...

 結果からいうと、

 ぼくがババァに会うことは

 なかった。


 お花のクッキーがババァの手に

 渡ることも、

 ネコのエアがババァの目の前で

 決まることも、






 ネコの母親はその日、

 学校には、来なかった。






 きのうサイズダウンした波はきょう、さらに小さくなり、うねりのみになってしまったいた。


 海は優しく凪いで、五月の空の青を映し、透明に発泡している。


 「なみがねぇじゃん!」

 われない波で、まして膝サイズでは、ショートボードはむずかしい。

 学校へ向かいながら波をチェックして、ネコが絶望的な声を上げる。


 午後には、上がるかな…


 どうフォローしようか逡巡しているとネコがフン、と鼻を鳴らした。腕をわざとらしく組んで仁王立ちで海を見ている。これはネコのいう、オトナのポーズってやつだ。駐車場から波を見る大人たちがよくこんな格好で立っているのを見て真似しているらしい。

 「しぜんあいてだからな。こればっかりはしかたねぇな」


 えぇ!


 ぼくは耳を疑った。


 きのう、おねしょしたのと同じ子ですか⁉︎


 びっくり、ネコを見る。ネコも、ぼくを見上げてきた。

「んな、しけたつらすんなよ! いくぞ!」

 もみじ饅頭がぼくの手を引く。

 ぼくを見上げたネコの目に虚勢はなくて、きっとほんとうにこれは仕方ないことなんだと認識しているようだった。

 海についていえば、ネコはぼくよりずっと大人だった。


 「なんだ、ネコ、校章なんてつけて。」

「あったりまえだろ? こうこうせいだからな!」

 合同の授業になると、天さんがさっそく絡んできて、

「そこさぁ、うるさい」

栗ちゃんになぜかぼくまで睨まれる。

 「で、元素記号、水素の元素記号は? ネコ」

「はいはい! オレ、わかる!」

自信満々だ。

「B!」


 なんで⁉︎


 それはホウ素だよ…一番簡単な元素を、あえてピンポイントでマイナーな元素に外してくる。

 「コータ、」


 ええぇ〜、飛び火!


 H、です…


「OK」

 「えっちだって、コータ! えっち!」

ネコがほんと小学生だよね、て、ネタで笑いだす。

 「おいおい、コータぁ、」

ジュンがのっかってくる。

 「え? Hで、あってるよね?」

ユウトがレオをつついているけど、複雑な表情でぼくを見るレオの視線が痛い。そんなところでネコに惑わされないでよ、ユウト…

 「はいはい。ネコ、じゃあ、水素のとなりの元素はなんですか? 教科書見ていいよ。ほら」

どうしてもネコになにか答えさせてやりたいらしい。

 「え〜…」

ネコは教科書の最初の見開きに載っている周期表を睨んでいる。

 これはなかなかの難題だ。元素記号はこないだ覚えたアルファベットとはまた別の配列だ。しかも、水素の次は箱がない。一番反対側まで飛んでヘリウムになっている。

 「…つぎなんてねぇよ…」


 がんばれ、ネコ…ない箱は飛ばして一番右端だよ…


 「ゆっくり、探しな」

ネコはゆっくりと見えない箱を指でなぞりながら…

「あ! あった!」

やっとヘリウムの箱にたどりつく。

「ほう、」

「へ…? へりうむ! しってる! へんなこえになるやつじゃん!」

「よく知ってるじゃん、てんさーい。OK」

 栗ちゃんは、楽しいの? て、テンションらしきときも無表情だ。けどいまはたしかに授業を楽しんでいるらしい。

 「じゃ、次。ヘリウムを含む十八族の元素をまとめて? あ〜、レオ、」

 「オレ、マジてんさいっ!」

ネコが小声でぼくのシャツを引っ張ってくる。

 突然レベルが上がった質問を指名されてレオが固まっているのを横目に、

『もっとほめてくれていいんだぜ!』

って、赤茶の瞳をキラキラ、なでてほしいオーラを隠さないネコの頭をなでてやる。


 栗ちゃん…、授業参観じゃ、ないんだよ…


 「ママに、希ガス、答えられたよって、いえるな!」

授業が終わると、そう栗ちゃんは楽しそうに教室をでていった。

 「きがすって、すげえ?」


 ん〜、すごいよ?


 希ガスを答えたのはレオだよね、て思うけど、希ガスのヘリウムを答えたのでよしとする。ありがとう、レオ。

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