【🏝完結🏝】Sky

休み場

　朝、カーテンの隙間から射す陽に、ゆっくり瞼を持ち上げる。

　胸の中ではネコが、小さく寝息を立てている。

　そのまま枕元のタンブラーをとり、薬を一つ、パリ、と包装からだして、起きるために飲む。

　波はおさまったのか、

　遠く、トンビの声が聞こえるだけだ。

　いつもの朝だ。

　なにも変わらない。

　なにも…

　ぼくは、包帯の巻かれた左手をじっと、見つめた。

　「おぉお⁉︎　名誉の負傷じゃん」

　朝の食堂。

　いつも通りネコに盛られるだけ盛られたデニッシュをもくもくと口に入れていると、天さんが雪さんを連れて入ってきた。

　そしてテーブルまで来るとぼくの包帯グルグルな手を見て、愉快にそう、笑ったのだ。

　いやいや、これは笑うはなしですか⁉︎

　ぼくが戸惑っていると、

　なんと！

　こともあろうに！

　「で？　なんか、月子さん、いってた？　ありがとう、とか？」

などと、悪そうな顔で耳打ちしてきたのだ。

　……っ！

　思わず、目を見開いて固まる。

　返すことばがない。

　いや、いつも返せやしないんだけど！

　いや、

　いやいやいやいや⁉︎

　その顔！

　「コータは？　なんかなかったの？　ライディング、見てました、とか」

　わぁぁぁぁぁあ！

　ほんと、そんなんじゃないですから！

　そんなんじゃないですから！

　「まぁまぁ」

　天さんはぜんぜんわかってない。

　「あ、つき、」

　っ！

　月子さんが食堂に入ってくるのを見つけて手をふろうとするから、

「おっと、」

あわててその腕を抑え込む。と、そこに救いの手が。

　「時間、」

雪さんが天さんの背中をつついてきたのだ。その視界にぼくはなくて、表情からは、見かねたのか単にはやく席につきたいだけだったのか読み取れない。

　「おぉ、ワリワリ」

天さんは雪さんの機嫌を取るように肩を抱くと、いつもの席へいってしまった。

　だからさぁ、そういうんじゃ、

　ぜったいに、ないから。

　…ない、よね…？

　肩を抱いてみたい、とか…

　一瞬考えたのを読んだように、天さんがふり向きざまにニヤリ、笑い、

「まぁ、フィンで切ったと思えば、いいんじゃない？」

　フィン？

「ショートならさ、フィンでバシバシどうせ切れるから、はは」

なんて、笑っていってしまった。

　フィンはあの、ボードの下についてるサメの背鰭みたいなやつだ。

　「オレもたくさん、ちぃでた！」

ネコがバシバシ、呆けるぼくの腕を叩いて、得意げに細い脚を見せてくる。

　えぇっ！

　たしかに、ネコの脚やら腕やらにミミズ腫れみたいな傷跡が残っている。

　いやいや、あれ、凶器だったの⁉︎

　「ボードはねかえってくっから、んで、きる」

よく見ると額にも傷がある。

　えぇぇぇぇえーっ、そんな危険なスポーツなの！　これ！

　ショートボードには手をだすまい。そう決めた。

　結局、ぼくの手は月子さんが取り乱すほどのものではまったくなくて。（刃物ってのは、引き抜くときに切れるらしい。あのとき、月子さんにナイフを触らせなくて心底よかったと思った）

　駆けつけた小山先生に連れていかれた医務室で大きな絆創膏を貼られ、気休めに包帯グルグルで、

「まぁ、いつか塞がるから」（寮医の先生談）

て、程度のものだった。

　こんな手で、波乗りの練習はできないんじゃないかな…

　「う〜ん？　大丈夫じゃない？」

小山先生も適当だ。

「痛かったら、やめたら？」

　あ、見学って選択肢はないんだ。

　グルグル包帯に緊張の糸が一気に緩んだぼくは、しばらくぼんやり、小山先生とココアを手に、波の音を聞いていた。

　「あ！　コータくん！」

　うっわ！！

　危うくカフェオレをひっくり返しそうになる。

　つ、月子さんっ！

　カァッ、と、頬に熱が集まる。

　「あの、きのうは、ごめんね」

　あ、いや、

　体調はどう？　とか、

　眠れた？　とか、

　情けないことになにも口からでないどころか顔を上げることさえ叶わないぼくを、月子さんが窺うように見上げてくる。

　正直、いまは顔を見ないでほしいんだけど…

　「手、大丈夫かな、あ、大丈夫じゃないよね…」

心配そうな、けどもうすっかりいつも通りの月子さんに、ぼくは小さく首をふる。

　いや、まったく、大丈夫みたい。

　「痛い？」

　まぁ、痛いには、ちょっと、

　「コータくん、わたしとはなすの、やになっちゃった？　引いたよね？」

　違う！　それはないから！

　あわてて、こんどははっきり首を思い切り横にふる。

「けど、きのうは、」

そういいかけて、月子さんは口を噤んだ。

　ごめん、

　はなしたいんだ。ほんとは。