...

 「たかしさんは、なくなったの?」

「違うよ、いなくなっただけ」

「あえる?」

「会えるよ」

「どこで?」

 緩くうねる波の上で、ぼくに手を伸ばすネコの手を、握り返す。


 きっと、


 「ワイメア、」

「ワイメア?」

 そんな気がする。


 『まずは、ワイメア』


 そう、天さんはいっていた。

 雪さんのために、

 雪さんが見たいといっていたその波に、

 きっとのっている。

 いつもと変わらない、慈愛に満ちた、パパみたいな顔で、波をなでている。


 梅雨の明けた、

 真夏の多々戸の空を仰ぐ。

 強く注ぐ光を存分に散乱した

 オゾン色は

 より深く鮮やかで、

 波長四百八十ナノメートルの、

 純粋なシアンの色だ。


 「じゃあワイメアに、つれてってやるよ」

 ネコが、繋いだ手を空にかざす。

「たかしさんに、あいたいんだろ!」

「そうだね、会いたいね」


 眩しくてゆっくり、目を閉じた。






 「ちょ! 天さんっ!」


 ところで『ワイメア』て、どこだっけ?


 て、ワイメアをスマートフォンで検索してぼくは度肝を抜かれた。

 検索結果に並ぶのは、十階建てのビルくらいあるんじゃないかって波を、点にしか見えない人間がボードで滑る、というか滑り落ちているような動画ばかりだ。


 ちょ、待って、待って!

 こんな波にのるなんて!


 雪さんのあとを追うつもりですか⁉︎ て、あわてたけど、そのあとたびたびサーフィンライフの記事に顔をだす天さんを目にして、安心したのだった。






 ぼくは、再提出になった進路希望調査書を前に、腕を組んで思案していた。

 白紙で提出したそれは、

「パイロットになりたいでもいいからなんか書いとけ」

と、井上先生から戻ってきたのだ。

 しばらくそれを睨みつけていたけど、

「コータ! はやく!」

 きょうはサンセットサーフだ。夏が来たら、って、約束していたのだ。

 「ちょ、待って、」

「再提出とか、だっせーな! んなの、テキトー書いときゃ、いいんだよ!」

ネコが笑って部屋を飛びだしてゆく。

 成長痛はいつの間にか治り、ぼくの腰ほどだった身長は肩まで届こうとしていた。

 「適当、て…」

あわてて進路希望調査書の空欄に、まとまらないひとことを加えて、鞄にしまう。

 オレンジ色にブルーのラインが入ったサーフトランクスを引っ掴むと、ぼくも急いで部屋をでた。


 ぼくには愛がない。

 だれをも愛すことも、想うことも、

 できない。


 だれにでも愛を

 だれにでも親切を

 だれにでも笑顔を

 そんなことはもう、

 できない。


 でも、

 それでも、


 【希望進路】 ネコがずっと笑うためにできること






 海にとかしたくても、

 どうしても、

 とかせないものを、

 ぼくたちは持っている。


 見えるものも、

 見えないものも、


 それらを抱えながらなお空を仰ぐことができるのは、きっとこの透明に発泡する海が、波が、光を散らしてぼくたちを押すからだ。


 前を見て、

 上を見て、

 空を見て。

 そう、風が耳元で、囁いてゆくからだ。


 水平線を望む。

 トロトロに融けた太陽が、海にキラキラの粒を撒き散らしながら水平線にとけてゆく。

 その下に広がるのは、

 波長の長い光を弾く、燃えるような茜色を映した金色の海。


 となりに並ぶネコが、手を伸ばす。

 ぼくに。

 けれどそれはいままでとは少し、

 ほんの少し、たぶん、違う。

 ぼくも手を伸ばす。

 繋いだ手はもうだいぶ少年らしい骨格だ。


 小さなもみじ饅頭では

 もう、なくなっていた。

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