...
それからどの授業でも先生たちはネコになにかしらの華を持たせてやって、面談でネコが胸を張って勉強をがんばっているといえるように画策しているようだった。
英語など、連休明けのアルファベット小テストが(なんども受け直してやっと満点が取れた、大切なテストだ)きょうになってやっと返ってきた。
みんな、きっと、同じ気持ちだった。
来てほしい。
ネコはこんなに元気になりました。
見てください。
こんなにみんなに愛されて。
見てください。
あなたの、
あなたの、
そんなふうに授業を受けてネコの笑顔を見ているうちに、朝、感じた違和感は鳴りを潜めていた。
ネコの面談はお昼をいただいて午後二時からだ。
寮には戻らず、海に入る組と学校の屋上でお昼にすることにする。
きょうは寮母さんがネコのために生姜焼き弁当にしてくれていた。それなのに、
ネコ?
お弁当に手をつけず、クッキーの包みを手にしたまま遠く、眼下に広がる海を見ている。
波がなくて残念なんだろうか。
柄にもなく緊張してるんだろうか。
それとも…
ぼくも、無理に食べるようにはいわなかった。
寮母さんもわかっていたのか、食べれないならそれでいいからといってくれていた。(ネコの残したお弁当はだれかしらの胃に収まるので問題はないのだけど)
「ないなぁ、波…」
入田浜と白浜を一応見てくる、そう、天さんははやめに切り上げて雪さんと学校をでていった。
できれば、小さい波でもいいからネコの元気な姿を見てもらいたい。
「波あったら、連絡するな」
ぼくにそういい残して。
レオとユウトは膝波でも十分練習できる。お昼を食べると
「……、す」
「先輩! 面談、がんばってくださいね!」
そう、屋上をでていこうとして、ちょうど小山先生が上がってきた。
「あ、悠人くん、浩太くん。きょう、カイトさんのところに混ざってもらえるかな」
「ええ!」
ユウトが固まっている。
「ぼく、きょうネコの面談だから」
面談そのものは、担任の井上先生だ。けど面談中、生活指導の先生たちは交代で学校に待機している。
「レオはすごいね。ぼくはまだカイトさんがこわくてさぁ…こわくないの?」
「……、んー…、うん?」
そんなふうに階段を降りてゆく一年生の背中を見送る。
「…浩太くん?」
あ、えーと、
さっきから手に、温かいものが触れている。
ネコのもみじ饅頭がぼくの手を、めずらしく、遠慮がちに掴んでいた。
ぼくも、学校で一緒に待ちます。
ほんとうは一緒に面談受けますといいたいところだったけど、さすがにそれは図々しかとやめておいた。
「そう? よかったね、ネコ」
「…がきじゃ、ねぇんだし…」
ネコは知らんふりでぼくの手を掴んだまま、波のない海を見ていた。
ぼくは、きのうの小山先生のことばを、思い出していた。
谷川先生とはなしをしたあと、気持ちをふり切るように医務室をでて、ネコを迎えに学校へ急いでいた。
『できません』
そう答えたからには、クッキーづくりを終えたネコを迎えにいく義理などないはずなのに、それはひどく(いままで知らないだれかに謝りつづけてきたどんな罪よりも)由々しい罪のように思えた。
二階に上がりさらに四階の調理室に上がろうとして、ちょうど職員室からでてきた小山先生にぶつかった。
「あ、もしかして、調理室? 一緒にいこう」
クッキーの香ばしい香りが、もう小さな校舎を包んでいた。
並んで、ゆっくり階段を昇る。
「…あした、」
「…?」
「あした、」
小山先生が、三階の踊場で足をとめた。
「来ないんだ。ネコの母親」
え?
来れないという連絡でも、あったのだろうか。
「連絡があったわけじゃないよ。面談希望日は最終日って、井上先生はちゃんと電話で確認してる。井上先生は、当然来ると信じてる。そうやって待って…、」
小山先生が寂しそうに笑む。
「…来なかったんだ、去年。」
「……、」
「そんなのはどの子にもよくあることで、ネコも母親が来ないことを気にしていなかった。三者面談があることも、わかってなかったかも知れない」
気にしてない? いや、だいぶ前から張り切ってますよね?
「ことしはね。この一年でネコは、だれかに大切にされるってことを、覚えちゃったんだ。母親にも同じものを、ぼくたちに対して以上に期待してる」
母親に期待する。
ぼくたちに対する以上に。
それは当然だ。
それなのに、
机の前に貼られた写真を思いだす。
能面のように表情のないネコを。
だれにも、
なににも、
動かなくなっていた気持ちがやっと動きはじめて、
その気持ちがほかの男の子より十六年遅れて母親に向くとして、
それで裏切られるとしたら、
その絶望は計り知れない。
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