木曜日の部
図書委員長の夢
僕は最高学年になって、真っ先に図書委員長に立候補した。
内申?
売名?
いいや、違う。
図書委員長になれば、僕の何かが変わる気がしたんだ。
結果的には、何も起こらなかった。
高校に入ってからかかさずに務め上げてきた図書委員は、ただ単純に本が好きで、文章が好きで、活字が好きで、灼けた本の匂いが好きで、ページをめくる感触が好きで、手に着いたインクの掠れ具合が好きで、ずっと惰性でやってたものだ。
もはや義務にも感じていた。
本が好きな奴は、図書委員をやるべきだ、みたいな偏見?
でも嫌いじゃなかったし、僕は一生をこの図書室で過ごしても良いと思って手を挙げたんだ。
だけど委員長になってから違ったのかな、って少し立ち止まった。
図書委員長になった後の道が途絶えていたんだ。
たとえば、生徒会長ならその後も道はあると思う。大学の内申に良い影響は出るだろうし、活動の中で自分自身に新しい風がもたらせると思う。
どんな部活の部長でもそう。大勢をまとめ上げるのは大変だけど、代表としてみんなの意見をぶつけ合うのは社会に必要な行動原理だよね。
でもさ、図書委員ってどう思う?
うちの高校は、お世辞にも図書室の利用者が多いとは言えない。新しい本も滅多に入って来ないし、入っても図書館だより、なんて親切なものは全校に配られない。流行の小説も取り扱ってんだかどうだか。図書委員担当の先生も、誰もいないから引き受けました、っていう顔をしている。
それでも僕は本が好きだ。
この国の言葉で綴られる言葉が好き。
伝わってくる気持ちが好き。
沸いてきた感情が好き。
本を読むことは、何物にも代えがたい時間で――そんな僕が図書委員長になったのは、その時は必然だと感じていた。
実際は、僕じゃなくても良かったのかも。と思ってしまう1学期の終わり。
僕は誰が読むかもわからない図書館だよりの一言一句を読み返していた。今月はうちのクラスの当番だったから。相方は、もう何さんだったかわからない。委員会に出て来ないし。
図書館だよりは、基本的に何を書いても自由だ。適当な担当の先生が、適当にハンコを押してくれるから、適当な枚数を刷って、誰かが来るまで図書室に置いておく。誰が持って行くかはわからない。
だから僕は高校最後の仕事として、大好きな図書室に向けて詩を書いた。
誰が読むものか。誰も読まないと思う。
それなら好き勝手描いたってかまいやしないさ。
だって図書委員長だし?
「ゆめ……ここでならだれにも邪魔をされずに僕は夢を見られる。嫌いを叫んだって、好きをしまい込んだって、自由を花火のように打ち上げたって……か。ふーん」
「うわっ!?」
図書委員長権限でも、図書室に入ってくる誰かを拒むことは出来ない。
そいつはいつの間にか図書室のいすに座っていて、カウンターに置いてあった図書館だよりを持って……ギターも持っていた。
「よ、読むなよ声に出して! っていうか、図書室に楽器を持ち込むな! 図書室では静かにしろよ!」
「なんでだよ? 俺はLOVEを叫ぶロックンローラーだぜ? どこで何を歌ったって、俺の勝手だろうが」
「……はあ?」
ロックンローラーってお前……今は流行ってないだろうがそんなもの。
「お前……軽音部か? 部活なら部室で」
「追い出されたんだよ」
「え?」
そいつは机に図書館だよりを置いて、大きなため息を吐いた。
「俺の詩が気に入らねえんだと。ひとりでやってろって言われたよ」
そりゃまあ、一人になるなら図書室ほどいい場所は学校には無いが。
「……でもここでは音出し禁止だからな?」
「わかってるよ」
物分かりのいいロックンローラーも居たものだ。
「お前何年生? 仲違いなら早めに解決するに越したことはない。さっさと部室に」
「新しい詩を書いたら戻るよ。それから、俺は3年だ」
「さ、さんねんせい……」
大学受験が控えてるのに、コイツ何やってんだ?
いや、僕も他人のことは言えないか……。
教室の寡黙な空気にも耐えられず、家庭での圧迫にも耐えられず、塾の熱すぎる空気も息苦しい僕がまともに呼吸をできるのは、ここだけなんだから。
「歌いたい言葉を探すにはここがいちばんイイと思って来たんだが……なんかクセェなこの部屋」
「ああ!? クセェとはなんだ!? 良い匂いだろうが!! この香りの発信源にお前が知らない言葉が埋まってたとしてもまだそんなことが言えるかッ!? ああンッ!?」
と、僕は思った。
いつもなら思うだけで済むんだが……勝手に着席してるロックンローラーは目を丸くしてこちらを見ていた。
「た、確かに……こんだけ知らない文字があれば、今の俺じゃない詩も書けるよな……? うん、そうだよな」
はー?
これだから陽キャはダメだ。
というか、僕声に出して言ってたか?
「悪い事は言わない……その言葉は撤回しろ」
「え? なんでだよ? フツーならそう考えるだろ? なんかおかしいか?」
「あのなあッ!!? ここにある本、ぜえーっんぶ読み終わるまで、どれだけの時間がかかると思う? 俺も3年生だ! しかも3年間ずっと図書委員をしていて、どこにどの本が置いてあって、どのジャンルがどれだけ毎年買い足されているかも知っている、図書委員長だッ!! でも一字一句をこの図書室すべてから得たことは無い!! そりゃすべてを読みたいさ! でも3年間じゃ足りないんだよ、この一室の本すべてを読み込むことにすら、3年は短すぎるんだよ!! お前にあといくつ日が残ってる!?」
一気に言い終えた。
ちなみに俺は日がな図書室に引き籠ってる、いわゆる帰宅部だ。何の運動もしてない。もちろんだが息が切れた。
「ああーそりゃそうだな」
「だろッ!?」
瞬時に分かってもらえたようだ。このロックンローラーとやら、話がわかるな。
「じゃあさ、今度委員長が書いた詩で歌ってみたいんだけど、どう?」
「どう、って……」
僕は自分の書いた文章が彼の口から歌となる想像をしてみた。……ちょっと照れるな。
って――いやいや待て待て待て!!!!
「なんでそうなるんだよ!? 僕は軽音部じゃないぞ!?」
「プロでもあるじゃん、楽曲提供。図書委員長からの歌詞提供ってことで!」
誰も書いてもいいなんて言ってないからな!?
「お、お前が書けよ! ぼ、僕の詩が……その、やっぱりダメってなったらどうすりゃいんだよ」
「あ、そうか」
コイツ何も考えてないな!?
いや、考えてるっぽい。ロックンローラーは図書室でギターをぽろぽろ弾きながら頭を抱えていた。
「うまくいかねえなあ……俺は歌いたいだけなのに……」
何やらお困りだ。
そういえばさっきも、自分が書いた歌詞が却下された、みたいなこと言ってたな。
「別に、歌えばいいじゃん。歌いたいだけなら……」
俺は音楽は全然わからない。ト音記号とヘ音記号の違いも最近やっとわかった。流行の歌も知らない。最近の歌は何言ってるんだか早口で聞き取れないしな。
「その、ダメって言ったヤツが何言ったかしら無いけど、3年なんだったらもうやりたいことやるしかないんじゃないか?」
「あー……それはそうなんだけどさ。俺が歌ったこととそいつがやりたいことが違ったらしいのよ」
「じゃあそいつが歌詞を書けばいいじゃないか」
「そーいう問題じゃねえのよ、バンドって」
そーなのか。
でも、そうしたらやっぱり、探してる歌詞って図書室には無いんじゃないか?
「なあなあ! 歌詞を書くのに役立ちそうな本ってなんかない!?」
そうきたか。まあ予想は出来たけど。
「うーん……歌を書いたことがないからもしはずれてたらゴメンなんだけど。例えば、語彙力を高めるために歴史小説を読んでみるとか。書きたい詩によって読むジャンルは変わって来るんじゃないかな」
「あー、うーん……」
ロックンローラーは膝を叩いて大きく頷いた。
「やっぱりダメだ!」
「え!?」
僕の助言が役に立たなかったってこと?
「俺がちゃんと真っすぐ向かないと! 俺だけじゃ歌えねえんだわ。だってギター持ってボーカルだけここに座ってたって何も音楽なんか起きねえじゃん!?」
「あ、ああ……」
「俺が歌いたい歌、ここじゃねえんだ。こうしちゃいられねえ……!」
ロックンローラーはギターを担ぎ直して、図書室を駆け足に出て行った。
「何だったんだ、アイツ……」
嵐のように過ぎ去った、ロックンローラー。イスはひきっぱなしの放りっぱなし。
俺は図書委員として、そんな荒れた場所を片付けるためにカウンターを出た。
「あれ?」
さっきアイツは図書館だより、なぜか持ってたよな?
机はヤツが来る前と何ら変わらない。真っ白ならくがきひとつないテーブルのままだった。
「持って帰ったのか? あの図書館だより」
期待はしてない。どうせ裏の白紙に浮かんだ歌詞でも書き連ねているんだろう。
「そうだよな、そういうヤツっぽいもんな……」
卒業生を追い出す会、というのはわが校伝統の行事だが、追い出す側だけでなく追い出される側である3年生もそこそこに傷跡を残す実に楽し気な夕べである。
「――俺は3年間こいつ等と音楽やって来て、最期の最期に何を歌っていいか分からなくなったんだ。あんなに分かり合えた奴らだと思ったのに……」
俺は帰宅部なので、こんな熱いセリフを言い合える後輩や先生方はいない。ただただ、他人事のように体育館の簡易ステージを見つめ続ける時間に嫌気がさしていた。
「でもな、結局叫び合うほかねえんだ! 逃げるのは止めだ、これを聞いてる奴らも逃げるのはあきらめろ。自分の向けた背中を見つめてる奴に叫び返せ! 勇気をもって振り返るんだ!」
コイツ、あの時のロックンローラーじゃないか。
いや、最初からなんとなくそんな気がしてたけど。
ステージでそいつは歌った。
ここの席は俺じゃなくてもいいなんて
そんなことは誰にも言わせない。
ここでならだれにも邪魔をされずに俺は夢を見られる。
嫌いを叫んだって、
好きだと曝け出しったって、
自由を歌って泣いたって、
ここは俺だけの場所。
ここだけは、譲れない場所なんだ。
「……パクってんじゃねえよ」
著作権侵害で訴えるぞ、バカヤロウ。
まあ一部分だから、今回は許してやる。
僕は自称ロックンローラーの歌を聞いて、なぜだか涙がこぼれていた。
3年間座り続けた、図書室のカウンターを思い浮かべながら。
僕は確かにあの部屋で、自由を歌っていた。
相手が誰もいないことを知りながらも、好きを叫んで、それを認めない奴らを心の中で嫌いと叫んで……夢を見ていたんだ。どんな夢だったかな。
その夢が、あの時の絶望のように途切れていませんように。
これからの僕の夢が、どこかに続いていますように。
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