第24話 告白の行方

 いつの間にか朝になっていた。8月15日。世間では、お盆真っ只中。俗に言う、終戦記念日だ。


 いつまどろんで、意識を失ったのかも覚えていないくらい、深夜まで色々と考えていた。この先の仕事のことはもちろん、森原とのことも。


 朝、小鳥の鳴く音で目が覚める。自然に包まれているキャンプ場は、雨が止んでおり、薄い霧が発生。


 どこか幻想的な風景を作り出していた。


 ここは、洞爺湖のまん丸のうちの東側。どこから見ても大抵、中島と呼ばれる丸い島を湖の向こうに見ることが出来るが、この朝は、朝霧が立ち込め、湖は数メートル先が霞んで見えない状態だった。


 テントの入口のチャックを降ろし、外に出ると、ちょうど向かい側に設営していた女の影が目の端に入った。


「おはよう」

 にこやかに声をかけてきたのは、森原だ。


 時刻は午前6時10分前後。いつもよりも早い。

 俺は心臓の高鳴りを感じながらも、かろうじて、


「おはよう」

 とだけ返して、そのままトイレに向かった。


 トイレから帰ってきたら、いよいよ呼び出して告白をしよう。いや、その前にさすがに着替えるか、などと考えていた。


 案の定、森原の隣に位置する、林田のオレンジ色のワンポールテントのチャックははまだ閉じたままだった。

 今頃、彼女は夢の中だろう。


 千載一遇のチャンスが到来した。


 そう思い、トイレのついでに洗顔と、歯磨きをして、足早にテントに戻り、着替えをすると、すぐにテントを出て、森原のテントに近づく。


「森原。ちょっと歩かないか?」

「えっ。うん。いいけど」


 一瞬、戸惑ったような表情を見せたが、彼女は素直に応じて、立ち上がった。


 湖畔を二人並んで歩く。

 女子にしては、身長が高く、スタイルもいい彼女は、目立つし、そんな彼女を連れて歩けるという優越感もある。


 だが、俺の中では、再度の告白のことで頭が一杯だった。

 様々に去来する思い。だが、今さらうじうじと考えていても男らしくない。


 霧に霞む湖畔の縁を沿うように歩きながら、

「どこまで行くの?」

 と問われた俺は、足を止めて、振り向いた。


「森原」

「なに?」


 固唾を飲む。意を決して、目の前の綺麗な顔立ちのロングヘア―の彼女の瞳を見つめる。その漆黒の髪がそよ風にたなびく。


「俺は、やっぱりお前のことが好きだ。付き合ってくれ」

 これでも相当に緊張して、全神経を研ぎ澄まして、まるで閻魔様の審判を待つかのような気持ちで、恐る恐る口にしていた。


 だが。

「いいよ」

「えっ。いいの?」


 あまりにもあっさりとした回答だった為、面食らった俺が思わず言葉を発すると、逆に彼女の方が眉根をひそめた。


「なに、好きだからコクったんじゃないの?」

「いや、そうだけど。あまりにもあっさりしてるから……」


「だって、君のことに興味なかったら、わざわざ北海道まで着いてこないでしょ。とっくに気づいてると思ってた」

「いや、まあ。そうかもだけど……」


 たじたじになっている俺に対し、彼女は実にあっけらかんとしていた。

「でも、じゃあ、何で……」

「大学時代に断ったか?」


「ああ」

「まあ、別に深い意味があるわけじゃなくて。その頃、私、他に好きな男の人いたし」


「へえ」

 何だか、その一言が本当なのか、それとも単に誤魔化しているだけなのか、イマイチ彼女の心中がわからないと思っていると。


「それより、ひなのちゃんはいいの?」

「ああ。あいつは別に……」


「君がよくても、あの子は確実に君のことが好きでしょ」

「かもな」


「私と付き合うからには、ちゃんと断ってきてね」

「わかった」

 元より、言われるまでもなくそのつもりではあったが。


 こうして、あっさりと俺の「願い」は成就されており、正式に俺はこの美人の、そして憧れの、森原沙希と付き合うことになった。


 そして、ある意味、この瞬間が一番「幸せ」だったのかもしれない。


 俺は、その後に訪れる、「困難」な道を知る由もなかった。


 午前8時。林田が起きてきたタイミングで、俺は森原に促される形で、食事を囲みながら、林田に切り出した。


 もちろん、俺と森原が付き合うことになった、と告げるために。


 だが、林田は意外なくらいに冷静だった。

「へえ。良かったじゃないですか。先輩、森原先輩のこと、ずっと好きだったんですよね?」

「ああ。まあ」


 逆に俺の方が拍子抜けしてしまい、どういう表情を作ればいいかわからなかった。こういう時の女は強い。


「祝福しますよ。おめでとうございます」

「ああ。ありがとう」


「それと」

 そう言って、今度は、森原を見た林田。真っ直ぐに見つめ、


「私も、今日、森原先輩と同じフェリーで、苫小牧から帰ります」

 淀みなく告げていた。


「ええ。わかったわ」

 頷いてはいたが、森原はどこか戸惑ったような、怖気づいたような表情を見せていたのが、気になった。


 こうして、3人の奇妙な「恋」のレースは終わりを告げることになる。


 いや、むしろここからが「本当の始まり」になるのだが、それはまた別の話になる。


 午前10時。

 テントを畳む彼女たちを俺は見守っていた。


 20分ほどで全ての荷物を積み終えた彼女たちは、俺の前に立つ。

「じゃあね、山谷くん。熊には気をつけて」

「ああ」


 付き合ったばかりの、「彼女」の森原沙希は、どこか落ち着かないような表情を見せているように、俺には映った。まるで林田に怯えているかのようにも見えるが、気のせいかもしれない。


「先輩。一人で北海道を満喫できるなんて羨ましいです。いつ帰るつもりですか?」

「8月いっぱいはこっちにいる」


「っていうと、あと2週間も。いいなあ」

「いいからさっさと帰れ。気をつけてな」


「はーい。先輩も」

「ああ。わかってる」

 一方の林田は、いつも通りだった。彼女は恐らくは俺のことが「好き」なのかもしれないが、今朝のことで、その気持ち、つまりは恋に「敗れた」敗者とは思えないくらいに、清々しい表情をしていた。それがかえって不気味に思える。


 ともかく、彼女たちを先に見送って、苫小牧に向かわせる。

 テント用具を積んだ、旧式の銀色のカタナと、青いスカイウェイブ250がキャンプ場から去って行く。それぞれ左手を上げて手を振って出て行った。


 俺は、まだまだ時間があるので、チェックアウトのギリギリまで粘り、同時に、彼女たちとは逆方向に向かう。


 即ち、ニセコ方面だった。


 今日は、気ままにニセコから積丹しゃこたん半島を目指し、小樽あたりのホテルで泊まるか、キャンプするか、漠然と考えていた。


 女たちが去った後、いよいよ俺にとっては「初めて」の北海道を周遊する、大ツーリングが始まることになる。


 天気は、おおむね「晴れ」だった。もっとも、それは広大な北海道の大地の中心都市、札幌市の情報である。


 広すぎる北海道では、場所によって、天気はがらりと変わる。


 その日から2週間が、俺にとっては恐らく「一番幸せ」な時間だったと、後から思い返すとわかる。

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