ようこそ、海へ

 神奈川をでた列車は、拾ったマンガ雑誌を読み耽っている間に終点伊豆急下田の駅にいつの間にか到着していた。

 なんの感慨もなく列車を降りる。

 改札をでる。

 なにもない。グルリ、見渡して、目についたローソンに入り菓子パンをくすねる。

 どれを食べても同じ味。菓子パンをかじりながら駅前のロータリーに座ってスポーツバックを降ろす。やっぱりキオスクで頂戴したコーラを呷る。

 チョロチョロ、音がして、座ったコンクリの台座の横、竹の筒からお湯がでているのに気づく。濛々と湯気を立てている。

 『ようこそ! 下田温泉へ!』

目を上げると、そんな文言の石碑が立っていた。

 菓子パンのクズをその小さな温泉に放り込みもう一度、グルリ、見渡す。

 寮とやらまでのいき方がわからない。

 逗子総で渡されたもんはぜんぶ駅までの道にばら撒いてきた。

 一軒だけ開いている土産屋にだれかいないか、覗いてみる。

 見るとなしに狭い店内を見ながら奥へ進む。ミッキーマ○スのパチモンみたいな顔のイルカのキーホルダーと目が合う。音を立てずにポケットに忍ばせた。

 「…ません、」

店の奥で客とおしゃべりしているおばさんに声をかける。そのとき、

 「お兄ちゃん!」

呼ばれて大きく肩が跳ねる。ふり向くと、バスの運転手っぽい感じのおじいさんが店の入り口で手をふっていた。

「バス、でるよ! 逗子総合高校の生徒さんじゃんねぇ」

 コンビニの店員じゃ、なかった。

 「遅れっとこのあと、一時間後だら。このバスでいきな」

おばさんも笑う。

「そのキーホルダーは、あげっから」

思わず、ハーフパンツのポケットを握りしめる。

「歓迎のしるし? じゃんね。よーこそ! 下田へ!」


 バスは大きく軋みながら細い道を進んでゆく。

 乗客はじぶんだけだ。

 「コータがぁ、昼飯、用意して待ってるってよぉ」

「……?」

 スマートフォンから顔を上げると、ミラー越しにおじいさんと目が合った。

 あわてて目をスマートフォンに戻す。別になにか見ているわけじゃない。たいくつなツイッターをただスクロールしているだけだ。

 「加藤さんが、」

「……?」

「ローソンの店長さん」

「……っ、」

「あっんなガリガリでパン一個じゃ足りねえだらって。寮に連絡して、」

「……、」

 どう反応したらいいのかわからない。

 目が泳ぐ。

 「…ません…」

とりあえず、それだけ、口からでてきた。バイトでは、そういっておけばなんでもなんとかなっていた。

 「もっと、食わなきゃ、なぁ。そんなんじゃ波にのれないじゃんね。ほら、」

 バスが、大きく揺れてとまった。

「ここ降りていけば、寮だから。より道しねぇで来いって、伝えとけって」

「……、」

「バス代は出世払い。波乗りがんばって、プロんなって、そしたら、二百二十円」

おじいさんは楽しそうだ。

 「お兄ちゃん。ほしいもんはほしいって、いえば、それだけで、いいじゃんね」

真っ黒に日焼けした顔をくしゃくしゃにして笑う。


 「ようこそ! 下田へ!」


 ポケットに忍ばせた偽物ミッキーのイルカを指先の感触で確かめながら、バスを見送った。


 いわれた道を降りていく。

 民宿、ペンション、サーフショップ…

 サーフショップで若い男が黙々とウェットスーツを用水路の柵に干している。オレに気がつくとチラリ、目線だけ上げてくる。

 スゲー悪そうな目。

 けどそれきりで、こちらに背を向けて作業に戻ってしまった。ウェットスーツを脱いで晒した背中に、デッカい傷。

 あ、この人、『センパイ』だ。

 児相で連んでたヤツに聞いていた。

 何年か前に父親を殺したっていう、富岡東中の卒業生だ。

 傷から、目が離せない。

 「レオー、今月のサーフィンライフ、タカシの記事が、って、なになに?」

 『センパイ』の背中を見ていると、いかにも軽そうな親父が店から飛びだしてきた。

 「なになに、スクール? いますぐオーケーだよ! 二時間八千円!」

 『センパイ』も、凶悪な目をこちらへ向けてくる。

 あわてて首をふって、駆けだした。下手に刺激するとマジで殺られる、て、聞いていた。

 「出世払いで、いいんだけどー!」

親父の声が追いかけてきた。


 「は、はぁ…あ?」

 道は唐突に切れていた。

 顔を上げると、


 目の前に海と、白い砂浜が広がっていた。

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