が大学2年生の頃。つまり、今から約3年前くらい。


 そこから就職、つまり俺が元いた会社で働くまで約2年半近くは働いていたという。


 それ自体が俺にとって物凄く意外な事実だったのだが、さらに驚愕する事実が暴露されることになる。


「お前さあ。林田がなんでお前の会社に入ったか、知ってるか?」

「知るわけねえだろ」

 前にそれとなく聞いたが、はぐらかされたのは覚えている。


「聞かれたんだよ」

「聞かれた?」


「ああ、林田本人にな。あたしがお前のことを知ってるって言ったら、林田からお前がいる会社の名前を教えてくれって頼まれた」

「で、教えたのか?」


「ああ」

「本人の許可もなく、コンプライアンスとかプライバシーとかないのか、お前は」


 さすがに呆れながら、溜め息を漏らすと、澤辺が、

「ああ。渚ちゃんにそんなこと期待しない方がいい」

 と突っ込まれた。どうでもいいが、こいつ、「渚ちゃん」って呼んでるのか。改めて聞くと、「似合わない」。

 それはともかく、林田ひなのは、本当に俺を「追って」同じ会社にわざわざ入社してきたことはわかった。恐らく彼女自身に、IT業界への興味はそれほどないのだろう。


 しかも、俺は里田とはそれほど交流がなかったから、自分の就職先を教えていない。

 ということは、里田が彼氏の澤辺に聞いたのだろう。俺は澤辺には教えていたからだ。

 つまり、林田は、里田・澤辺・俺とわざわざ回りくどい道を通して、俺の就職先を知って、入社したことになる。


「つまり、それを知って、追ってきたわけか。マジモンのストーカーだな」

 さすがに呆れを通り越して、恐怖感すら抱くような感情に、俺が流されかけた時、彼女は意外なことを口走るのだった。


「違えよ」

「何が?」


「一途なんだよ、林田は」

「物は言いようだな。そんないいもんじゃないと思うけどな」


「お前は何もわかってねえな」

「何がだ?」


 だんだん、俺も里田に対して、少なからず腹を立て始める頃。

 しかし、彼女の瞳は真っ直ぐで、嘘をついているようには思えなかった。何より、この女は、昔から「曲がった」ことが嫌いで、嘘が下手だ。


「高校時代に、たった一度だけ会って、自分を助けてくれた相手を、ずっと思い続けてるんだぞ。こんな性格のあたしから見ても、健気な奴だと思ったよ。応援してやろうと思ったのさ」

 変なところで、姉御肌なところがある、里田らしい、とも思ったが。


「それに、あいつは、『一線を越える』ような真似はしねえだろ?」

「一線を越える?」


「ああ。お前の家の前で待ち伏せしたり、後をつけたり、しつこく電話したり。そういうことが一度でもあったか?」

 振り返ってみると、俺は確かに林田を警戒していたが、そういうことは一度もなかった。しつこくLINEというのはあったが。


 すると、今度は澤辺が珍しく口を開く。

「俺も渚ちゃんの意見には同意だな。あんな可愛い子に言い寄られて、何が不満なんだ? 俺なら、喜んでデートに誘うけどな」


「てめえ。やっぱ喧嘩売ってんだろ?」

「すいません、すいません。言葉の綾です」

 握り拳を振り上げて、彼氏を凄む里田と、平謝りする澤辺。なんだかんだで、まるで漫才コンビのように、息が合っている。いいカップルなのかもしれない。


「まあ、とにかくだ。あたしから見れば、お前には森原は向かねえと思う。林田とはまだ連絡取ってるのか?」

「いや」

 さすがに、森原と付き合ってからは、一切の連絡を絶っている。


 すると、それを聞いた里田の頬が緩んだ。

 おもむろに俺の方に顔を寄せて近づくと、耳元でそっと囁くように呟いた。


「ならいいじゃねえか。悪いことは言わん。森原とは別れて、林田と付き合え。確か、あいつはまだフリーだぞ」

 まるで「悪魔」のような女だ、と一瞬思った。


 だが、不思議とこいつの言うことに、間違いがあったことが、今までほとんどなかったのも事実。


 決して頭がいい方じゃないはずだが、不思議と真実を見抜く力が、この里田渚にはあった。


「はあ。そんなこと言われてもなあ」

 いきなり言われても、困ってしまうのも事実だ。


 一応は、彼女という立場の森原の許可も取らずに、林田と会うのも気が引ける。そう口にした。

 だが、悪魔はさらに囁いた。


「んなもん、どうせ森原の奴はお前の知らないところで、男に会ってるんだろ? あいつ、酒癖悪いからな。夜の店に行くと、はしゃいで、結構男友達と飲み歩いてるって噂だぜ。それを笑って許せる男なら付き合えるが、お前には無理だろ?」


 まるで、見透かされているかのようで、俺はぐうの音も出ない。

「お前に言われたくないと思うけどな」

 かろうじて反論すると、澤辺がフォローに回っていた。


「山谷。渚ちゃんは、こう見えて身持ちが固いんだぞ。俺に内緒で男と会うなんて絶対しないし、酒もそんなに飲まない」

「マジで。似合わねえ」


「山谷。喧嘩売ってんのか?」

 さすがに慌てて否定して、里田の鋭い釣り目から逃れた。結局、その後は適当に近況報告をしていた。


 里田は、今もそのファミレスで働いており、もう正社員になって、リーダークラスまで出世しているという。見た目と裏腹に、真面目な奴だった。

 最後に、里田はこんな言葉を残して行った。


「山谷。人は見かけによらねえもんだぞ。森原は、真面目そうに見えて、あの性格。林田は、テキトーそうに見えて、一途。まあ、せいぜい悩むんだな」

 励ましたいのか、ディスりたいのか、よくわからないセリフを残し、彼女は澤辺と共に去って行った。


 残された俺は、携帯を開き、LINEのトーク画面を開く。

 そこには、まだ「林田ひなの」の名前があった。


 最後に交わされたLINEは、夏の仙台でのことだった。

 運命は、流転していく。

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