...

 だからきっと来ることができたのだ。

 この時間ならまだ先月までの学校の生徒にも、先生にも、遭うことはない。

 仕事にでている両親にも。

 神奈川に来ることは、両親には伝えていない。というか、LINEも連絡帳も、入寮の日にブロックしていた。連絡がすべて学校を通してくるようにするためだった。


 「ロマンスカーも、乗ってみたいね」

谷川先生が、新しい型のロマンスカーの写真を撮る間に、


 『いまから帰るよ』


 ネコにLINEを打つ。

 すぐに既読がついた。しかも、


 『いまどこ』


 ん? まだ授業中じゃない? 授業中に、


 と、そこで、思考がストップした。


 ロマンスカーからパラパラ、数人の乗客が降りてくる。

 ベンチに座り俯いてLINEを打つぼくの目の前を見慣れた、特徴的な白タイツにパンプスの脚が通りすぎる。





 ドンッ





 心臓が飛びだす勢いで大きく跳ねる。






 あ、





 顔を上げなくともわかる。

 グレーのスカートの裾。






 「ねぇ、あのロマンスカー、…浩太くん?」






 シスターだ。

 学校が付属している教会の。






 『愛が ないんだね。』






 「浩太くん? 浩太くん、どうしたの? 気分、悪い?」


 谷川先生の声が遠くなる。


 『愛が ないんだね』


 『人生の 落伍者』


 ぼく…


 寮に入ってから、忘れていた恐怖。


 カタカタ、指先から震えが、全身に広がってゆく。


 寒くもないのに、歯がガチガチと鳴る。


 「浩太くん、大丈夫? なにか思い出しちゃった?」

「あら、もしかして…浩太さん?」

「あ、ごめんなさい! 別人です。おかまいなく!」

「ですけど、」

「すみません、近づかないでください!」


 ぼく、愛が…もう…


 「浩太くん、とりあえず、お薬、飲もうか。大丈夫、大丈夫だよ」


 愛がない。

 愛がないぼくに、

 生きる価値なんかない。


 「浩太くん、聞こえる? 浩太くん、」


 存在する価値なんて、ない。


 罪を犯した。

 愛がない。

 由々しき罪だ。

 ぜんぶ、

 無駄だった。


 だれにでも愛を

 だれにでも親切を

 だれにでも笑顔を

 そうやって生きてきた十六年は、

 虚像だった。

 つもりでしかなかった、ぼくは。


 神様だけだったのに。

 こんなぼくを、

 だれにも望まれず生まれたぼくを、

 愛してくださるはずだったのは、

 神様だけだったのに。


 愛がない。

 それは罪だ。

 きっと地獄に落ちるに違いない。

 いや、地獄にすら落としてもらえない。

 愛がないぼくはもう、

 神様に、






 忘れられたんだ。






 「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」






 絶望と、

 悔しさと、

 苛立ちと、

 怒りと、

 すべて呑み込む恐怖と、

 迫り上がってきて喉の奥から塊になって吐きだされる。


 遠くでだれか、なにかいってるのも、もうわからない。


 「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」


 こわいこわいこわいこわいこわいこわい


 ぼくはひとりだ。


 だれにでも愛を、

 だれにでも親切を、

 だれにでも笑顔を、

 できなかった。


 ぼくはひとりだ。

 ひとりでなんか、

 ぼくは生きていけない。


 ひとりはこわい。


 だれからも愛されないのは、


 『まもなく一番線、急行新宿行きがまいります。黄色い線の内側で…』


 耳についたアナウンスに重なって、けたたましく響く警笛とホイッスル。


 「離れてください! 電車が来ます! 離れてっ、」

 「浩太くんっ! 待って! 待ちなさいっ!」


 なにか温かいものに引っ張られるのをふり払う。


 凶暴な衝動が身体中を突き動かす。


 消えてしまえっ


 お前なんかっ


 消えてしまえっ


 なかったことに、してしまえ、

 ぜんぶ、

 ぜんぶ、

 この十六年をっ






 「コータぁっ!」






 ……?





 だれ…?

 だれだっけ、だれか、大切な、






 ドンッ


 鈍い衝撃を脇腹に受けてそのまま仰向けに倒れ込む。

 「なにやってんだ、キミ!」


 あ、


 目の前をクリーム色の電車が、ひどい悲鳴を上げながらゆきすぎていった。




 「申し訳ありません、わたしがいながら…」

 駅員室で、谷川先生が駅員さんに頭を下げている。

 外では安全確認中のアナウンスと駅の喧騒。

 「いやぁ、高校生じゃね、女性の先生にはとめられませんよ。よかった。とりあえず、よかったです。」

 電車の入線ギリギリに飛びだしてぼくを助けてしまった、いや、助けてくれた駅員さんが、温かいお茶をだしてくれる。

 「ぼくは? ジュースがいいかな? これ、えのしまの、ちょっと、とくべつなやつ。」

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