第9話「地域に貢献する」の巻

 手術の際に剃った髪が五センチほどに伸びていた。なまぐさ坊主といった風体である。妻に散髪を勧められた。だいたい祭林は、学生時代から長髪で、半年に一回ほどしか散髪に行かない。このたびは、入院がはさまったため、前に散髪に行ってから、一年近く経っていた。気乗りしないが、確かに薄汚い感じがするので、団地のモール街の理髪店に行く。

 ほかに客はない。店の主人は、小さな待合席で新聞を読んでいた。タバコの火をもみ消しながら、祭林を迎える。

 「いらっしゃい。これは、一段とお久しぶり」

 バーバー国元。来る回数こそ少ないが、二十年も通っている。主人は祭林の身分も性分もよく知っている。理髪店というのは、まちの情報センターだ。

 「どうされました、頭」

 「開きました」

 「脳の手術ですか。それは大変でしたね」

 店主の国元禅郎は祭林より若い。美人の奥さんの姿が見えない。

 「そういえば、奥さんは?」

 「……もう、一ヵ月帰って来ません」

 「……そうですか」

 まずいことを聞いてしまったと祭林。しばらく沈黙が流れ、国元がこぼした。

 「このモール街もシャッターがおりた店が多くなりました。歯抜けでもはや商店街とは言えない状況です」

 「そうですね。出来たころは華やかだったのに、さみしい限りです」

 「隣の新しい団地に大きなショッピングセンターができてから、さっぱりです。何千台という駐車場もあるし」

 「私のように車を持っていない原始人には、このモール街が頼りなんですけどね」

 国元は祭林の頭にはさみを入れながら、つぶやく。

 「かみさんにも逃げられたし、客も少なくなる一方。家賃を払うのもままなりません。私もどこかに勤めに出たいと思ったりもするんです。いや、私もそろそろ五十だ。今さら雇ってくれるような会社もないということは分かっていますが、流行らない散髪屋の亭主で一生を終わるのかと思うと、むなしくなりましてねえ」

 はさみが止まった。国元は泣いているらしい。

 「すみません…」

 「ご主人…」。祭林は困ってしまった。

 「いや、ごめんなさい。大丈夫です」と言いながら、はさみを持ち上げたが、手が震えて髪に当てられない。

 「ご主人。泣いてください」

 「ありがとう・ご・ざ」。国元は声をつまらせて、鏡に背を向けた。そして、そのまま話しはじめた。

 「お客のいないときに、そこへ一人で座っているとね、つまらないことばかり考えてしまうんですよ。夜逃げ…いや、死んでしまいたいとさえ思うこともあります」

 「ご主人! いや国元さん! ダメですよ!」

 「……そうですね。祭林さん。あなたは不思議な人です。月に二度も来てくださるお客さんは何人かいますが、馬鹿話をして、大笑いして…。こんな話をしたのは、あなたが初めてなんですよ。……ありがとうございます。何だかスッキリしました」

 国元は鼻をすすりながら、笑顔で振り返った。

 「それは良かった。月に二度も来てくれるお客さんがいるなら、その人たちのためにも続けなきゃ。このモール街に再び活気を取り戻しましょうよ」

 祭林の言葉に、国元の笑顔が輝いた。

 「そうですね。商店街の月例会があるんですが、暗い話ばかりです。年一回のモール祭りも、今年はやめようかという話になっています。祭林さんは物知りでアイデアマンだという噂です。今度、連中に喝を入れに来てくださいよ」

 「私が、ですか。……いいでしょう。やりましょう」

 「というわけなんですよ」と祭林は、加藤と福本に言った。

 最近の寄り合い場所はクコチラーメンの隅の小さな座敷だった。三人は特に用事がなくても、週に一度二度会っていた。ビールを飲みながら、閉店まで長居し、最後にラーメン屋のおやじと乾杯して帰るのがお決まりのコースだった。

 「私、祭林さんの団地とは関係ないですよ。でもま、それも祭林さんのいいところです。義を見てせざるは勇なきなりだ。やりましょう! ……で、予算はどれくらいあるんですかね」と加藤。

 「ああ。……私、そういうこと全然、気にしてませんでした。さすが元敏腕営業マンだ。加藤さんらしい」

 「というより、気にしないのが祭林さんらしい」と福本。

 祭林は、自作だという革鞄から分厚いシステム手帳を取り出した。福本にバーバー国元の電話番号を告げ、携帯電話でかけてもらい、電話を受け取った。三分ほど電話で国元と話した。

 「予算はゼロだと思ってくださいとのことでした」と祭林。

 「それでは、何もできない」と福本。

 「いやいや、『カネがなければ知恵を出せ』というではありませんか」と祭林は、腕組みをして、目を閉じた。

 「祭林コンピュータが動きはじめましたよ」と加藤。

 「よし!」と膝を打つ祭林。

 「ひらめきましたか」と身を乗り出す二人。

 「フリーマーケットでもやりましょうか」と祭林。

 「フリマ? なるほど、それならカネがいらないや」と福本。

 「ウチにも不用品がある」と加藤。

 「いやいや、それは団地の住民に出してもらいます。我らはここのおやじさんと一緒にラーメンを売って、諸費用を捻出するんです」と祭林。

 「稼ぐつもりなら、ビールを専売にするといいですよ。バス祭りでビールのテントを担当したんですが、あれは儲かる」と福本。

 「ふむふむ。団地の人たちに店を出してもらうのなら、一区画二千円でも出店料を取った方がいい。大した額にはならないが、無料だと売れなくてもいいやって、無責任になってしまうんですよ。品もガラクタが多くなる」と加藤。

 客が切れて厨房から出てきたクコチのおやじも乗り気になって、半ラーメンを二百円で売り、半額はイベント経費に充てると言った。アイデアを重ねながら、なんとも言えない精神の高揚を感じていた。祭林は目を閉じてつぶやいた。

 「あとは、商店街の連中のやる気次第だ」

 三日後の夜、祭林、加藤、福本は、商店街の月例会に出席した。国元が三人を紹介したが、店主たちはほとんど下を向いており、まったく元気がなかった。

 祭林は、このモール街の思い出を語り始めた。店主たちは全盛期をイメージし、徐々に顔が上がってきた。そして、特に神社仏閣のないこの団地にとって、このモール祭りが唯一のお祭りイベントであることを説明した。加藤は、祭林の語りに店主たちが心を開いていくのを感じ、「この調子でプレゼンができれば、ものすごい営業マンになっているはずなのに」と思った。そして、最初に国元が発表した。

 「祭林さん。ステージが欲しいです。この団地には、元アナウンサーとかマジシャンとか蓄音機コレクターとかいろいろいるんですよ。私、出演交渉しますよ」

 「いいじゃないですか。さすが、まちの情報センターだ」と祭林。

 「実は私が出たいんです。昔バンドやってまして、一緒に演奏したいヤツがいるんです」と国元。

 「素晴らしい。主催者が楽しむことは最も重要です」と祭林。次の手が上がる。

 「休業中の店にも二日だけ開けてもらってはどうでしょう」と電機屋の店主。

 「いい考えです。もしかしたら、再開するきっかけになるかもしれない」と祭林。

 「やめたばかりのところはいけますよ。喫茶店の主人は道具を愛着のある道具を売り払うことができずに悩んでいた。雑貨屋もいい在庫品があると言っていた。ほかの店の旧店主の連絡先も分かる。私が話してみますよ。…空き家になっている店の活用方法はないかな。管理組合も借り手がないので困っている」と長老格の理事長。

 「さすが、理事長。先の先を考えていらっしゃる。それに、全部のシャッターが上がれば華やかになる」と祭林。

 「空き家になっているところは、公民館サークルの人たちに展示会とかやってもらったらどうでしょう。例えば、『団地の銘菓づくり会』とか『団地の二十年写真展』とか」と文房具屋の店主が提案。祭林はすかさず言う。

 「そ、それは地域振興です。文化振興です。素晴らしい」

 祭林の的確で心をくすぐるコメントに触発されて、次々とアイデアが出てくる。店主たちの目は輝きを増し、自分がこのイベントで何をやるべきかを積極的に考えていた。加藤は「ブレストのコーディネーターとしても凄腕だ」と感じた。いつのまにか祭林を中心に車座が出来上がっている。福本は「もはや教祖様だ」と思った。長い夜となったが、アイデアは集約され、役割分担まで出来上がった。

 当日は、全盛期のモール祭りを凌ぐ大変な賑わいとなった。団地中の人が参加している感じだった。二十年前に祭林と同世代の世帯が一気に入居したため、今は子どもも若者も少ない。しかし、皆、笑顔である。店主たちの頑張りで、フリーマーケットの区画はあっという間に埋まり、シャッターは全部上がった。祭林たちはラーメンづくりを忙しく手伝いながら、何とも言えない充実感に浸っていた。

 「あのお、今から私のステージが始まります。もし、よろしければ見に来ていただけませんか」。ステージを担当していた国元が合間を縫ってやってきた。クコチラーメンのおやじが「行ってあげなさい」と目配せした。

 祭林がステージに行くと、国元がギターを抱いてステージに出てきた。続いて、家出していたという彼の奥さん。昔のバンド仲間とは彼女のことだったらしい。歌い出したのは「団地讃歌」というオリジナルソング。見事なデュエットに十数人の聴衆から拍手が起こった。国元は歌いながら祭林に「ありがとうございます」という視線を送った。そして、涙をこらえるように上を見た。後で奥さんから聞いたのだが、彼女はやる気をなくして荒れていた亭主と初めてといっていいほどの大喧嘩をして家を出た。自殺でもしていないかと胸騒ぎがして連絡をしてみたら、電話口で「一緒に歌わないか」と、この変な歌を歌いだしたらしい。大まじめに歌う夫の声に、涙が止まらなかったという。

   ボクとキミが建てた家 ローンのために働いたよね

   何もなかった団地 次々家が立ったよね

   うちも隣も三軒先も 子どもが生まれて育ったね

   公園も学校もモール街も にぎやかだったね

   今は 子ども巣立って行って ひっそり静かな このまち

   だけど 脱け殻じゃないよ ボクもキミも生きている

   死ぬまで ここで生きている

   ありがとう このまち ありがとう このまちの人

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