第2話
助けて、とSNSの裏アカに書き込んだ。表のアカウントはユリに知られている。裏は……たぶん大丈夫だと思うけど、どうだろう。匂わせ書き込みなんかしたら鬼電が来るかもしれない。怖い。
通知がきた。リプ。ユリだったらどうしよう。震える手で確認する。
「助けてあげましょうか?」
見ず知らずの捨てアカからのメッセージに、わたしは飛び付いてしまった。
南條ユリさん、はー、大人気ですよねえ、とその男は言った。
いつもなら捨てアカからのリプなんて無視するし、場合によっては即ブロなのに、その時のわたしはちょっとおかしくなっていて、相手にダイレクトメッセージを送ってしまった。短いやり取りの結果、今わたしは同世代ぐらいの男と新宿にある喫茶店で対面している。
「なんか、すごいご縁ですね。そこまで執着されるとか」
「縁……だとしたら悪縁ですよ、こんなの」
「縁切り神社には行きました?」
「そういうの信じてないんで」
信じてないんだ、と男は笑った。小柄な男だった。小柄な体の上に厚手のコートを着ていて、マフラーもぐるぐる巻きにしていて、でも見た目よりも大きく見える不思議な男だった。
「俺も信じてないです。悪縁はねえ、物理的に切らないと終わらないから」
「は?」
何を言ってるんだろう、この人。ていうかわたしはいったいここで何をしているんだろう。
手元でコーヒーが冷めていく。
「見ましたよ、映画。そこの映画館で」
「はあ」
「南條ユリさん、別に演技うまくないのに不思議ですね」
「はあ」
「それで、どうしましょう。殺しますか?」
「はあ」
え?
「えっ……?」
「私、殺し屋なんです。この度久しぶりに帰国しまして。ほらウイルス。あれの所為でなかなか帰ってこれなかったんですよ、日本に。まあ韓国居心地良かったからいいんですけど」
なにを、わけの、わからない、ことを。
「南條ユリ、いいですね。復帰第一弾としてはなかなか」
「ちょっ……殺すってそんな……」
「DM貰ってから私もちょっと調べてみたんですけど、天性のものなんですかねえ、確かに彼女の周りには人が集まる。でも彼女は今のところ誰にも興味がない様子ですね。不思議不思議」
「あ、あの、ウォーターさん!」
ハンドルネームだ。
「物騒なのはお断りです。ていうか、冗談にしても悪質ですよ」
「そうかな? でもあなたは、南條ユリと知り合ってからこっち、何もかもを奪われっぱなしなんでしょう?」
リョウちゃん、教授、監督、それに須東さん。
流し込んだコーヒーが胃から逆流しそうになる。送られてきた赤ん坊の写真を思い出す。
「まだまだ続いちゃいますよこれ。あなたの人生めちゃくちゃだ」
「もうとっくにめちゃくちゃだから……」
「この先もっとめちゃくちゃになります。バラバラさん、あなた今恋人はいますか? ご結婚は? どちらもまだでしょ。理由は、怖いからでしょ?」
「……」
反論できなかった。そうだ。怖いからだ。わたしが誰かを愛したら、すぐにユリがやって来る。須東さんとだってほんとはとっくに別居してる。ユリ本人から聞いた。ユリは今、私の会社の先輩と一緒に暮らしている。新入社員の私を妹のように可愛がってくれたアズサ先輩。
いつまでこんなことが続くんだろう。
「南條ユリが生きているあいだは、ずっと」
ウォーターさんが言った。
「もしくはあなたが、南條ユリを愛するようになるまで」
「それは」
ない。ユリのことを愛するなんて、そんなの絶対有り得ない。ユリはわたしからすべてを奪っていく。この先もずっと? こんな生活がずっと、死ぬまで続くの?
「……ウォーターさん」
「お代は結構ですヨォ。殺し屋ウォーターここにあり、って宣伝になりますからね」
ひと月後。わたしは都内にある大きな公園を訪れていた。わたし以外にも野次馬やエキストラらしき人々が大勢いる。今日はここで、ユリが主演するドラマの撮影が行われるのだ。
「アイちゃん!」
ユリがわたしを見つける。大きく手を振る。大輪の花のような笑顔。
「来てくれたんや。嬉しいわあ」
「ん。たまには親友の仕事っぷりを見たいなって思って」
「親友! 嬉しい! うちのことそんなん言うてくれるのアイちゃんだけやで」
そんなはずないだろう。嘘吐き。でもわたしはニコニコと笑顔を絶やさずにいる。これは作戦だ。殺し屋を名乗るあの男が今、この公園のどこかからユリを狙っている。どうやって殺すんだろう。拳銃? ナイフ? それとも毒殺? 分からない。成功するかどうかも微妙だし、そもそもあの男はここに来ていないかもしれない。でも、それでも良かった。もしかしたら南條ユリは今日ここで死ぬ。想像するだけで心の中が暖かくなった。
「アイちゃん」
わたしの手をキュッと握り、ユリが囁いた。
「うちら、友だちやんね」
「……うん」
頷く。いつものように。その瞬間だった。ユリはその腕でわたしをぎゅっと抱き締めて、それからくるりと体を反転させた。
瞬間、背中に鋭い痛みが走る。目の前で火花が散った。え、なに、これ。
周囲の人たちには、南條ユリが親友を抱き締めてくるりと回転した、そんな風にしか見えなかっただろう。はしゃぎ合う友人たちの姿、微笑ましい戯れ。
でも違う。口の中には鉄の味が広がっている。目眩がする。口からこぼれる大量の血液が、ユリの衣装を汚した。
ユリが絶叫する。わたしはその場に崩れ落ちる。様子がおかしいことに気付いたドラマのスタッフたちが駆け寄ってくる。救急車、救急車呼んでえ、とユリが泣き叫んでいる。でもわたしには分かる。わたしはもう助からない。
ウォーターさん、ほんとに殺し屋だったんだ。銃で撃つなんて。でも相手を間違えてるよ。いや、間違えてはいないのか。わたしはユリの親友だから。ユリのために死ぬのはわたしの死に様としては正解なのだ。
「アイちゃん、アイちゃん、すぐ救急車くるから、しっかりしてアイちゃん」
倒れ伏したわたしの手を握ってユリが泣きじゃくっている。うん、救急車が来るね。でもわたしはきっともうダメ。
「アイちゃん、うちら、友だちやんね?」
そうだね、友だちだね。
友だち 大塚 @bnnnnnz
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