...
「いまのコータは、波を掴んだ瞬間にスピードがこわくて後ろ荷重になって失速してる、そんな感じだ」
こわい。
いつもぼくを呑み込むあの、恐怖のことだろうか。
「けど、」
画面の向こうでは、ネコが波を見たのかひとり、ほかのサーファーをおいて沖へ漕ぎだしている。
「大丈夫」
たしかにいま、ネコを追うぼくは、画面越しでもしっかり、それをぼくの現実として捉えている。
「大丈夫。コータは、大丈夫だよ」
ネコが見ただろううねりが、やっとぼくの目にも明らかに、ほれ上がってくる。
「オレ、知ってるんだ。見てたから」
見てた?
ネコが、ボードを返す。
いまきっと、獰猛な小動物みたいに笑っている。
「そう。見てたから」
一気に思い切りパドルして、ネコが波を掴む。波の斜面をすごいスピードで駆けてゆく。
ネコの姿を追うぼくのとなりで、カイトさんが悪い顔で、ニヤリ、笑うのが気配でわかる。
「波乗りの目は、まだない波だって、見ることが、できるんだよ」
多々戸浜の大人たちは、いつもなにか肝心なものを教えてくれないみたいだ。約束ごとみたいに。
そういえば、あのバスの運転手さんも、
『大丈夫』
なんて、いま以上に大丈夫じゃなかったぼくにそう、請け合っていた。
黒板の前で訊かないことまで隅から隅まで教えてくれた、前の学校の大人たちとはまったく違う。
「そりゃそうだ」
海から上がってきた天さんが笑った。
「教えられることは教えるけど、」
と、雪さんから渡された麦茶を呷る。
「あとはじぶんで練習しないと、波を掴むなんて、身体で覚えるもんだから」
やっぱり、教える気なんてなさそうだ。
けど天さんもわかってる。なにが、このふわふわの原因か。
「コータなら、大丈夫だよ」
そう、カイトさんと同じことをいって笑った。同じ、悪い顔で。
「オレは知ってるから」
なにを、知ってるというんだろう。
ぼくの、
なにを、見たんだろう。
カイトさんは、
と、天さんが
「おっと、あぶなっ」
あわててのけぞる。
え?
「コータ!」
うっわ!
やっぱり海から上がってきたネコが、満面の笑みでぼくのすぐ目の前に迫っていた。ボードを放り投げて飛び込んでくるそれを受けとめるにはもう遅くて、
ゴッ、
目の前に、文字通り火花が散った。
こういうのは、マンガだけじゃないんだ、て、はじめて知った。
その日、ネコは、一緒に眠るとはいってこなかった。
海上がりに突進してぼくを押し倒したのを悪く思ってとかでは、断じてない。歯磨きはきっちりせがんできたのだ。
クッキーに添えるメッセージカードをやっと書き上げたはいいけれど、海で気合いを入れすぎたのか、そのまま机で寝落ちしてしまったからだ。
「みんなよ!」
進捗は? なんて覗いてみても、メッセージカードをネコはいつも隠してしまい、ぼくには見せてくれなかった。
はいはい。でもね、ネコ、書き損じが床に散らばって、丸見えですけど? (見えても正直、なんと書いてあるのか本人の解説なしにはまったくわからないんだけど)
暗に、ちゃんと片付けて? て、いいたいんだけど、そこはまったく無視される。
ガシガシ、色鉛筆でなにか塗っているようだったけど、やっと完成したのか、いそいそ、封筒に入れてしばらくは満足げに眺めていたのだ。
あ、できたの?
ベッド越しにネコを窺うと、
クピー クピー…
あら、
カードを握りしめたまま、遠く夢の世界へ旅立ってしまっていた。
かわいいタンポポのイラストがあしらわれた封筒をそっと、取り、母親とツーショットの写真の下に立てかける。
起きないようにそっと、抱き上げて、
あ、軽い…
ガリガリだなとか、ぼくのことをいっておきながら、ネコの方がよっぽどなんだ。
気持ちの端がチクリとするのを無視して、ベッドへ…
いや?
ぼくのベッドに運ぼうとして、ふと、足がとまる。
一緒に眠るといわれたわけじゃないのに、それはどうなんだ?
幼く見えるとはいっても、同じ十六歳だ。
一緒に眠った覚えがないのに目が覚めたらぼくの腕の中なんて、ちょっとびっくりするんじゃないだろうか。
思い直して、二段目のベッドにネコを寝かしてやる。
「おやすみ」
起きていれば生意気ばかりなその口も、眠ってしまえばなにかムニャムニャいうのがかわいい。
潮に焼けてキシキシする髪をひとなでして、ぼくは下の段に降りた。
ネコの巻き起こす嵐がすぎると、世界はまた、現実味を失ってゆく。
目を覚ましたら、ボランティアに奔走しているぼくに戻っているのかも知れない。いや、あの、暗い部屋かも、知れない。
けれど、現実はそのどちらより、衝撃的なものだった。
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