金曜日の部
ドSお嬢様、放課後のお戯れ
化学準備室で授業の片づけをする。
化学の授業では実験も行う。危険を伴うこともあるし、実際俺も大学生の時に硫酸でやけどのような痕を残すケガをしたこともある。
リンパ腺の通る左側の首筋にある
それが彼女のお気に召したらしい。
「
「言葉を返すようだが、もう下校時刻をとっくに過ぎているのにまだ残ってる
ノックも挨拶も無く、今週の金曜日も白城は化学準備室にやって来た。
俺の問いには答えず、くすくすと含んだ笑い声をたてて、徐々に歩み寄って来る。
「先生はその傷痕、隠したいんですね? 皮膚が薄くなって敏感だから? 弱点だからでしょ」
「バカなこと言ってないで早く帰れ」
「私を待ってた癖に、自分で自分を
「……何が言いたい?」
「毎週金曜日、私に弄ばれるのを楽しみにしてるってことですよ。まあ、他の日は私が遊んであげられないので、早くお家に帰ってひとり遊びしてるのか、それともオトモダチのところで遊んでるのか……」
背中に汗がぶわっと湧いた。
白城の視線は、蛇のように俺に絡みつく。目を離したくても離せない……心臓の鼓動が加速していく。
なぜ動けないのか。
ただの受け持ちの女子生徒にこのような応対をしなくてはならないのには、俺の悪癖が起因していた。その悪癖は世間の目から隠さなければいけないものだったが、この白城という女は当たり前のように俺を嗅ぎ分け、そして近づいてきた。
「ねえ、先生? もうやめましょうよ。そんなに自分をひた隠すことを。私、先生のこともっと知りたいのに」
俺はあてがわれた自分の机の引き出しからロッカーの鍵を取り出す。ロッカーにはコートと通勤用の鞄が入っている。
だからなんだと思うだろうが、その鞄には彼女に見られたくないものが入っていた。即刻に回収して、帰路につかなければ。
「もう俺も帰るから準備室を閉めるぞ。白城も出なさい」
机の引き出しから視線を上げ、立ち上がろうとした時。
――もう遅かった。
「あら、逃がさないですよ。せーんせ?」
「なっ……」
次の瞬間、思いきり椅子から転げ落ちた。否、白城が椅子を蹴飛ばして俺を床に突き落としたのだ。
「さっき言ったこと、訂正するわ。先生のことを、私が知りたいんじゃない……先生のことを、私が教えてあげる」
「し、白城……!」
白城に俺の悪癖を見破られた事件は、1ヶ月前の事だった。中間テストが終わって質問がある生徒がこの準備室に溢れる頃、その中に白城もいたのだった。
自分で言うのも何だが、俺は生徒には人気がある方だ。いつも黒のタートルネックを着て、白衣をその上に着こみ、メタルフレームのオーバル眼鏡をかけた化学教師――こんなわかりやすいキャラクターはないだろう。
しかし初夏の気温が上がり始めた時期だったので、少し黒のタートルネックを着るには無理があった。汗ばむのは生徒も同じで、試験の話題以外にも、学校のクーラーを生徒が自由につけられるようにすべきだ、と騒いでるのに俺も調子に乗ってふざけて同意したりしていた。
「時村先生、そんなの着てるから暑いんだよ! 涼しい風おすそ分けしてあげる!」
そう言って、とある生徒が小型の手持ち扇風機を俺の汗ばむ首元に差し出した。その時、薄くなった皮膚の部分に準備室のぬるくなった風が弱弱しく当たったので、俺は身震いをしてしまったのだった。
きっとそれを見られたのだ。
何てことのない教師と生徒のふれあいの一コマだ。
本当に何故気付かれたのか、わからない。
準備室の床に転がった俺の上に、白城は跨ってあの目で見下ろしている。
「私……前から先生としたいことがあったんですよ。ねえ、先生。いますぐお道具を持ってきて、私に『お願い』しても良いんですよ? 今日から私たちもナカヨクしましょう」
「し、しないっ! 早くどけっ、俺に構うなっ!」
白城という生徒は、とても真面目で優秀な成績を収める、物静かなお嬢様だと教師たちからの評価がある。お嬢様という情報は、この高校に父親が多額なる寄付を行っていることからの推測らしいが。
「時村先生のその
お嬢様が跨った成人男性の上で膝を開いて、上履きで俺の両の手首を踏みつけにしたりするだろうか。おかげで白城の束縛をかなぐり捨てて這い上がることも出来ない。この動作は白城が自ら計算してやっていることなのか。
もがくことも出来ずに、首の上だけが彼女の白い手から何とか逃れるように左右に振られる。だが狙いは首の痕なのだ。
「ひぅっ」
「ふふ、やっぱりここが好きなんですね。たくさん可愛がってあげますから」
「やめ……あ、うぅっ」
「そう、気持ちいんですよね。私の前では自分を曝け出していいですから、時村先生」
「あぅ、う……ん……っ」
左の首筋を滑らかな指先で、手のひらで、返して手の甲で。ゆっくり温められるように撫でられる。
俺は胸で深い呼吸を繰り返した。その上には白城の重みがあり、抑圧されている感覚。それがさらに動悸を早める。
「も、やめ……っ」
「それじゃあ、私がしたかったことと先生がしてほしかったこと、しましょうね」
刹那――息が止まった。
「っは……ッ」
女子生徒に渾身の腕力で首を絞められている。
タートルネックの上からぐぅっとやって来る圧力。気道をかすかに開けながら、確実に俺から空気を奪おうとしていた。
「先生、早くシテ、って顔してますよ。なんてはしたない……」
「は……っ……」
「首、締められるの好きなんでしょ? 変わった趣味よね。でも、私は好き」
「……っ、あ、がっ……ぐ」
「ふふっ、よだれが垂れちゃってますよ? 私がきれいにしてあげますからね」
踏みつけられた手はもはや水をよく含んだ泥のように重たい。例え白城の足が退いたとしても、この束縛を解くほどには使い物にならなさそうだ。
ちゅるっ。じゅるるっ。
俺の首筋からあごを通り、唇の端まで。白城の柔らかい朱の唇が沫の混じった涎を吸い取っていく。
「ふふっ、キスはまだです。私とオトモダチ以上になれたらあげますから。ね、時村先生……」
「時村先生見てるだけで暑苦しいわー。ねえ、タートルネックやめなよ?」
期末試験が終わって、浮かれた生徒たち。今学期最後のやり残しを片付けるために数名が俺の机の前に列をなしている。
「あ、ああ……着るものがこれしかないから」
「そうなの!? あ、この夏はパーッとイメチェンしちゃえば!? ポロシャツのボタン全開にしちゃってーみたいな! 目指せ夏男ー!」
「それは俺じゃないでしょ」
俺は女子生徒の無駄話に笑ってやる。だが、それを静かな視線で観察するヤツがいた。
白城――俺の飼い主だ。
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