...

 ぼくだって、わからないっ


 天さんが

 小山先生が

 わからないものを、

 ぼくにわかるはずない。


 思考が深い谷へ落ちてゆく。


 ぼくはネコのなにも知らない。

 そんなふうに気にかけたことなんてない。気にしていたら、きっとネコのとなりから、離れなかった。

 きょうという、この日に。


 ぼくは、


 「コータ。お前にしか、わかんねぇよ?」

 ぼくは、首をふった。


 無理だ、

 無理です。


 ぼくは、

 ぼくには、

 愛がないぼくには、

 ネコのために

 できることなんて、






 なにひとつ、

 ない






 気管の奥が、潰れたみたいに声がでない。熱い塊が迫り上がる。目をきつく閉じると、ブワリ、堪えていたはずのものが、溢れてくる。

 

 でも、

 それでも、だ、


 ネコがいま

 母親に会いにいっているのか、

 母親を待っているのか、

 またどこかで、泣いているのか、


 ひとりで。


 そんなのはダメだ、

 ネコがひとりなんて、ダメだ。

 いつもみんなに囲まれて、

 戯けて、

 笑って、


 「……っ、」

もう、嗚咽になっていた。

 「落ち着け、コータ。大丈夫だ。この一ヶ月、お前はだれよりネコのそばにいた」


 違う、そんなんじゃない。

 ぼくには愛がない。

 ネコを想うことなんて

 できないはずだ。

 ネコを迎えにいくことができるのは、

 ぼくじゃない。

 でも、

 それでも、


 「とにかく、ネコを探しだせ」


 足が竦む。


 『愛が ないんだね』


 頭の奥で声が響く。


 それでも、


 「コータ、」

天さんがぼくの意識を繋ぎとめるように、ゆっくり、はっきり、口を開く。

 「その手を、獲れ。」


 ネコの手を、


 「母親が先に、ネコの手を取る前に、だ。」


 ぼくが、

 ぼくは、


 「ネコの手を、ぜったいに、離すな」


 フッ、と、息を飲む。


 ぼくの左肩と胸の間、心臓の少し上。天さんがその大きな拳をあてる。

 グゥ、

と、熱い拳が、心臓に食い込むようだ。


 ぼくのそこに、

 ライオンはいない。


 大切なものを決死で守る勇気も、

 大切な人のために戦う剣も、

 ない。


 縮こまっていじけた、

 そのくせいつまでも

 拍動をやめない、

 女々しくて未練たらしい、

 冷たくて小さな心臓しか、ない。


 でも、

 それでも、だ、


 「いけ」


 ぼくは踵を返して、部屋へ走りだした。

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