報われずとも、人は生きる。
白明ケ真冬
第1話【蔓延るノイズ】
僕は普通の人にはない能力がある。信じられないかもしれないけれど、本当のことだ。最初は空耳かと思っていたけれど、そうではなかった。確かに、聞こえるんだ。おそらくその人が思ってる〝本音〟がリアルタイムで脳内に響いてくる。それを知ったのは、もう遠い昔のこと――。
忘れもしない、高校三年生。卒業式の後、屋上前の階段の踊り場。
前年まで同じ学校だったバレー部の先輩が後輩のために卒業式に来てくれていたのを知った僕は、先輩へ声を掛け、屋上前に来てもらった。部を超えて分け隔てなく周囲に接し、面倒見の良い先輩だった。僕は美術部だったけれど、学祭で展示品の飾りつけや配置を手伝ってもらった時。配置し終わった僕の絵を見て、それは綺麗な笑みで言ったんだ。
「君の絵、私は好きだな。部は違うけど、これからも応援してるよ」
ただの一言だけど、その時の僕には大きかった。挫折しそうな僕の筆を保ってくれた言葉だった。そのことを含めて、先輩に思いを伝えていると、響いてきたんだ。
『この子、いつの話してるんだ? 私そんなこと言った覚えもないし、第一、誰だっけ? うーん、印象に残ってないんだよね。取り敢えず美術部員って話っぽいけど……興味、ないなぁ』
「――え?」
その声が脳内に響いた瞬間に、間抜けな僕の声が零れ落ちた。見開いた目で目の前の先輩を凝視する。先輩はというと、話が途切れてきょとんとしている。
「なん、え……、あの、せ、先輩?」
突然の声に困惑している僕の問いに、先輩は訝しげな表情をして、軽く頬をかいた。
「ん? どうかしたか?」
『なんだコイツ、びびってない? 何に対してびびってんだか、意味わからんやつに好かれたもんだ』
また、聞こえる。若干エコーのかかった声で、反響するソレは先輩の声に違いなかった。疑うはずもなかった、だってあれだけ恋焦がれた声だったから。動悸がして、ぐらりと眩暈がする。第六感だか超能力なんて信じたことは一切なかったし、今だって信じ切れてはないけれど、きっとこれは、先輩の本音なんだろう。
図らずも、僕には一縷の望みも何もなかったことが、理解できてしまうわけで。当然答えは、
「ごめん、ちょっと今はそういうの考えれないっていうか……、気持ちだけ有難く受け取っておくよ」
『興味もない男子に言われても、靡かないよな。すまんけど、この後用事もあるんだ』
――という無慈悲なものだった。
僕の淡い恋心は、一瞬にして崩れ去ったという訳だ。
以来、人と話す・関わることが苦手になり、社交の場を避け始めた。人と話す時は一呼吸置くようになったし、無機物に集中しながら会話をするようになった。そうすると、フォーカスがずれてくれるらしく、比較的スムーズに会話ができるようになる。
ただ、視線を人物に合わせないために、よく人からは――
「ほんっと、
『まったく、しっかりしてもらわないと』
このように、お叱りを受けることが多くなった。直視できないためにこのように思われてしまうのは致し方無いこと、僕(
「どうにも、すみませんね。僕としては、この方が話が分かりやすくていいんです」
こちらも、お決まりのセリフだ。
「そうは見えませんよ、こちらとしては。仕事する仲間なんですから、そこらへんはしっかりとしていただかないと」
即座に厳しい追い打ちを掛けてくる彼女、重藤めぐみは大変優秀なコピーライターであり、僕の同僚だ。高校卒業後、近くの美大へ進学した僕は、縁あってこのクラフトストーンカンパニーに入社。制作部のデザイナーとして仕事をいただけることになった。個室ワークルームもあり、仕事上必要であれば人と関わるが、大人数を相手にすることは稀で、比較的短時間の接触で済むため、僕の能力も強く作用することはあまりない。有難い環境だ。他職や、同職でも他の企業であればこうはいかなかっただろう。重藤さんからもらった資料をパラパラめくりながら、ちらっと彼女に目線をやる。
「
しっかりしていて、物怖じしない、仕事も出来る。そしてなにより美人な重藤さんは、ちょっぴり苦手だ。なぜなら彼女は頭の回転が速い。脳内で考える事項が多いうえに、内容は広く深く、それらの整理も著しく速い。そんな人の思考は、直視してしまうと物凄い速さと質量で僕の頭に響いてくる。だから、特に彼女がいると集中できない。うちの会社、特に制作部には優秀な人材が多い。この能力が無ければしっかり腰を据えて話をしてみたいとは思うが……それはこの先当分難しい話だろう。よく纏められた資料を片手に、僕は軽くため息をついた。
白石部長と話をする重藤さんは、暫くこのフロアにいる様だ。自身のデスクで仕事をしようとも思ったが、彼女が近くにいるだけでノイズが際立つ。このままでは彼女から渡された案件も進まなくなるだろう。環境のせいで進捗が思わしくないのは、よろしくない。今後のモチベーションにも関わる。
やはりここは、個室ワークルームへ移動して作業を進めようと、僕は静かに席を立った。
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