...

 と、そこまでいって、カイトさんは突然声を上げた。

「悪りぃ、…もしかしてまだ声変わりしてないとかだった?」


 あ、それはないです。


「そうか、だよな。焦ったわ」


 あんなセクハラをしておいて、そこは焦るんだ…


 「いまはあんなでもさぁ〜、」

はなしはすぐ、レオに戻る。

 東京から来たらしいスクールのお姉様方に囲まれて、レオは相変わらず凶悪な目つきのまま固まっている。途中で捕まったユウトに至っては、チラチラ、こちらに助けを求めて視線を送ってくる。

 小山先生はお姉様方に捕まった生徒らを放置することにしたようだ。生徒たちを休憩させて、じぶんのボードを抱えてまた海へ戻ってゆく。

 「夏休みが終わると、いつの間にかさぁ、」

そんな小山先生に、カイトさんがニヤニヤしている。

「高校生らしく、なっちまうんだよ」


 「はやいなぁ」


 パパみたいだ。


 いや、パパなんだ。

 カイトさんの自転車には、子ども用のキャリアがついていた。

 「みんな、あっというまに、大人になっちまうんだ」

 我が子を見守るパパの目線の先。ネコだけが、無邪気に輪の真ん中でなにかドヤ顔で笑っている。


 ネコだって、いつかは必ず大人になる。ただ、ちょっと人よりゆっくりなだけだ。


 「嬉しいことなんだけど、ちょっと、寂しいな」


 カイトさんが、はは、て小さく笑うのに、ぼくも小さく頷いた。






 なのに!


 ネコ、きょうは一緒に歯磨きするよ! じぶんでできるよね!


 ネコを連れて浴場(洗面は浴場の脱衣所にある)へ行こうとするのに、

「あ〜、ん」

ネコは当然のようにカーペットに仰向けに寝転がり口を、パカリ、開けている。


 はぁ…


 思わずため息をつく。

 歯磨きの習慣がなかったらしいネコは、入寮のときに谷川先生と歯磨きの練習をしたのだそうだ。

 いまだって、朝と昼はじぶんできちんと磨けている。

 じぶんでできないわけでは、ないのだ。


 ネコ、もう大人の歯に、なったんでしょ?


 新しい『子ども用』歯ブラシを掲げて仁王立ちして見せると、なんと、


「んだよ〜…コータのバーカ」


 バッ⁉︎ あ! ネコっ!


拗ねてそのままふて寝をしはじめてしまった。


 あぁ〜…


 歯磨きしないでおやすみをするわけにはいかない。もう、大人の歯、なのだ。仕方がない…

 ふて寝を決め込んだ横に正座で座る。ぽんぽん、膝を叩くと、チラリ、片目でこちらを窺い、いそいそと膝に頭をのっけてきた。


 きょうだけだから。


 ネコは知らんふりで、口だけ開いて寝たふりをしている。


 あ、


 歯ブラシしながら覗き込むと、右の奥から三番目。小さな大人の歯がちっちゃく、顔をだしていた。


 ほら、うがいにいこう。


 歯ブラシが終わったらぼくの歯磨きについてきてうがいをするのが、いつものやり方だ。

 「ん〜…」


 ん〜、じゃないから。


 これはもう、あしたから、お風呂のあとそのまま脱衣所で歯磨きをしてしまおう。と、心に決める。

 眠くなかったのか、ネコはなかなか起き上がらずに、ぼくのお腹に頭を埋めてくる。


 …ネコ…?


 ドンッ


 心臓が嫌な音を立てる。


 また、またこれ…


 ぼくのお腹に、頭から逆さに潜り込もうとする。


 ネコ、それ、おかしいよ?


 ジワリ ジワリ


 不安が思考を侵食しはじめて、ぼくはあわててネコを抱き起した。

 「んだよ〜、バカ、バーカ、」

まだぐずぐずいうネコの手を引いて、ぼくはいそいで浴場へ上がった。


 いつからこんなことを、ネコはしはじめたんだった?

 ぼくが病院にいったあたりからか…

 レオのことで手一杯だったあたりからか…


 いまさらのように気がつく。いままでのネコの行動はどれも、幼い子には『ふつう』のことだった、てことに。

 人のベッドに潜り込むのも、

 お風呂で泳ぐのも、

 人のおかずをとるのも、

 大人の真似をして汚いことばを使うのも、


 けど、

 子どもを育てたことなんてないからわからないけれども。

 お腹の『中』に入り込もうなんて、幼い子でも、しないんじゃ、ないだろうか…


 浴場の開放された窓から、

 ザンッ ザァンッ ザンッ

 波が岩礁に砕ける音が、潮に煙った風と一緒に入ってくる。

 夕方になってから上がり始めた南風が波を、煽りはじめていた。






 DAY.5


 波の音で、意識が浮上する。


 ザァッ ザァッ ザァッ…


 絶え間なく崩れる、波の音。


 ドォンッ


 ときどき岩礁に砕けて空気を揺さぶる。


 風の音はしない。

 きのうの夕方からあがりはじめた南風は海を煽るだけ煽って、すぎていったようだ。


 目を閉じたまま、波の音にしばらく耳を向ける。起きるにはまだはやい。

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