第2話【確かな感覚】

――三階 ブラウンメーカーズカフェ・個室ワークルームフロア――

 三階のフロアへ入ると、エレベーターの入り口を四角く囲むように、直線状のデザイン照明がぱらぱらと疎らに、しかし必要な部分に作為的に配置されている。コンクリート研ぎ出しの床をそのまま右手に進んで行くと、フロア全体が見渡せる広めのテーブルが、中央に見えてくる。背板一体型の椅子も数脚ほど備え付けられており、パソコンを開いて作業している人もちらほら見受けられる。奥に行くほど、人影は多そうだ。

「これは、だいぶ混んでる……かな?」

 うちの社内カフェは三階フロア右寄りのオープンスペースにある。一段高くなった木材床をベースに、ディスカッションルームに背を向ける形でメインカウンター、背面に回ると機材とシンクが並び、それらを覆うように石膏ボードとボード付けのカウンター席が広がる。メインカウンターを中心に、エジソンランプがアトランダムに吊るされており、素朴でどこか懐かしい、アンティークな雰囲気を醸し出している。

「いらっしゃいませ~」

『あー、せわしいせわしい……留まらんなこの時間は。またお客さんや、あぁー、いつもの人か』

 メインカウンターに並ぶと、明るい声が飛んでくる。関西弁の葛西かさいさんだ。金髪に軽めのパーマがよく似合う青年だ。こちらに向けられる人懐っこいにこやかな営業スマイルが、とても眩しい。暫くして列が進み、僕がレジ前に立つと、

「今日もいつものでええん?」

『多分そやろ』

 慣れた様子で葛西さんが問いかけてきた。ほぼ毎日カフェを利用する僕は覚えられているようで、毎度毎度同じものを頼むものだから、メニューも覚えられてしまっている。オリジナルブレンドをブラックで、ホットのトールサイズ。砂糖不要で、後入れのミルクポーションひとつと、マドラー付属。あとは、スコーンを一つだけ温めてもらう。これがいつもの注文だ。僕の返答を待ちながらも、葛西さんの手はトールサイズのカップに伸びている。

「あはは、そうですね。いつものでお願いします」

 いつも通りの注文を依頼し、受け取りカウンターの近くへ移動する。手元の時計に目を落とすと、時計の針はちょうど正午に差し掛かるところだった。もう昼前か。どおりで、ノイズが響く。うちの会社の中でも特にブラウンメーカーズカフェは人が多く、昼間は混みやすい。一階に美味しいと話題のレストランも数軒あるのだが、このビル自体が大通りに面しており、昼間は一般客でごった返す。社内にあるこのカフェは、基本的に社員もしくは社内へ用がある人しか利用しないため、一階のレストランへ態々足を運ぶ人は稀だ。

 入社直後に一度、そこまで混雑することを知らずに足を踏み入れて、たいそう痛い目にあった。人が多く、それも全く知らない人達の遠慮のない言葉達が、津波の様になだれ込んでくる。そうもノイズが酷すぎると、こちらは食事どころではない。吐き気すら覚える。

 結局のところ、体調不良に直結してしまうので、人が多い場所にはあまり長居はしたくない。だから、必ず混む時間を避けるようになったし、持ち帰りができたり、接触ができるだけない店を選ぶようになってしまった。

 中でも必要最低限の会話で済み、持ち帰りがスムーズで品物も美味しい、うちのカフェのような場所は、僕にとってはとても有難かった。特に先程の葛西さんは、ほぼ毎日シフトに入ってるみたいだし、だいぶベテランなのだろうと思う。手つきも仕草も無駄がなく洗練されている。ああこんな店がどうか増えてくれないものだろうかと思いを馳せていると。

「お待たせしました。どうぞ」

 女の人の声にしてはやや低い落ち着いた声にはっとする。

「あ、はい。ありがとうございます」

 紙袋を差し出され、ソレを反射的に受け取り、お礼を言って、カフェを早足で抜ける。受付に立つ葛西さんがにっこりしながら、ありがとうございました~、とお辞儀をしていた。こちらも軽くお辞儀を返しながら、ふと、気づく。

「……あ、え?」

 ノイズが一瞬途切れた感覚が、先程、確かにあったことを、僕の身体は覚えていた。遠のくノイズに一度立ち止まる。

 いや、気のせいか。だって、今までにそんなことなんか、無かったもんな。

 ノイズが遮断されるなんてことは、高校以降今までに一度も体験がない。心の声のない世界、そんな状況は能力を持つ前の話になってしまう。そのことを思い出し、何かの間違いだろうと首を振って、僕はワークルームへ歩き出した。淹れたての珈琲の香りだけが、その場に留まっていた。

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