第8話 バッティング

 次の土曜日がやって来た。


 その前に金曜日の勤務中に、喫煙所で彼女の希望を一応聞くと、

「どこでもいいですよ」

 とのこと。


 逆にそう言われると、目的地に迷ってしまう。

「お前、家はどこだ?」

下北しもきたです」

「なら、房総半島か犬吠埼いぬぼうさきあたりならどうだ?」

「いいですよ」

「じゃあ、待ち合わせは、海ほたるな」

「りょーかいです」


 あっさり決まっていた。下北、つまり下北沢は東京都世田谷せたがや区で、ウチからも割と近い。

 お互いに行きやすい場所がいいだろうということになった。


 仕方がないので、念のためにLINEを交換する。



 だが、当日、俺は正直あまり「乗り気」ではなかった。林田は、背が高く、胸も大きい森原に比べたら、あまりにも「女子」としての魅力に欠けていると思ったからだ。客観的には、そこそこ「可愛らしい」女子に見えるかもしれないが、子供っぽいし、俺の好みではなかった。


(面倒だが、行くか)

 重い腰を上げて、コンテナに向かい、カタナを引っ張り出して、またがる。


―グォーン!―

 少し吹かしてみると、今日もこの相棒は、元気だった。それもそのはず、まだ買ってから、そんなに時間が経っていない。

 せいぜい、一度オイル交換をしたくらいで、走行距離自体が浅い。


 高井戸インターから首都高速道路に入り、西新宿ジャンクションから中央環状線に入り、湾岸線を経由して、アクアラインに入り、1時間弱で、海ほたるに着いた。


 待ち合わせ時刻は、午前8時。だが、森原の時とは違い、いまいちテンションが上がらない俺は、時間ギリギリの7時57分頃に到着していた。


 地下の駐車場には、彼女の物と思われる青いスカイウェイブ250がすでに停まっていた。確かタイプSとかいう種類だったと思う。ハンドル周りに、スマホホルダーがついているのが見えた。


―着いたぞ―

 バイクを降りて、エスカレーターに向かいながらLINEを打つ。

 既読と返信はすぐに来た。


―おっそいです。私、屋上で景色眺めてます―

 仕方がないから、エスカレーターを登って、一番上まで行く。


 ここ、海ほたるPAは5階建てで、1階から3階までは駐車場、4階と5階はショッピングエリア、レストランエリアになっており、5階が屋上で展望デッキがある。バイクは1階に停めることになっている。


 彼女は、エスカレーターを降りてすぐの、屋上の展望デッキにいた。

 朝の風に、癖っ毛の髪をなびかせながら、柵の外に広がる海を見つめて佇む小さな人影。すぐに見つかった。薄い青色のジージャンのような物を着て、下は黄土色のチノパン姿だった。


「よう」

 振り返った彼女は、特段、怒っているようには見えなかったが、少し不服そうに、

「遅いですよ。ほとんど時間ギリギリじゃないですか」

 と顔を顰めてきた。


「今、8時だからいいんだよ」

 携帯の時計を見ながら、苦し紛れの言い訳をしつつ尋ねる。時刻はちょうど8時だった。


「いつ着いた?」

「30分前です」

 その一言に、俺は内心、自虐的に笑っていた。


 何しろ、森原の時は、俺が張り切って、約束の30分前に着いていたのに、今は立場が逆だからだ。それほどこいつは俺とのツーリングを楽しみにしてくれたのだから、本当は喜ぶべきところかもしれない。


「じゃあ、行くか?」

「はい」

「どこに行きたい?」

「先輩に任せます」


 どうも自主性がないな、と思って、

「適当だな」

 と愚痴ると、彼女は、穏やかに微笑み、こう返してきた。


「いいんですよ。ツーリングは『どこ』に行くか、じゃなくて『誰』と行くかが大事ですから」

 こういう辺りは、「女」らしい考えとも言える。


 とかく、男は「場所」にこだわるが、女は誰かと一緒に過ごした「時間」にこだわるという。


 ともかく、こうしてひょんなことから、俺はプライベートを彼女と過ごすことになった。デートみたいに見えるだろうが、俺の中ではそんな気持ちは全くなく、「付き添い」みたいな気分だったが。


 海ほたるを出て、真っ直ぐに海の上を走るアクアラインの橋を渡る。

 ビッグスクーターのスカイウェイブは、それなりに速いし、スクーター特有の静かな駆動音を響かせながらも、一応、彼女はしっかりとついてきた。


 ローダウンシートを装着しているそいつに乗ってもなお、身長の低い彼女は、バイクに比べて小さく見える。


 アクアラインから橋を越えて、千葉県に入り、まずは無難に向かった場所は、養老渓谷だった。


 房総半島を代表する観光地でもあるそこは、細長い滝が流れ、野趣に富んだ、自然の渓谷だ。


 5月という時期でもあり、気候的には快適な1日だった。


 そこでバイクを停め、一通り見て回り、無難というか、当たり障りのない会話をして駐車場に戻る。


 なお、改めて聞くと、彼女の身長は152センチだった。小さい。一般的な高校生の平均身長よりも低い。


 そして、駐車場で俺たちは、マズい物に遭遇してしまう。


 銀色の旧型カタナだった。しかも今、まさに到着したばかりで、ヘルメットを脱いでいた。乗っていたのは、背の高い女。

(マズい)

 咄嗟に、それが森原だとわかった俺は、隠れようとしていた。別に付き合ってもいないし、やましいことはしていないはずだが、どうもこの間、一緒に行ったばかりの女にこの姿を見られたくはなかった。


 だが、不運なことに隠れる場所もなく、ヘルメットを脱いだばかりの彼女と目が合ってしまった。

「山谷くん。その子は?」


 近づいてくる、その目が心なしか怖かった。どう言い訳をしようか、考えていたら、彼女は、俺ではなく、林田に注視していた。


 そして。

「あら、ひなのちゃんじゃない?」

「森原先輩。お久しぶりです」


「えっ。2人とも知り合い?」

 むしろ俺の方が、この意外な組み合わせに仰天していた。それに、外見が大きく変わってしまった林田に全然気づかなかった俺とは違い、彼女は一目で見抜いていた。さすがは女子というところだろう。


 片や優等生の美女、森原。片やいい加減なギャル風の林田。2人に接点なんてないと思っていたのに、世間は狭い。


「大学の自転車部の友達の妹さんよ」

「えっ。そうなの?」


「まあ、そもそも私が大学の学校祭に行ったのも、姉に会うためですからね。森原先輩とは姉を通して、面識があるんです」

 答える林田も、どこか気まずそうな表情を浮かべて、視線を森原から離していた。


 さらに、マズいことに、

「この間は、私とツーリング行ったのに、今度はひなのちゃんとなんだ。ふーん。楽しそうでいいわね、山谷くん」

 にこやかに微笑んでいたが、目が笑ってない森原が、逆に怖かった。


「いや、違うんだ、これは。こいつがどうしても、って言うから」

「いいのよー、別に。それに私たち、付き合ってるわけじゃないもんね。じゃあね」

 あっさりとそう告げて、彼女は1人、養老渓谷へと入って行ってしまった。


 どうでもいいが、こんな観光地に1人で来る彼女も、相当「変わってる」と思うのだが。

 だが、あれは完全に怒ってるな。後でフォローしておこう。


「へえ。森原先輩とはやっぱり仲がいいんですね、先輩」

 今度は、林田から、不審な物を見るような目を向けられていた。


「いや、別に」

「隠さなくてもいいんですよ。お2人が大学時代から仲がいいのは、姉から聞いて知ってますからね、私」

 そうだった。思い出していた。


 こいつは俺に対して、「ストーカー」まがいのことをやっていたのだった。

 逆に俺は、この林田の行動の方が怖い。


「お前。ストーカーらしいが、俺のこと、どこまで知ってるんだ? 場合によっては、警察に突き出すぞ」

 と脅していたが、彼女は、あっけらかんと笑い声を上げて、


「先輩。マジにならないで下さい。半分、冗談ですから」

 と言ってはいたが、裏を返せば半分、本気なわけだ。


「俺の誕生日は?」

「知りません」

「血液型は?」

「知りません」

「じゃあ、好きな食べ物は?」

「だから知りませんって」

 かまをかけたが、さすがにしつこかったのだろう。嫌気が差したように、彼女は、


「本当に、ちょっと気になったから、たまーに見てた程度ですよ。姉に会うために大学に行った時に、先輩のこと、遠くから見てたくらいで、全然知らなかったんです」

 とは言っていたが、つまり「遠くからは見ていた」と証言が取れた。

 もっとも、俺と林田は学年で言えば、4個離れているから、接点は少ない。


「やっぱストーカーか。面倒な相手に捕まったな」

 溜め息を吐くと、

「だーかーら。ストーカーじゃないですって」

 彼女は、笑いながらも、怒ったように眉を上げて反論してきた。


 仕方がない。もうこの話は終わりにしよう。森原の態度は、気になるから、後で説明をしておこう。

 次に向かったのは、太平洋岸に位置し、そこからは1時間ほどで行ける場所だった。


 九十九里有料道路と呼ばれる、有料の自動車専用道路。右手に海を見ながら走ることが出来る、全長約17.2キロメートルの道路だった。


 互いにインカムこそ持ってはいなかったが、それでもバイクで走るには、快適で、俺も後ろの彼女も晴れやかな表情で、そこを駆け抜けていった。


 終点を越えて、少し行ったところにある、海の駅九十九里。一種の「道の駅」に近い観光施設に入り、俺はバイクを停め、後ろの彼女を待った。


 1000ccのカタナにも、彼女はきちんとついてきていた。排気量から来る、速度の違いはもちろんあるものの、女子にしては比較的速い。


「いやー。気持ちいいっすねえ」

 喫煙所で、並んでタバコを吸いながら、彼女は呑気に空を見上げて、煙を吐いていた。


「なあ」

「はい?」


 俺は、どうにも気になることを彼女に問いただすことを決意する。恐らくだが、彼女は俺に「それなりに」興味を持ち、もしかしたら好意すら抱いているかもしれない。


 だが、その理由が良くわからないし、4年前のたったあれだけのことで、普通は興味を持つだろうか、ということだ。

 それに、「得体の知れない」女に言い寄られて、喜ぶほど俺はガキではない。


「お前は、俺に幻想をいだきすぎじゃないか? 言っておくが、俺はお前が思ってるほど、大した男じゃないぞ」

 しかし、かすかに微笑みながら発した彼女の答えは、


「そんなことないですよ。再会した先輩は、やっぱり私の思った通りの人でした」

 だった。


 その理由を知りたかったから、

「何故そう思う?」

 と聞いたが、


「この先は、次の目的地で話します」

 そう告げて、林田はさっさと自分のバイクにまたがってしまった。


 どこかミステリアスな彼女とのツーリングは続いた。

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