...

 ネコに違和感を感じたのはきのうの夜、医務室から自室に戻ってからだった。


 あれ?


 小山先生に付き添われて部屋に戻ると灯りがついていて、

「おかえり」


 うっわ!


 なんと、天さんがぼくのベッドにでかい身体を縮こませて腰掛けていた。

 ネコを抱っこしたまま。

 「ありがとう。天くん」

小山先生が申し訳なさそうにするのに、

「はぁ、大丈夫でぇ、す」

あくびを噛み殺している。

 もう夜中の二時を回っていた。

「ネコ、返すわ」


 わっ、


 抱えていたネコをそのままぼくに渡してくる。ネコは熟睡しているようで、天さんほど身体の大きくないぼくは、あわててネコごとベッドに座り込んだ。

 「コータを探して廊下をフラフラしてたから、補導した」

はは、と、天さんが笑う。

 けど、いつもと違う、ちょっと痛そうな。


 起きたのか? ネコ。あんなに爆睡してたのに…


 「起きてはないんだけど。なんてゆうんだっけ? そういうの。眠ったままフラフラするやつ」


 …夢遊病…?


 いままでそんなことはなかった。

 いや、ぼくが気づかなかった?


 ドクリ、


 治ってきていた心臓がまた、嫌な音を立てる。

 「コータが来てから治ってたんだ、心配するな。あ、さすがに寮からはでないから。そんな顔すんな、ちょっと寂しくなっちゃった〜、て、だけだからさ」

 じゃ、コータもちゃんと眠れよ、なんて、天さんは部屋へ戻っていった。

 「眠れる? 浩太くん。朝起きれなくなるからもう薬は飲まないで。眠れなければ、無理に眠らなくていいからね」

そう、小山先生もネコの徘徊にはなにも触れずに、仮眠室へ戻ってしまった。


 寂しい…寂しかった…?


 ぼくは当然眠ることなんかできなくて…と、思うところだったのに。

 騒動の疲れと、薬の作用と、ネコがいまここにいる安堵と、なによりネコの子ども体温に、すぐに意識は遠のいたのだった。




 「次、浩太くん、いくよ」

ハッ、として顔を上げる。

 小山先生がぼくの横で遠く、水平線を示す。

「よく見て。水平線から、波が来るの。波、見つけたもん勝ちだから」


 波…、


 「きた、」

ネコが呟く。

 遥か向こう。ゆっくり、光のうねりが盛り上がる。

 「ボード、返して。もっとはやく」

ボードを返して岸を向く。ボードに寝そべり、

 「きょうの波は割れにくいから。こないだとは逆。胸も顎もボードにつけて」

 「死ぬ気で漕いで。立つとき、必ず視線は上。下見ない。刺さるよ」

 「はい、漕いで」

 グッ、と、小山先生が、どっからその力でてんですか? て、思わぬ力でボードを押しだす。

 「漕いで〜!」

小山先生の声と、

 「がんばって、せんぱ〜い!」

控えめなユウトの声と、

 「まだまだまだまだまだ! おっせ! おっせーよ! おしてもらってそれかよ!」


 ネコ⁉︎


 いつの間に、ネコがとなりを並走していた。

 さっきまでのネコとはまるで別の少年だ。

 交戦的な満面の笑みを湛えて波をかく。

「オレにならばねーと、なみにおいてかれるからぁ!」


 っ!


 必死に、ネコに追いつこうと漕ぐ。

 腕がちぎれそう。

 けど漕ぐ。

「とちゅうでやめんなよ! まだだよ! まだ!」


 いや、もう、腕ない…て、


 フッ、


 ボードが滑る。

 漕ぐ腕に抵抗がなくなる。


 のれた!

 波にのれた⁉︎


 波に押されてボードが走る。


 あ、


 風が耳を切る。


 となりではすでにネコがボードの上に立って波の上を走っているのがわかる。


 「立って! 浩太くんも立って!」


 あわてて腕を張る。

 が、その瞬間。


 わっ!


 ノーズが水中に沈むのが見えたと同時に、テイルを波に持ち上げられて世界がひっくり返る。そのまま巻かれて、


 あ…


 覆い被さる波の向こう、


 キラキラ、


 光を散らす硝子の向こう、


 青い空が、一瞬、見えた。




 「コータ!」

スープに押されながらなんとか顔をだすと、浜でボードを抱えたネコが、

「だっせ!」

楽しそうに、笑っていた。


 波を滑る浮遊感と、

 ソーダ水ごしに見た空のキラキラと、


 ネコの笑顔と、


 ぼくも応えて頷く。

 口元が、緩む。


 もうその口元を隠そうとは、

 思わなかった。







 いった…い…


 カーテンの隙間から射し込む陽に…

 の、前に、全身に走る痛みで目が覚めた。


 え、もしかしてきのう無意識にどっかから飛び降りた?


 え? いや、まさかの、筋肉痛…?


 腕が、首が、背中が、動かない。


 うっそでしょ…


 「だっせ!」

どうにもならなくて、笑い転げるネコに天さんを呼びにいってもらうほかなかった…




 「どこいくんだよ!」

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