土曜日の部

半ドン先生のはしご酒

「高木先生、今日は半ドンですかー」

 学年主任の先輩教師に去り際、声をかけられた。

「あ……はは、ちょっと用事がありまして。今日の分は仕事片付いたので、また来週に……」

「お、ひょっとしてデートですか?」

 今の時代、これはセクハラに当たるのだろうか?

 と、脳裏に過った高木は少し返答に窮して、苦笑いを返すだけにした。人を待たせているので、これ以上の雑談は避けたい。

「じゃあ、お疲れ様です」

「はい、お疲れ様です。運動会も終わったことだし、ゆっくり休んでくださいね」

 職員室を出て、肺の中の空気がすべて出たのではないかと思うほどの、大きなため息。

「基本みんな良い人なんだけど……やっぱり苦手だな、人づきあい。はやくアルコールきめたいぜ……アルコールだけが私のご機嫌取りだからねえ」

 高木保奈美たかぎ ほなみは公立小学校の教師だ。元気で生意気盛りの小学3年生を毎日相手にしている。授業が終われば今度は疲弊してるか変なテンションか、おかしな大人を相手にしなければならない。

 そんな高木の唯一の趣味はお酒。

 そこそこ飲めるし、どの酒類でも美味しいと感じる。実は、これは恵まれた体質だと知ったのは三十の齢に入ってからだった。

 しかし日常の話し相手のほとんどは子供。それか子供の手本にならなければならないがんじがらめの大人。そして二日酔いなどでは休めない職場環境。ストレスは溜まっていく。

「もっと早くお酒好きになれれば、小学校教師なんか目指さなかったかもな。世間一般のOLとかって仕事上がりに毎日飲んでるんでしょ、うらやましいよなあ……」

 手に届かない生活を夢見て、現実はそうではない事を知る由もない独身小学校教師・高木保奈美。

 とはいえ、華の無い日々ばかりではない。

 そう、今日は特別な半ドン。

 土曜授業が終わり、子供たちを帰したら今日だけはさっさと退勤すると決めていたのだ。

 その特別な日を作ってくれた人間は、正門を出た角で高木を待っていた。

「あ、お疲れ様です高木先生! 仕事しろって捕まりませんでした?」

「お疲れ様です、戸嶋としま先生! お待たせしてすみません。ちょっとだけ学年主任に捕まりましたけど、テキトーに出てきました」

「っふふふ、それはよかった」

 戸嶋先生は高木の先輩でもあり、最近仲良くなった職場の仲間でもある。

 それから――酒飲み仲間準要員。今日はこれから酒飲み仲間としての決起会を行うのだ。そのために高木も戸嶋先生も、今日までの溜まっていた仕事を必死に片付けてきていた。

「じゃあ行きましょうか!」

「そうしましょう!」

 戸嶋先生は小学1年生の担任をしていた。3年生とはまた違う苦労があるのだろう。メイクでは隠し切れない目の周りのクマがそれを物語っている。

 二人は早々に最寄りの駅に着くと、目的地に向かった。

 職場の地元ではどこで受け持ちの生徒及び保護者に出くわすかわからない。そのために駅を変えて移動する必要がある。

「戸嶋先生は彼氏いるって言ってましたっけ?」

「あー……最近連絡取れなくなったから、もう放置ですよ。放置」

「え!? 寂しくないんですか?」

「うーん、私はあんまり甘える方じゃないからなあ」

「あはは、仕事中見てるとそんな感じしますよ」

「よく言われるー!」

 二人は年も近いことも手伝い、ここ最近になって急激に近しくなった。この間やっと終えた年に一回の大イベント、運動会の放送機材の管理の仕事で担当を同じくして、ひょんな雑談からお酒が好きなことを高木は突き止めた。

 二人してガラガラの電車のシートにつく。職員室の椅子よりも腰が快適だ。

「小学1年生の相手してると、男って大してこの子たちと変わらないなって思っちゃって」

「それ本人に言ったら怒られそうですね……」

 なんだか普通のOLみたいだ。高木は戸嶋先生の気さくさに感謝した。

 降車する駅に着く。そこは戸嶋先生が開拓したいと言っていた飲み屋街があった。

「こっちこっち。高木先生は何でもイケるんですよね」

 まだ日も明るいうちから外でジョッキをあおれる。そう考えただけで喉の奥がキュッとなってしまう。

「何でもOKです! 戸嶋先生は行きたい店あったんですか?」

「いろいろ気になる店はあるけど、せっかくだから適当に流しで行っちゃいましょう!」

「わ! それいいですね! 夜までまだまだありますしね!」

 改札から徒歩で行ける商店街。というよりほぼ居酒屋の集合した区画。

 今日は把握しきれないくらいの小さな居酒屋が集まっているこの街を飲み歩きたい、好きなだけ酒を飲みたい、という三十路女二人組の会なのである。

 早速手近な焼き鳥がウリの店に入った。

「かんぱーい!」

 まずは生ビール。二人同時に大ジョッキを傾け、半分も中身が消えたところで同時にドン、と底を卓に着けた。

「っアー! さいっこう!」

「昼間の酒ってなんでこんなに美味しいんでしょうねー!」

「罪の味?」

「背徳感?」

 お通しのお新香をつまみながら、芳しい焼き鳥の香りに頬が緩む二人。

「でも戸嶋先生もお酒がこんなに好きなんて、もっと早く知りたかったですよ」

「私と高木先生、同じ学年になることなかったですもんね。あんまり喋る機会がなかったというか」

「やっと楽しい酒が飲めると思うと、この学校赴任してきてよかったです!」

「もう毎週飲みに行きましょう! あ、高木先生は彼氏は?」

「地元離れて一人暮らし始めてからは、全然そういうのないんですよ。もう三十超えたのにヤバくないですか?」

「それ私に言うの?」

「あー、すみません」

「はははっ、全然いいですよ、そんなの!」

 戸嶋先生はカラカラと笑うと次の飲み物を注文した。

「日本酒はまだ早いよね……ホッピーかな、黒で」

「あ、私も。黒ホッピー2で……戸嶋先生の飲み方と私の飲み方、似てるかもです」

「ホント? 私はペースそこまでじゃんじゃか行く感じじゃないけど、食べ物に合わせて美味しく飲みたいって言うか」

「そうそれ! アルコールも食事も楽しみたいって言うか、味覚なんですよ!」

「あーわかる!」

「だから、ゆっくりペースと景気イイペースと両方使い分けたい」

「言語化してくれてありがとう! 高木先生、わかってらっしゃるわー」

 お酒も注入された二人の会話は軽快に弾んだ。

 焼き鳥が運ばれてくると、昼食がまだの三十路女二人組は熱いままの串を頬張った。串から鶏肉をちまちまと取り外す事もなく、口の中の酒の味が消える前に出来立てをそれぞれ放り込む。

「昔は合コンとか、大学の友達呼んでくれてたんですけどね。合コンってなぜか酒ありきじゃないですか。私いつも飲みスイッチ入っちゃって、男を鑑賞する気持ちも失せると言うか」

「そうよねー、男より酒の方がよっぽど私のご機嫌とってくれるもんね」

「そうそうそう! そうなんですよ! だから結局テーブルの端で飲み放題とは別会計で自分用のお酒頼んじゃってる」

「それは強すぎでしょ!?」

 同性で年も近く、しかも酒の趣味も似通っている。高木は既に戸嶋先生にすっかり気を許していた。しかしそれ以上に、アルコールの魔力でもある。

 自分が枯れた女でも、仕事に疲れた社会人でも、酒は受け入れてくれるし、戸嶋先生もまたそんな人柄を感じさせた。

「戸嶋先生すごく話しやすいですよね。仕事中とのギャップがこんなに無い人初めてです」

「あ、そう? 高木先生は結構きっちりオンオフ分けるタイプ?」

「んー……人と話すの苦手なので、そんなにオフで他人と会わないんですよねそもそも……」

「そうなの? こんなにお酒好きなのに、誰かと話しながら飲みたくなったりしない?」

「大学のサークルとか、さっきの合コンの話でもそうなんですけど、誰かに気を遣いながら自分の好きなこともっていうのが器用に出来なくて……極端なんですよね、私」

「そっかー」

 戸嶋先生は慣れた手つきでマドラーを掻きまわし、ナカいる? と訊いた。高木は頷く。

「高木先生まじめだから全部に全部掛けて行っちゃうんだと思う。……仕事でも子供の本気をちゃんと受け止めなきゃ、って自分で追い詰めたりするでしょ」

「ありますね」

「私にはそういうのいいからね? 私なんか、こんなちっちゃい1年生もいつかは酒飲むんだから、人類皆酒場にいると思ってる」

 戸嶋先生の発言に思わず高木はむせる。慌てて戸嶋先生はお手拭きを手渡した。

「なんですかそれ!? アヴァンギャルドすぎる思想!」

「人類は大きな酒場にいて、子供はまだソフトドリンクしか知らないの。酒の旨みと楽しさを知った者だけが酒場で生きてることを喜んで幸せに歌ったり踊ったりしてるの。成人したとしてもまだおこちゃまなヤツってまあいるじゃない? そいつらはだから、いわばソフトドリンク飲んでる側の連中なわけ。大人の真似してソフドリしか知らないくせにヘタに歌ったり踊ったりしてんの」

「ちょ……っとよくわかんないですけど、深いんですかね?」

「イイ話でしょ?」

 言いたいことがわかるような、わからないような。

 新しく運ばれてきたナカにソトを注ぎ入れ、マドラーで掻き混ぜながら、高木はぽつりと言った。

「……あの子たちも早く大人になっちゃえばいいのに」

「そうだよねえ~早く大人になっちゃえばいいのに!」

「そうですよ! どうせ大人になっちゃうんですから、もったいつけてランドセルしょってなくても良くないですか!?」

「忘れ物は叱るけどね」

「それは怒りますね!」

 どっと二人に笑いが起きる。

 怒っても、笑っても、ちょっとだけ落ち込んでも、まじめな話でも、そこには酒がある。

 人類はみな大きなホールにいて、いかに酒を楽しく飲めるかを知る必要があるのだ。それは幸福の追求に似ているかもしれない。

 たまに酒につぶれることもある。それは学べばいい。ソフトドリンクしか飲めない連中に戻りはしない。

 高木は戸嶋の満足そうな笑顔を見て、伝票を持った。

「次のお店行きましょう!」

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