第3話【店員達のオフレコ】
高瀬が去った後――同階ブラウンメーカーズカフェ内。
腰程の長さまである長髪を高い位置で一括りにしている女子が一人、カウンターに立っている。動作の度に靡く黒髪は手入れが行き届いているようで艶やかだ。平均身長よりやや背の高い、すらっとした体躯に、白のカッターシャツと黒地のエプロンがよく映える。彼女は何かを逡巡したのち、近くの金髪パーマの青年へ一言声を掛けた。
「あの、先輩」
「お? なんや
サイフォンを洗う手を止め、金髪パーマもとい
「いや、なんか、この会社にも致命的に愛想無い人って居るんすね」
不明点があるかという葛西の問いに、樋口は明確な答えを返さなかった。ただ仏頂面のまま、ひとつの淀みもなく、先程来店した不愛想な客をバッサリと切り捨てた。切り捨てたまま、社員証吊り下げてたからあの人もうちの社員さんで間違いないと思うんですけど、と続ける。葛西は樋口の物言いに一瞬面食らったあと、肩から身体を次第にぷるぷると震わせて……。
「っふ、……ふは、あははははは!!」
とうとう我慢できずに愉快そうに笑いだした。シンクの周囲に洗いかけのサイフォンから泡が飛び散る。今度は樋口が面食らってぽかん顔だ。二分程だろうか、葛西は一頻り笑い終えた後、樋口に向かって息も絶え絶えに話しだした。
「はは、あ~ほんま、死ぬかと思った。で、あれな、さっきの人な、……ふふ、確かに愛想もないし、損するタイプやなぁ。んでなんか、コミュ障っぽいよな。うちの制作部のデザイナーらしいで。画面ばーっかめっちゃ見とるんやろな、ようわからんけど、人込みとか苦手そうな感じするな、俺の分析によるとな! いやでも……っふふ、いやアカンわ、ギャップが凄いな、自分!」
笑いのツボが浅いのか、葛西は最終的に思い出し笑いをかましながら、樋口の背中をバンバン叩いた。
「先輩、力強いっす、あと頭揺れますソレ」
身体を揺らしながらも淡々と返答する樋口に、葛西は再度吹き出しそうになる。
「あっはは! すまんすまん、ふふ……、いやほんま、俺ここで働いて長いけど、こんなおもろい子初めてよ。ははは」
本当に謝っているのかわからない程度の軽い謝罪を告げて、喋りながらシンクに向かう。漸く葛西が先程のサイフォンを洗い終えた。
カウンターの定位置についた葛西を一度見て、樋口も横に並んだ。そして少し首を傾げて、葛西の顔をまじまじと見つめる。傍目に見ると彼氏彼女の距離感である。くっきりとした二重、目じりはやや上あがり。ブラック珈琲の様な底の見えない黒色の瞳は、何度か瞬きをした。
「どした」
樋口の目力に押され、カウンターの端へとやや後退りしながら葛西が問うと、樋口は何かを思い出したかのようにポンと手を叩いた。
「なんて言うか、先輩って笑い上戸なんだなって言いたくて。言葉、出てこなかったです。前世、曹操孟徳とかなんすかね?」
ぱちくり。
「へ?」
一瞬の間をおいて、葛西が言葉を零した。樋口の言葉を読み取れていない顔はそのままに、再度瞬きをする。
「曹操孟徳……」
「そうそう、もう、とく?」
片言の様に樋口の言葉を繰り返し、なんやそれ……、と聞こえるか聞こえないかの声で葛西はぼやいた。
「なんか、三国志の有名な軍人です。よく笑う人だったらしいですよ。なんかの番組で見ました」
「へぇ……」
そんな人おったんや、と葛西がつぶやいて終わるかと思った会話は、樋口がもう一度掬い上げた。客から注文されたブレンド珈琲をカップに注ぎながら、淡々と続ける。昼のピークは過ぎたようで、レジ前に並ぶ客の姿はもうない。
「確か、身長は一六〇センチくらいだったとか」
「待って、俺一八〇なんやけど?」
樋口の発言に、軽く眉根を寄せて葛西が反論した。
「子供のころはずる賢くて……」
「ほう、それはまあ当て嵌まるかもしれn」
「宮中では軽薄で騒がしく」
葛西がシンクに軽く凭れかかりながら、逡巡するように顎に手を当て、頷きながら答えるや否や、カップに珈琲を注ぎ終えた樋口が食い気味に続ける。完成したブレンド珈琲は葛西の手に渡る。
「――ぅうん?」
一瞬捉えきれなかった言葉を脳内で軽く反芻しながら、葛西は紙袋を用意した。
大変お待たせしました。ブレンド珈琲、トールサイズですね。また来てください~、と持ち帰り用の珈琲は、無事に葛西の手から最後の客に渡った――渡ったところで樋口が続けた。
「威厳もなかったとか」
「酷ない⁉」
さっきまで笑顔で客を見送っていた葛西が、目を見開いて間髪入れずにツッコんだ。
え、樋口の俺に対する評価そんななん⁉ いやええ予感は微塵もしてなかったけどな? してなかったけど! まだウチに来て一か月経ってないで⁉ もっとこうあるやろ! マシなのが! 樋口の肩をガシッと掴み、がくがくと容赦なく揺らして葛西が訴える。容赦のない言われように必死だ。
「オウオウオウオウ……揺れるぅ」
宇宙人のような声が樋口から漏れる。括られた黒髪がゆらゆら規則的に波打ち、エジソンランプからの光を反射する。その艶めきは短い間で止んだ。
「よ~うに、な。よ~~うに、照らし合わせてみ、一か月振り返って」
一通り揺らし終わった後に、ふぅと一息おいてから、葛西がねちっこく念を押すように再考を促した。
「えぇ……」
嫌そうな顔を隠さず向けるが、葛西の必死の形相を見て、すぐに「困った上司」と言いたげな顔になった。そのまま、う~んと前置いてから、斜め上へと視線を漂わせる。暫く考えた後、真顔のまま葛西へと視線を戻し。
「……よく喋る」
「いやまあ、そら関西出やし、他と比べたらそうかもしれんけど」
葛西が仕方ないと言わんばかりに渋々肯定した。
「副店長なのに……」
「なんや」
次の言葉を予想した葛西が一瞬凄むが、樋口は言い淀まなかった。
「威厳はな」
「やかましわ」
――スパン!
い、の音を待たずして、ツッコミながら葛西が樋口の背中を叩いた。
「痛っ、くなかった」
反射で痛いと言おうとした樋口が、そのまま否定した。小気味いい音は鳴ったものの、痛みはまるでない。
「さすが、関西出身」
「アホ。ちゃっちゃと手動かす」
軽く背中を擦って確認した樋口が称賛するが、葛西は軽く一蹴して小さくため息を吐き、業務へと戻っていった。
「うっす」
樋口も葛西に続き、マドラーやらサイフォンやらカップやら――とにかく沢山の洗い物が溜まったシンクへと歩き出した。
昼のピークが過ぎ、人が疎らになりだしたフロアには、ソーサーやカップが軽く接する音、水道から流れる水音や機械のモーター音が、不快感なく混在している。それに紛れて、微かにスムースジャズが流れている。先程まで人の話し声で聞こえにくくなっていたその音の輪郭は、より一層はっきりとしてきた。テラス席のガラス張りの窓から差し込む光が、磨き上げられた床に柔らかく反射する。午後の時間は、緩やかに過ぎていった。
報われずとも、人は生きる。 白明ケ真冬 @SRmafufu
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