【🏝完結🏝】Sky

...

　「……っ！」

　光の輪の中に滑り落ちたそれは、アウトドアナイフだった。

　「あ、えぇと、コータくんか。びっくりしちゃったよ」

　震える手がそれを掴む前に、ぼくの身体が反応した。

　弾けるように手を伸ばしてナイフを掴み上げ、

　「わ、」

　同時に、月子さんが捲り上げたパーカーの袖を下げようとするのをもう片方の手で制止した。

　すばやく目視する。なにか怪我をしているとか血がでているとか、そんなことはないみたいだ。

　けど、

　とっさに隠そうとする腕を掴む。

　けど、

　月子さん、

　どうしたの…？　これ…？

　ライトの灯りに白く浮かび上がるその焦がれたはずの腕には、

　「あは、」

　月子さんの、間の抜けた、声。

　あの、溌剌とした鈴ような声、ではない。

　ゆっくり、視線を上げる。

　月子さんは笑っていた。

　文字通りことばを失ったぼくを見上げて。

　いままで見たどの笑顔とも、違う。

　悪戯が見つかった子どもみたい。

　誤魔化すようなひどく、歪んだ笑み。

　「見つかっちゃったぁ…」

　手首から肘まで、

　月子さんの左腕には

　無数の切り傷の跡が、残されていた。

　「……、」

　「あはは、」

　なんで…？

　声にだしてはいないのに、月子さんは麻痺したみたいにぼくから目を逸らさずにポツリ、呟いた。

　「ちょっと、なんか、イライラしちゃって、だから、」

　そう、ふらり、右手をナイフに伸ばしてくる。あわててナイフを握り込むとぼくは手を引いた。

　「…っ、あ、あ！」

　月子さんが、ぼくの手を見て目を見開いた。ナイフの刃を掴み込んでしまったぼくの手からは血が落ちている。

　「コータくん！　血がでてる！　血がでてるよ！　離して、それ、離して！」

　ぼくは小さく首をふった。

　「ごめん、もうしないから。もうしないよ！　だから、もう、それ離して！　血が、」

「いいよ、」

「え？」

　腕を切って月子さんの気持ちが晴れるんなら、

　またいつものように、笑えるんなら、

「ぼくの腕、切って、いいよ」

　掠れた声を絞りだす。

　精一杯。

　「…いいわけないじゃん…いいわけないよ。…え、ねぇ、コータくん、しゃべれんの…？　声…」

　月子さんの声はもう、ぼくには届いてはいなかった。

　ぼくの腕なんてどれだけ傷ついたっていい。

　愛がないぼくの、

　愛される価値のないぼくの、

　生きる価値のないぼくの、

　だれにもなにも差しだすことのできなかった、こんな腕は、いらない。

　「ぼくの腕なら、いくら切っても大丈夫だから、」

　「な、なにいってんの！　ダメだよ！　大丈夫なわけないじゃん！」

　気管の奥から熱い塊が迫り上がる。

　なんで、

　なんで、

　「月子さんはもう、月子さんの腕はもう、ぜったいに、ぜったいに…」

　波の上で、

　優雅に舞う。

　天使の羽のように、

　美しいラインを描いて、

　宙に伸ばされる。

　その大切な腕を。

　苦しくて胸を押さえる。

　「傷つけないで、ほしくて…大切な、」

　大切な、月子さんの、尊厳をっ、

　イライラしちゃって、て、歪んだ笑みを思いだす。

　ネコの、書き散らかしたメッセージカードを思いだす。

　拙く書かれた宛名を上塗りするように、殴り書きされた赤い字を思いだす。

　レオの背中の傷を、

　教室に入れなかったユウトを、

　思いだす。

　なんで月子さんが

　なんでネコが

　レオが、ユウトが、

　傷を負わなきゃ、なんないんだ、

　おかしいだろっ

　おかしいだろ！

　なんでっ、

　「わかった、わかったよ！　もうしない、もうしないから、コータくんの手が、手が、」

　泣きだす女の子の声がどこか遠くで聞こえる。

　部屋のドアに貼った月間予定表を、思いだしていた。目立つマーカーが引かれたあしたからの一週間。

　三者面談週間が、はじまろうとしていた。