第17話「テレビに翻弄される」の巻

 実は祭林家にはテレビが無い。大学時代に一人暮らしを始めてから、ずっと無い。もちろん、田舎の実家にも無かった。結婚してからも家族の時間を大切にしたいという理由から買わなかった。しかし、それは家族には迷惑なポリシーだった。子供たちは流行から取り残され、肩身の狭い思いをしながら育った。ちなみに車もクーラーもない。

 子供たちが巣立って、妻と二人になってもテレビは買わなかった。会社から帰ると台所でビールを飲みながら自分の酒の肴を作る。料理は得意である。食事をしながら妻と二・三の話題について言葉を交わし、新聞を読んで、本を読んで過ごす。ときには、物をこしらえたり、詩作にふけったりすることもある。テレビのない時間はゆっくりと静かに過ぎていく。かたわらにはいつもビール。この幸せ、子供たちに伝えられただろうか。

 その夜、一本の電話が至福の時間を壊した。本当は電話も置きたくはなかったのだ。

「お父さん。福本さんからよ」と妻に言われ、少し不機嫌な顔で受話器を受けた。

「祭林さん。テレビのニュース見ましたか」

「うちには、そのような無粋な物は置いていない」

「冗談言ってる場合じゃない。加藤さんが、加藤さんが」

 福本の狼狽に、祭林はただならぬ事態を悟った。

「落ち着きなさい。加藤さんに何があったんだ」

「加藤さんが、自宅で殺されたと、テレビで言っています」

 祭林も言葉が出なくなった。

「祭林さん、とにかく加藤さんの家に行きましょう」

「わかった。行こう。とにかく行こう」

 福本が車で迎えに来た。福本は無言で車を走らせた。

 いったい何があったんだ。加藤さん、あの加藤さんが殺されるなんて。他人の恨みをかうような人ではない。強盗か。変質者か。

 祭林の脳裏に、加藤との思い出が次々とよみがえる。バス大演説事件のあと握手を求めてきた同年輩の男。それが初対面だった。脳卒中で倒れたとき、毎日のように見舞いに来て車椅子を押してくれた。あちこちで大暴れして、一緒に数々の伝説を打ち立ててきた。静かでやさしく芯のある人。

途中でバーバー国元のドアを叩いた。「加藤さんが死んだ」と聞かされ、国元も車に飛び乗った。

 車は加藤の家についた。特にかわった様子はない。警察とマスコミと野次馬でごったがえした風景を予想していた三人は首をかしげた。

 福本が呼び鈴を押すと、加藤が出てきた。三人はキョトンとして顔を見合わせた。

「やあ、こんばんは。どうしました。いい酒でも手に入りましたか」

 祭林は福本をにらみつけ、「冗談にもほどがある」と福本の首を絞めた。

「違う。本当にテレビで言っていたんです。本当なんです。テレビを見てくださいよ」

 三人は加藤の家に入り、テレビをつけた。ちょうどニュースが始まった。

「今日午後三時ごろ、無職加藤晋さん六十歳宅で、加藤さんが胸を刃物で刺されて倒れているのを、旅行から帰宅した家族が見つけ一一九番通報しました。救急車が駆けつけたときには、加藤さんはすでに死亡しており、警察では他殺とみて、捜査を開始しました」

「ほらほら、どう聞いても加藤さんに思えるでしょう。年も同じくらいだし…………。ごめんなさい。加藤さん、祭林さん、国元さん」と、汗を拭く福本。

「福本さん。わしは君を責めない。いや、こちらこそ怒ったりして面目ない」と祭林。

「福本さんの早とちりで四人の友情を確かめることができたじゃないですか」と事情を飲み込んだ国元が言った。

「そうそう、僕もうれしい。僕が死んだと思って、血相を変えて飛んで来てくださったんだ。この上なくうれしい。そうだ、乾杯しましょう。今日は妻も娘も旅行に出かけているので、何もできませんが、ビールだけはあります」と加藤。

「家族が旅行中なのも同じなんですか」と福本。

「奇遇。ま、お言葉にあまえて乾杯しようじゃないか」と言いながら座り込む祭林。

「僕は車なので、皆さんでどうぞ。覚えているかどうか知りませんが、僕はプロの運転手ですから、飲酒運転をしたらクビです」と福本。

「明日は仕事?」と国元。

「いえ、たまたまですが、非番です」

「じゃあ、車は置いていきなさいよ」と加藤は福本の肩を叩いた。

四人は友情の乾杯をした。

グラスを合わせた後、加藤は少しだけ口に付けて、飲まずにテーブルに置いた。

「あれ、すすめておいて、どうしたんですか。加藤さん」と福本。

「いや、少し胃の調子が悪くて」

「痛いんですか」と国元。

「最近、時々。今日は東京で甥の結婚式だったんですがね、あまりに調子が悪かったので、妻と娘だけ行ってもらったところです」

「じゃあ、飲んでる場合ではありませんね。迷惑でしたね」と国元。

「いえいえ、気になさらず。私、牛乳飲みますから」と加藤は台所に向かった。

 残った三人はテレビを見ながらさっきのニュースことなどを話していた。

「祭林さんち本当にテレビがないんですか」と福本。

「テレビなど見なくてもニュースは翌朝の新聞で十分。ただ、天皇崩御は外国人よりも後に知ったことに気づき、少しショックだった。大震災のときも同時中枢テロのときも、職場で皆が話している意味が分からず、適当にうなづいていたら、変な人だと言われた」

「え? 祭林さんちテレビがないんですか」と国元がびっくりして言う。

「クニさんにまでそう言われると、間違っていたのかと思ってしまう。でも、やはりもうテレビは買わないよ」

「え? 祭林さんちにはテレビがないんですか」と牛乳パックを持って戻ってきた加藤が言う。

「波状攻撃ですか。いいじゃないですか、テレビがなくったって。テレビの中途半端な情報のせいで、加藤さんが殺されたと思ったんですよ」と祭林。

「それはそうだ。しかし、私と同姓同名の加藤さんはどうして殺されたんですかね。長生きすればいいというものではありませんが、殺されて死ぬのは嫌ですね」と加藤。

「そういえば、先週、商店会の理事長のお父さんが亡くなって、お葬式があったんですが」と国元。

「え? あの理事長亡くなったんですか」と福本。

「いや、あの理事長の父親。九十歳だったんですよ」

「じゃあ、天寿を全うした大往生ですね。あまり悲しくない」と祭林。

「そうですね。でもね。私が帳場から見ていると、人垣の外に、ジャージ姿の老人が一人、さみしそうに立ってるんです。ゲートボールのスティックを持ってね。すねた感じでウジウジしているんです」

「死んだおじいさんの友達ですか。やはりさみしいんですよね」と加藤。

「そうですねえ。親友が死んだことを認めたくなくて、いつもどおりゲートボールに誘いに来たみたいな感じでした。そしたら、礼服をピシッと着た老人が人垣から出て来て、ジャージの老人の肩を叩いて励ましてるんです」

「老いらくの恋ならぬ、老いらくの友情ですね」と福本。

「少し離れていたんで、よくは聞こえなかったんですが、礼服の老人は『仕方ないじゃないか。順番なんだから』と言ったようでした。ジャージの老人は声を上げて泣き出し、礼服の老人も涙を流していました。そして、肩を組んで焼香に向かいました」

「なんか、切なくもいい話ですね」と福本。

「本当だ。我々もそうありたい」と祭林。

「順番か。じゃあ、私が一番だ」と加藤。

「加藤さん。それはまだ二十年も先の話ですよ」と国元。

「そうですよ。僕たちの友情はこれからなんですから」と福本。

「まあ、一番若い福本さんは必ずほかの三人の葬式で焼香をしてくださいよ」と加藤。

四人は大声で笑った。

次の瞬間、福本が叫んだ。

「加藤さん!」

加藤が牛乳を吐き出した。そこには赤いものが混じっていた。

「血を吐いてる。救急車救急車!」

国元が一一九番し、福本は玄関で救急車を待ち受けた。

祭林はうずくまる加藤の背中をさすりながら、加藤の病気が命にかかわるものであることを直感していた。

「加藤さん。大丈夫だ。私たちがついてる。世界で一番頼りになるあなたの友人がついている」

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流星課長1998 勢良希雄 @serakio

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