修道女は微笑む

家宇治 克

第1話 慈悲深い修道女

 世界のどこかにある、教会の話。


 古い教会に、一人の修道女が住んでいるという。

 修道女はとても信心深く、ピカピカに磨いた十字架を握っては朝と晩、毎日欠かさず祈りを捧げている。


 その教会には、時折旅人や迷い人が流れ込んでくる。

 どんなに身なりが悪くても、腐臭漂う病気でも、修道女は決して嫌な顔をせず、笑顔で受け入れてくれるという。


 ある晩、大けがを負った旅人が、教会に逃げ込んできた。

 修道女は旅人を笑顔で受け入れると、傷の手当てをして、食べ物を分け与え、それはそれは丁寧に看病した。


 旅人が眠りにつくとき、修道女に言った。



「今日はいきなり来て、本当にすまなかった」



 修道女は笑顔を絶やすことなく、旅人に尽くしていた。旅人はそれを、申し訳なく思ったのだろう。

 けれど、修道女は「これも神の思し召しです」と、微笑んだ。


 旅人は安心した。



「南の方で、盗賊の一味がいてね。襲われてしまった。ここが見えたから、何とか走ってきたんだよ。ここは、悪いものは近寄らないから」


「どのような人も、生き物も、神の前では悪さは出来ません。まして、神に仕える者の前で、一体何が出来ましょうか」


「修道女さん、アンタも気をつけるんだ。近くに街もない、ポツンとある教会なんて、今は安全でも、いつ襲われるかも分からないからさ」


「うふふ、ご心配ありがとうございます。もう夜も更けました。今晩はどうぞごゆっくりお眠りください」



 十字架を握る修道女が部屋を出ると、男はゆっくり眠りについた。


 それを、彼女は部屋の外で確認する。



「…………南の方に盗賊、かぁ」



 修道女は薄らと笑った。


 ***


 森の中、焚火を囲んで下品に笑う八人の盗賊たちがいた。


 彼らは頭を突き合わせて今日の成果を確認したり、明日の獲物は何か、女がいいとか金持ちがいいとか次のの話をしていた。



「いやぁ、こんな襲いやすい森があるなんて知らなかった」


「ここは、旅人がよく通るし、近くに街もない。逃げきれっこないからな」


「しばらくこの森で稼げそうだなぁ」


「いっそこの森に住んじまうか!?」



 ゲラゲラと笑う声が夜に響いていく。

 ある一人が、酒を片手に言った。



「この近くに教会があるらしい。そこに女一人で住んでるんだと」


「へぇ、良いじゃねぇか! 女一人なら、簡単に乗っ取れる!」


「でも気をつけろよ? どこぞの教会には、悪魔が住み着いてるって言うじゃねぇか」


「悪魔? 神のお膝元に悪魔!? おい冗談はよせよ」



 会話に夢中の盗賊たちに、忍び寄る影。

 彼らはそれに気づかず話を続けていた。



「神なんて知るか! そいつの足にしょんべんをかけてやる!」


「神なんかいたら、俺らみたいなのは存在しねぇよ!」


「悪者も救えるんだろ? じゃあ救って見せろよ神さんよぉ!」





「はい、お救いいたします」




 女の声がした。

 それと同時に、一人の首が地面に落ちる。


 とさ、と静かに落ちた首に、誰も状況が読めなかった。



「なぁ、今の……」



 隣の奴と目を合わせれば、そいつも首がとんと落ちる。


 一人、また一人と静かに消えて、最後に残ったのはただ一人。


 盗賊は足が震えて動けなかった。

 逃げ出したいのに、立つことすら出来なかった。


 逃げた所で、無駄な事。


 この近くに街は無いのだから。

 誰も助けてくれない。誰も。



 ……誰も?



 盗賊はこの近くに教会があることを思い出した。

 なんとか立ち上がり、盗賊は教会を目指す。


 必死に走った。夜が明けるよりも早く走った。


 男が教会に着くと、外で修道女が待っていた。



「このような夜更けに、わが教会へようこそおいでくださいました」



 修道女は深々とお辞儀をする。

 盗賊は、見えぬ敵から逃れたい一心で、修道女にナイフを突き立てた。



「今すぐ教会に入れろ! さもないと……」


「構いませんよ。ただ、これまでの罪の一切を告白し、二度と罪を犯さないと、神に宣言してください」


「そんなこと出来るか! さっさと入れろ!」


「……お約束、出来ないのですか?」



 修道女は悲しそうな顔で盗賊に問うた。


 盗賊は、突きつけたナイフをぐっと、刺さらない程度に押し付ける。


 修道女は十字架をぎゅっと握ると、祈りを捧げる。



「神よ、どうか彼をお救いください」


「この期に及んで人の心配か!? 早くしろ!」



 盗賊の焦りをよそに、修道女は祈りを捧げる。

 盗賊は我慢ならず、ナイフに力を入れた。


 だが、修道女に傷を負わせることは出来なかった。


 宙を飛ぶ、盗賊の首。

 派手に飛沫をあげる自分の体に、盗賊は目を見開いた。


 修道女の手に握られているのは、十字架の形をしたナイフと、チェーンを模した紐。


 盗賊は、ようやくある噂を思い出した。



 世界のどこかにある古い教会には、縄鏢じょうひょうに長けた暗殺者が住んでいると。



 盗賊は修道女の顔を見た。

 修道女は微笑みを浮かべて、盗賊の首が地に落ちるのを待っていた。




「道を誤った迷える子羊よ、どうか安らかに死ね」




 神に仕える者とは到底思えない、冷たい声だった。


 ***


 翌日、旅人は修道女にお礼を言って、旅に戻った。


 教会を出ると、あたりに残った血の跡に小さく飛びのく。



「修道女さん、これは一体!?」


「あぁ、昨晩、魔物が来ていたようで。ケンカでもしたのでしょう。お見苦しいものをお見せしました」


「いいや、良いんだ。ほら、こういう事もあるし、一人でここに住み続けるなら気を付けてよ」


「はい。お気遣い感謝いたします」



 旅人は修道女に手を振って教会を去った。

 修道女は旅人が見えなくなるまで見送った。


 胸の十字架を握り、彼女は祈る。



「神のご加護がありますように」



 ピカピカの十字架が眩しく光っていた。

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