第3話

「朝か……」



 かすれた声にバニラは戦慄した。

くたびれた襟も、ボサボサの髪の毛も、そして疲れを深く刻み薄く開いた目も、最初に会った日の姿と重なった。

言葉を失いつい後ずさったバニラを見て、ジャンボはゆらりと体を起こす。



「ん……?なんだ、その格好……」



 寝ぼけ眼と言うには鋭すぎるの視線に、バニラはそのままそっくり同じ言葉を返したかった。

しかし、顔をひきつらせながら、なんとかバニラは笑う。



「あ、これね、その、仮装?吸血鬼の」

「ふーん……?」

「なんかバオズやに変な格好していくと、割引券貰えるんだってさ……だから……」

「ああ……そういや、今日か……」



 ゆっくりと揺れるようにジャンボは立ち上がった。

なんでこんなにくたびれているのか、バニラには分からない。

昨日の撮影所での殺伐とした苛立ちと、怒鳴り声の混じったやりとりは、さすがのジャンボも辟易としていたのだ。

そんな日ばかりな訳でもないが、監督によってはこんな日々が続く。

撮影隊も、ほかの役者も、家では似たようなものだろう。


 ジャンボはまた大きくあくびをした。



「チョコも起こすか……」



 フラフラしているジャンボを目で追って、バニラは逃げるように言う。



「お、俺、先に行ってるから。じゃ!」



 そのまま玄関の扉を開けて駆け出すバニラの背中を、ジャンボはぼーっと見送った。

このまま三度寝しようかという誘惑もあったのだが、バニラを追わなければという気持ちもある。

ひとまずチョコを起こそう。

そう思い、肩を揺らした。



「チョコ〜……朝だぞ……」

「うーん……」



 いつもより雑な揺らされた方で、チョコは少しだけ不機嫌そうな声を出す。

そして、なんとか目を開けて「起きたよ〜」なんて言いながら、ジャンボと視線を合わせた。

途端にギョッとする。



「ひっ!ジャンボ……どうしたの?」

「なにが……?」



 チョコは顔を青ざめさせて、くたびれたジャンボを見上げていた。

それはまるで初めて会った日の……という、バニラと同じ感想を持つ。

ジャンボはチョコから離れて、台所の方へ向かった。



「なんか……飯……作るか……」



 ジャンボはおぼつかない手で中華包丁を握り、寝ぼけながら野菜を切ろうとする。

チョコは慌てて止めに入った。



「いいよ!なんか買って食うから!ジャンボさすがにヤバいって!」

「ん……?」



 ぐらっと揺れながら振り返ったその姿は、中華包丁を手にしたその姿は、まさしく。



「ぎゃー!!!」



 チョコはビビり倒して物陰へと逃げた。

ジャンボはよく分からないながらも、不快そうにする。



「なんだよ……人をおばけみたいに……」




 その声を聞いて、チョコは余計なことを思いついてしまった。



「おばけ……」



 そうだ、今日はバオズやがなんか言ってたあれだ。

名前は忘れていたが、脅された内容は覚えていた。

死者が生者を連れていこうとするから、怖い格好をするんだよ、と。



「これだ!」



 チョコは物陰から飛び出して、ジャンボを見て満足そうに叫んだ。

何がなにやら分からないジャンボは、まだ朝食を……とか言ってたが、チョコは首を横に振る。



「バオズやで食べればいいよ」

「でも俺、仮装とかあんまり考えてないぞ……」

「撮影所から貰ってきてくれたやつ、あるじゃん」



 あー、とジャンボは答える。

壊れかけの小道具とか、そういうものをチョコやバニラは欲しがったので、おもちゃとしてジャンボはもらって帰ってきていたのだ。

チョコは企みを込めて笑う。



「バオズやをこれで倒せるぞ……」

「倒しちゃダメだろ……」



 永遠に寝ぼけたジャンボをそっちのけで、チョコは楽しそうに小道具の箱をひっくり返した。

変な朝が過ぎていく。

ジャンボは昨日の食べ残しをつまみながら、その様子を見ていた。

なんか楽しそうだからいっか。


 なんて思いにチョコは爆弾を投げつける。



「あった!ジャンボの装備はこれね!」

「装備って……は?」



 不敵に笑うチョコにおされるがまま、ジャンボはどっさり渡された小道具の山を見つめる。



「さすがにこれはやりすぎだろ……」

「怖い格好しないとオバケに連れていかれるんだぞ!」

「まだ言ってるのかよ……仮装はどうするんだ」

「今のジャンボがいちばん怖いから大丈夫」

「失礼だな……」



 真剣な顔をしながらも、相変わらずチョコは本当に楽しそうだ。

じゃあ……いいか。


 と、寝ぼけた頭はアホな判断を下していた。

今日はハロウィン、だっけか。

背中を押すチョコと共に家を出た。

よろよろと歩いていく二人を見て、笑って声をかけようとした隣人はそのままかたまった。

それに気が付かず、ジャンボは歩いていく。


 バオズや店主は、いつもよりさらに賑やかな店内を忙しそうに動き回り、脅威が近づいていることに気が付かない。

街を抜けてひとつ横の通りに向かう二人に、声をかけられる者はいなかった。


 そして、ついに扉が開く。



「いらっしゃ……」



 まるで地獄の門が開いたように、店主は凍りつき、店内も凍りついていた。

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